僕の病気療養中、妻が借りてきてくれた
ビデオの中に、これが混じっていました。
『ラストゲーム 最後の早慶戦』
昭和18年。戦争が激化する中、練習に励む早稲田大学
野球部の若者たち。六大学野球はすでに解散が決定しており、
来るべき学徒出陣に備えるように圧力がかけられていた。
そんな中、顧問の飛田(榎本明さん)のもと選手たちは、出陣のその日まで
野球を続けると誓っていた・・・
という悲壮感漂う内容なのですが、あれ?わかりますか?
そうです、この主人公で早稲田大学の顧問、飛田さんとは、
学生野球の父と呼ばれた飛田穂州さんのことです。
飛田さんは、大洗に程近い旧常澄村(現水戸市)の出身で、
水戸一高から早稲田大学に進み、野球部の主将も務めました。
その後早稲田大学の監督に就任、残念ながら戦争が
始まり、この映画の題材にもなった学徒出陣で最後の早慶戦を
開催した方です。
劇中でも、世の中の流れ(=戦争)を見て、早慶戦の開催をしぶる
学長をこう説得していました。
『学内では、(軍国主義批判と言われ反戦を唱えたため)教壇に立てない学者
が何人もいます。しかし、それでも彼らは、説を曲げなかった。
それこそ、学者のあるべき姿である(つまりやるといったらやる)と思います。』
この方の言葉で今も大切に使われている言葉が、
一球入魂
納得がいきます。
そして、この方の教え子で、プロ入りしていれば、
長嶋さんより先に野球ブームを起こしていただろうと
という実力の方が、大洗出身の石井藤吉郎さん。
この方も最後の早慶戦ではベンチにおり、
早稲田大学野球部から、水戸商業、早稲田大学の
監督となり、アマ日本代表の監督まで務めました。
アマチュア選手として、プロ野球の殿堂入り
をはたしている本当に数少ない功績の方です。
名前を存じ上げてはいましたが、これほどまでに
野球界に功績があり、早稲田大学と密接に絡んでいる
方々が地元にいることは初めて知りました。
またひとつ息子の選択肢が増えました( ̄▽+ ̄*)