アンダースロー渡辺投手のプロフィール




保土小学校では内野手であったが、

5年生で初めて投手となりエースとなる。


東郷学園中等部では小林真司の陰に

隠れた補欠投手。オーバースローの

ストレートでは通用しないと言われ、

意地もプライドも捨てアンダースローの

変化球投手に転向し、後に七色の変化球

を操るとも言われる。


中学時代にチームが対戦した山田太郎の

リードとキャッチャーセンスに惚れ込み、

山田と同じ明訓高校に進学。一年からエース

として活躍し、山田らと共に甲子園で活躍、

甲子園通算20勝(21勝説も)をあげる。

右翼や三塁を守ったこともある。

1年秋の県予選大会の間は主将を務めた。

3年春の甲子園終了後、母親の看病のために

一時休学してゴルフ場のキャディを務めたりしていたが、

夏の県大会決勝戦直前に野球部復帰。

























・・・って、ドカベンの小さな巨人





里中君じゃん!!!