最近の心のモヤモヤが晴れないのは、きっと平和ではないからです。平和のために、憲法にて戦争を放棄し、戦力を不保持にしました。その国が戦争に巻き込まれる?中東あたりの悲劇な話かと思っていたら、どうやら我が国は渦中にはいりました。祈ることしかできないのかな…



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以下、7年前に書いた記事の再掲です。




終戦記念日に必ず
思うのは、戦死した
祖父のこと。


ちょうど33歳、フィリピンのマニラで
戦死しているから
今のぼくの年なんですね。


うちの父は、そのとき、祖母のおなかに

いた子なわけで、つまり自分の親父と

接したことがないんです。




下記は、うちの亡くなった

おばあちゃんへ、戦地に赴く

最期に神戸から

送られてきた手紙です。






二度と戦争が
起こりませんように。








~以下、祖母の遺品から出てきた

おじいちゃんの最後の手紙~




神戸へ来てからもう四五日になる


昨日有名な港川神社に参拝してきた


一昨日簡単な便りを家やお前の家や

三ちゃんの所に出して置いたが

届いた事と思ふ


 宿舎のあるところが丁度

神戸市街の中心地なので、

中々便利で良い 


旅館ではあるが、館の従業婦さん達の

行き届いた親切に感謝しながら

元気に過ごして居るから安神を乞ふ


 お前の去年の今頃は、立川に於いて

軍人封手にこの種の職業に従事した

経験があるので、滞在間の俺の

行動なども良く解る事と思ふ 


 俺も毎日朝早くから夜遅く迄、

忙しく機械の様に働らく女中さん姿を

見てはかつてのお前もこんなだった

のかなぁと当時のお前が偲ばれる





 愈々今日は出発だ






 いずこへ廻らうと俺のことは

決して心配は要らぬ

お前もこれから先き長い間は

いろいろ辛いことも

多きにある事と思ふが

それに負けず屈せず

どこまでも強く生き抜く事が第一だ 



それには先ず何よりも健康が

第一なのだから身体に気をつけてくれ



 己れを知るには己れに如かず


自分の体は自分が一番良く知っている

のだから、


少しの無理もなく自重せられん事を、


俺はたとえどこに行っても

そればかりを祈っているだろう



 愈々子供も後一ヶ月の後には

生まれるのだね

無事丈夫な赤ちゃんを生んで

くれるよう祈ってやまない 


  物の不足しているとき、

用意の物資も中々集まらぬであろうが、

三ちゃんや浅草の寿やさんに

手銭を出して出きるだけの心配を

してもらいなさい



書きたいことも沢山あるが出発の

時間も迫ってきたので思ふようにも

書けぬためこれで失礼する



とにかく家を出る時より一層元気で

進発するから安神してくれ


終わりにお前の健勝を祈る


神戸の宿舎にて 昭和一九年七月三〇日

関根  福太郎


この後、フィリピンにて、享年33歳で戦死。同年10月、父が生まれました。