★仏教哲学の真髄である般若心経と西洋哲学である現象学を融合した仏説現象認識学で明らかにする天皇論 | 仏説現象学教授のブログ

★仏教哲学の真髄である般若心経と西洋哲学である現象学を融合した仏説現象認識学で明らかにする天皇論

先ずはじめに、所謂≪国≫とは何でしょうか?
≪国≫と言う言葉だけでは、人間の脳は、それが≪事=概念≫なのか≪モノ=実体≫なのか明確に認識できないのです。


≪国体≫と言う言葉こそが、国という言葉を脳が実体的かつ明確に認識する為に必要不可欠な、【概念(象徴観念※)】とその貼り付け場所である【概念場≪モノ≫】の融合を見事に体現した言葉なのです。


※一般に共通認識できる言葉として象徴化された観念(心的形象)を象徴観念(象徴心象)=概念と呼ぶ

さらに、この≪国体≫という言葉は、以下に明らかにする仏教哲学(般若心経)の悟りの境地、即ち極めて感性の優れた先人が見抜いた脳の対象認識システムの知見と西洋現象学の知見を融合した真の現象認識学【=以下、仏説現象学という】の真理を明確に象徴する言葉でもあるのです。


即ち、人間の脳が実体的に把握できるこの世の全ての物質的現象≪=物象=モノ=概念場≫には全て実体が無い≪象徴化した心的形象(観念)≫=事象=概念が貼りついているのであり、

実体が無い概念≪象徴観念=事象≫が貼りついているからこそ物質的現象≪物象=モノ=概念場≫を脳が実体的に認識把握できるのである。

即ち、実体が無い概念(象徴観念)≪事象≫であると言ってもそれは物質的現象≪物象≫を離れてはいない。

また、物質的現象≪=物象=モノ=概念場≫は実体が無い概念(象徴心象)≪事象≫を離れて物質的現象≪物象=モノ=概念場≫であるのではない。

およそ物質的現象(物象)という≪モノ=概念場≫は実体が無い概念≪事象≫(象徴観念)である。

およそ実体が無い(象徴観念)という≪事象≫は物質的現象(物象)≪モノ=概念場≫なのである。


したがって上記の【仏説現象学】に照らして≪国体≫という存在を読み解けば

脳が実体的に把握できる物質的存在としての≪天皇家の惣領≫(物象)たる

概念場(絶えず揺れ動く概念を固着させる場=喩えて言うなら揺れ動く心象風景の一瞬を捉え他者に伝達可能な静止画として残す為の白いキャンバスのようなモノ)には、


実体が無い国家象徴概念≪=物質的現象としての国家と言うモノに係属する様々な観念(心的形象)=(心象)が抽象・捨象されて象徴化した象徴心象=事象=概念≫が貼りついているのであり、


実体が無い国家象徴概念【=国家と言う言葉から思い浮かぶ様々な心的形象(観念)が象徴化した概念(象徴心象)】が、実体のある概念場【=概念(象徴化した観念)が貼り付く概念場たる≪天皇家の惣領≫(物象)】に貼りついて一体化し、つまり、
≪国≫の概念が実≪体≫あるモノ(概念場)に貼りついて≪国≫+≪体≫=≪国体≫となっているからこそ、

≪日本≫という悠久の国家概念を脳が確たるものとして実体的に把握できるのである。


即ち、日本という国の本質が、実体が無い悠久の国家概念(国家観念の象徴=心象)であると言っても、それは国家概念に係属する様々な観念が象徴化した国家概念の概念場たる≪皇室の代表=天皇≫(物象)を離れてはいない。


また、物質的存在としての≪皇室の代表=天皇家の惣領(物象)≫は、実体が無い国家概念(象徴心象=事象)を離れて物質的存在としての象徴観念場たる≪天皇家の惣領≫(物象)であるのではない。


このようして、およそ≪天皇家の惣領≫と言う≪物象=概念場≫には、≪実体の無い日本という国家概念≫が悠久に貼りついているのであり、

およそ≪日本という国家概念≫が悠久に貼りついているという≪事=概念≫が、物質的存在としての≪天皇家の惣領≫と言う≪物象=(概念場)≫の本性なのである。


そして、その国家概念場(天皇家の惣領)の存在あればこそ、
国家概念は明確に脳が実体把握できる国体≪事物≫となるのである[/b]

即ち、国体の磐石なる維持は国家概念を如何に実体的に磐石に認識する事ができるかに懸かっており
その意味で皇室宗家(天皇家)の御存在は日本国家と言うアイデンティティーの元となる国家概念を脳が実体的に認識し、磐石に日本の国体を維持するための概念場として、認識学上、人間の脳にとってなくてはならない御存在なのです。


国家概念を権力闘争の範疇にある大統領や独裁者・教祖・党幹部といった権力概念場に貼り付けてしまうと国家概念自体が意図的に其の概念場たる権力者に依って都合よく意図的に捻じ曲げられ改変させられてしまう。この事実はスターリンや毛沢東等の独裁者を概念場にして1億3000万人が粛清の美名の下に虐殺された旧ソ連や中共の悲劇が如実に物語っています。