アー・ユー・エクスペリエンスト?目次

 

 1976年4月、マイクロコンピュータが中央集中制御する方式を採用した一眼レフがキヤノンから発売された。

 Canon AE-1

 50mm f1.4 レンズとケース付きで85000円。

 

 

 同年同月1日エイプリルフール、ジョブズとウォズニアック、二人のスティーブがApple Computer社を設立し、Apple Iを666.66ドルで販売している。

 

 ここでジョブズが言ってる、クラブとはホームブリュー・コンピュータ・クラブのこと。

 Wikiより:電子工学の愛好家や技術系ホビーストが集まって、コンピュータ機器をDIYで製作するための電子部品、電子回路、情報などを交換する非公式な場として始まった。

 

 クラブで流行ってるアルタイルってのは、Altair 8800と呼ばれるコンピュータをさす。前年1975年に、個人が所有可能なコンピュータ(パーソナルなコンピュータ、略してパソコン)の組み立てキットとして発売されていた。

 

 この時代、コンピュータはビルの1フロアを丸々独占するような大きさのメインフレームと呼ばれるものや、メインフレームよりはミニだけど、それでも大型冷蔵庫数台分のミニコンピュータと呼ばれるものがほとんどで、お値段うん億円からうん千万円、とても個人が所有できるものではなかった。

 そこに、5年前の1971年に産声をあげたマイクロプロセッサと呼ばれるLSIチップを利用して、たったの397ドルでミニコンピュータ(自称)を作れるよと登場したのがAltair 8800だった。

 

 だったんだけど、こいつは今の自作パソコンのような、部品をソケットに挿せば動くといったものではなく、配線図見ながら溶かしたスズとナマリの合金で電線と装置を繋いだり(ハンダ付け)しなくちゃならなくて、作るのがとっても大変。ていうか、素人には作れねーよ。

 それに目をつけたジョブズが、組み立てまで終わったコンピュータを売ったらいんじゃねとウォズに持ちかけて実際に会社を作って売ったのがApple Iだった。

 

 いずれのコンピュータも貧弱な性能だったが、そんなことはマニアにはどうでもよかった。自分だけのコンピュータを持てることが重要だったのだ。

 このアメリカの西海岸で起こった「コンピュータを個人所有しちゃおうぜ」という小さなさざ波は日本まで到達し、この夏8月にはNECがTK-80を88,500円で販売している。

 そして、このパーソナルコンピュータの心臓部として大活躍のマイクロプロセッサは、2年後、Canon AE-1の発展系であるCanon A-1 83,000円(ボディのみ)を、完全デジタル制御カメラとして完成させ、やがては炊飯器、ビデオカメラ、電話とあらゆるところに浸透していくことになる。

 

 現在50前後の初老のおっさん、おばさんが小学生だった時代の話。

 ちなみに、その頃の日本の小学生が知ってる電子関係グッズといえばTK-80ではなく電子ブロックだった。

 

 

 もはや戦後ではなく、大卒の初任給は9万円で、大島渚監督はわいせつ物頒布罪で愛のコリーダされ、犬神家の一族の池には逆さの足が伸びていた。

 一方のアメリカではロバートデニーロが流しのタクシー運ちゃんで、ジャックニコルソンはカッコーの巣から転げ落ち、キングコングが今はなき貿易センタービルによじ登っている。

 

 ロッキードは黒いピーナツを配って回り、日清製粉からは焼きそばUFO、どん兵衛が発売されていく中、ピンクレディがペッパー警部でデビューし、テレビでは、まんが日本昔ばなしの放映が開始され、金田伊功が大空魔竜ガイキングで金田光り、金田パースを炸裂させ、なんか週によって絵柄変わるんだけどと当時の小学生に制作スタッフの名前を覚えるというきっかけを提供していた。

 そんな1976年から始めよう。

 

流行っていた音楽

 イーグルス:ホテル・カリフォルニア

 ABBA:ダンシング・クイーン

 川橋啓史/斎藤こず恵:山口さんちのツトム君

 イルカ:なごり雪