びっくりするぐらいに変容している世の子育て。

教育の価値観も変わってきています。

 

 

私は今現在アラサ―なのですが、子育て中の身です。

なおかつ同居している嫁。

言い方は悪いですが、嫁の子育てに手出し口出ししてくれる義父母がそばにいます。

なので自分の子育てをしつつ、他人の子育ての仕方を見られています。

そんななかで、自分流子育ての意義や価値観を考えたり、今の最先端の子育てを学ぼうという意欲も出てきます。

先に弁解しておきますが、我が家は嫁姑仲が良いですし、義母もメディアで問題になるような姑とは違い、理解もあったり柔軟な考えも持っています。

しかし私の子育てに口を出されると私は自分の育児の根拠を固めようとするわけで()

根拠のある今の育児をしっかりと義母に説明できるように学びます。

主観的な実母と同じ子育てをするのではなく、子どもたちのために一番いい育児をしているという感覚をもちたいという気持ちが私にはあるからです。

でもね、正直な話、義母が太刀打ちできないような正論をもってしてお話をしたいという、私の負けず嫌いな感情もありますよ()

私って、自分が正しいことをしてるときに口出しをされると相手の『想い』を考え過ぎて反論しないことが多いんですよね。。。(いや、充分してるはずw)

ただ、育児に関しては義母のいいなりになっていると影響が出るのは子どもたちなわけです。

『昔はこうやって子育てしたのよ』とか『今は○○な育児するおかあさんが多いけど、それじゃあ子どもにはよくないのよ』とか言われる度に私はそれが本当に今の環境に合ってるのかどうなのか。子どもの学びになるのか考えます。

 

・・・となると、自分が親にされた育児・教育それらは本当にいいものであったのかをもう一度考え、自分の過去の黒い記憶を書き換えたりするわけです。

 

当時『私が悪い』という理由でとんでもなく母に怒られたこともありました。

叩かれたこともありました。

ただ、それが本当に正しい育児だったのか、大人になって育児をしつつ育児を学びながら検証するわけです。

私は母に叱られたとき、たいてい叩かれればその怒りが収まることを知っていました。

だから、たまに理不尽な話で怒られたとしても、私は母の手が飛んでくるのを待ちました。

つまり、言い返すことはしなかった。

 

これが私の忍耐力に繋がったかと言えばそうではなく、問題に立ち向かう勇気を削いだというほうが正しいかもしれません()

 

そうやって、子どもというのは親から受けた教育で、自分自身を不必要に(本人は必要だと思ってますけど)つくりかえてしまうのです。

 

そして私は核家族でしたので、他人がどのように育児をうけるのかは知るよしはありません。

 

逆にいえば、自分が思い切り親に叱られていることを世間に知られることが嫌でしたので、思春期あたりから、大泣きすることもせずに涙をこらえて母を見つめていました。

 

あ。ちなみに私はそれでも実母は大好きです()仲良しですよ()

そして子どもが生まれて育児に関しての相談をしつつ、『私は叩かれて育ったけど、子どもたちは叩かないように頑張ってるよ~』とはっきり伝えています()

まぁ、私が嫁に入って核家族ではないということもあるので、その点が規制にもなっているのではないでしょうか。

 

『親に教えられた子育てしか出来ない』

という人もいます。

もちろんです。

もちろん似ます。

 

ただ、変わることはいつでもいくらでもできると私は信じています。

 

そして自分自身を見直すことは子育てをしなければできないとは思いません。

 

今子育てをしておらず、むしろ『自分なんて一生子育てや結婚とは無縁だ』と思う方にこそ、是非とも自分自身の受けた育児・教育がいいものであったのか見直して欲しいのです。

そして学び直して欲しい。

 

自分が本当にだめなやつだったのか、

自分が悪いから親は怒っていたのか、

自分が生まれたから親は大変だったのか・・・・。

 

そんなことないんです。

 

当時苦しくて辛くて淋しくて悲しかった記憶というのは、自分の記憶通りのものだったり、あなたが言われたとおりの内容が現実なわけではないのです。

 

だから今の最新の育児法を知って欲しいんです。

様々な研究や世論から『これが子どもに一番いい!』と言われているものが出版されています。

なおかつ今も研究は進んでいるのです。

是非ともしって欲しいと思うわけです。

 

 

私からするとストレスと言うのは立ち向かうものではなく、1つずつ整理整頓して、どこに原因と問題が生じているのか考えることにあると思っています。(ただし私はそもそもお片付けが苦手なもんで・・・()整理しきれないときもあります。)

 

時には気分転換とかで整理ができるようなストレスもあるのですが、うちの主人はどちらかというとこれをすればすっきりする・・・というようなストレス発散は持ち合わせてないような気がします。(すぐスロットとかにいってしまうw)

 

ここに突然の無力感や鬱状態に陥る原因があるように私は思います。

さて、これはどうしてでしょう?

 

思うに、主人は自己の感情の道筋をたどる癖とそれを表現する言葉を結びつける習慣があまりなかったのではないかと感じます。

それは親子関係で特にある感じです。

主人がだいたい1の不満を言うと5くらいの口撃(こうげき。文句を言われることをこのように表現させて下さい。)に遭います。特にこれは主人の親から主人に対してが多いです。

例えば『眠い』というと主人は義母に『早く寝ればよかったでしょ!』と言われます()

(これは正論でもあります。主人は私が先に寝てしまうと、色々やっていて1時に寝たり、茶の間に寝てしまったりする場合もあるからです。)

例えば『寒い』というと義母に『服着なさい!』と言われます()

(我が家の主人はよくパンツと肌着で寝ているし、そのまま起きてきたりするので)

 

もう主人が悪いのはよく分かるのですが、お義母さんも感情的に言い過ぎなのだとは私も感じます。

『昨日遅かったの?身体に負担くるから、早く眠れるときは早く寝た方がいと思うよ。』

とか言えばいいと私は思っています。

 

相手に対して自分の心配の感情と提案の感情はなるべく冷静に伝えるべきだと私は考えているからです。(あ、無理なときもありますが()

 

そうするとたいてい、『昨日ね、ゲームしてたら仕事の書類まだなの忘れてて書いてたんだ』とか、『昨日は、子どもたちのために撮りためていたアニメをDVDにしていたんだ』なーんて教えてくれます。

頭ごなしに言われることが、発言の機会やタイミングを逃してしまう原因になるのが見えます。

 

主人の母は元保育士なのですが、状況を判断することが早いです。(義母もその点は豪語しています。)

しかし、状況を判断したときに感情的に対処しがちなのだと主人は言います。

うーん・・・私も働く子育てママなもんで、耳が痛いお話です(^_^;)

 

ただ、義母を見ていると指示命令がやたら多く、そのときの状況より本人の気持ちより大人の都合を押しつけがちなことはあります。

例えば、主人が作業しているときに別の作業をお願いすることが義母は多いです。

主人は、『今無理なの見て分からない?!』と怒ります。

義母は『別に今やってなんて言ってないでしょ!』と応戦しますが、結局主人は別作業をやっているのでそのあと忘れてしまい、

義母は<もうやって欲しい内容については本人に言ったから>と頼んでいることを忘れ、しばらく経ってから『前にお願いしたじゃない!!』と怒ります()

そういったことがよくあり、義母からの主人の評価は『忘れっぽい』『お願いしてもやってくれない』『一度座るとやらない人』って感じです。

ちなみに主人からの義母の評価は『うるさい』です()

 

このように、相手の気持ちや状況を考えずに指示命令をすることが義母も、義父も多く主人はあまり人の気持ちを考えない環境で育ったようです。

 

これはよく私と主人の2人で話し合いをするのですが、義父も義母も似たような環境で育った部分があるので納得です。

ちなみに、主人の父はジャイアン的な人。そして主人の母はスネ夫的な人です。

 

どのような表現がわが子に有効なのかという点で主人と話をしますが、そのたびに私と主人は自分たちの表現のしかたや、今まで表現されてきた言葉はどのようなものが多かったのか等を相談します。

 

自分たちの生き方や生かされ方が今までの自分たちを作ってくれているとするならば、自分たちにとって有害的な表現等に関しては子どもたちにすべきではないと考えているからです。

 

つまり私たちは『育児』を学びながら自分たちの『過去の見直し』・・・そう、親からの学びや、今までの学びをもう一度見直し――『学び直し』しているのです。

 

このときに有効なのが今の育児について知ることです。

 

③につづく

【今現在いきづらさを抱えた若者の学び直しの重要性と親世代の子育ての見直しの重要性】

 

 

生きづらさを抱えた若者世代は、どこに生きづらさを感じているのか、自分は何がしたいのか、自分の本音はどこにあるのかを伝えるのが苦手な人が多いのだと私は思っています。

 

なんならうちの主人も生きづらさを抱えているように見える人。(実際主人も言うしね)

 

主人は仕事上のもめごとややっかみが多く、最近は同僚(立場では相手は年下の後輩)から様々な苦情(時に八つ当たりのようなもの)を言われて悩んでおります。

 

『なぜ、主人は言い返さないのか。』――私が主人の話からいつも感じていることでした。

 

実際は言い返しているそうなのです。が、主人の会話ではそのことを伝えてこないことが多いのです。

 

【今日Aくんが○○○とか△△のことで上司に俺のこと話してて・・・結局残業になったよ。遅くなるね。】

と、まぁこのくらいしか話さないことが多いのです。

 

これが我が家の主人の生きづらさの1つです。

 

『自己表現が苦手』『説明下手』なわけです。

 

家に帰ってきてから聞こうにも、ストレスの発散方法がスマホチェックやゲーム、映画鑑賞になってしまう主人はなかなかじっくり話しません。

 

自分の言葉でしっかり説明したりするのは、解消されない普段のストレスがちょびちょびっと溜まってきて、苦しくなって、爆発崩壊寸前の時です。

 

私からすると主人は『ストレス後回し型』と思っています。

 

ストレスと向き合って整理することが『立ち向かうこと』という認識にもなっている主人は、どこでストレスを感じ、どのように整理するものなのかが分からないようです。

 

(長くなったので②に続きます)

 

働くってなんですか?

 

そもそも働くって、あなたにとってなんでしょう?

 

 

私たちが見ていない時代、働くとは【命をつなぐ】手段でした。

そして、当時は【血をつなぐ】ために結婚、出産、育児等がありました。

 

よくよく考えてみると、これって動物としての本能と等しいと思いませんか?

 

私たちは皆さんご存知の通り、お猿さんが祖先にあたりますよね。

 

もっと前で行けば海洋類だったとか単細胞生物だったとかっていう説ももろもろと出てくるかもしれませんが、そこはちょっと割愛()

 

私たちのちょっと最近のご先祖様で言うのであれば、

ヒイヒイ爺さんとかヒイヒイ婆さんとかの世代。

その世代は文字通りひいひい言いながら仕事してお金を稼いで命をつないで、

ひいひい言いながら子作りとかしていたわけです(ここ笑うとこねw)

 

 

それがどうでしょう。

 

人間と言うものは進化しました。

 

かつては働けば食えて尊敬されて生きていけました。

 

でもその分、本能として備わった【血をつなぐ】・・・つまり結婚、妊娠、出産、育児、家事なんかの部分は【当たり前】として位置づけられていました。

 

不思議ですよね。命がけでやってんのに。(昔は出産で母子どちらかが犠牲になるってことありましたから)

 

 

それが私たちは進化しました。

 

頭脳が能力アップし、思考が周り、簡単な仕事は国外に委託したり、機械を導入したりして生産性を上げ、一部の富裕層がさらに豊かになり、身体能力や看護能力やお国への忠誠心などを育んでいた教育も変革され、『誰もが平等に教育を受ける権利』を得ました。

 

そして私の世代は【ゆとり教育】と言われましたが、心と身体を豊かに育むためと言って、お休みが増えたり、総合的な学習の時間ということで専門性のある知識を自分で探すなんてこともしました。

 

時代が変革されてきたのです。

 

しかしながら、それと共に夫婦・家族・親子の在り方も見直されてきました。

でも不思議ですよね。

 

子無し夫婦(子供が授かれる可能性を持ちながら自分たちの意思でそれをしない夫婦)や

核家族、シングルマザー・シングファザー・友達親子等も時代の流れだと私は感じています。


 

今の時代が変革し、社会の在り方も変わる一方で、その波に乗れずに苦しんでいる若者がいても、親は育児を見直せないのです。

それは【自分が間違っていた】と思わされそうな気がして・・・。

だから、今の幼児育児の素晴らしさは、今の20代・30代・40代の子を持つ親には伝わりません。

不思議なもんです。ざっと10年前の育児では、乳幼児が4カ月くらいになったら果汁を飲ませる、早く母乳をやめさせる、なんて子育てだったのに、今ではそれはご法度なのですよ。(知ってました?)

むしろ母乳は長く飲ませたほうが脳にいい!とか言うわけです。

そして、3歳までは母親のもとで・・・という子育て神話は崩壊し、【3歳までは身近な大人からたくさんの愛情を注がれて育つべき】とされています。(でも一番そばにいる大人って結局母親になってしまっているのが今の日本ですが)

子育てだけでも大きく変革していて(しかも科学的な根拠つき)、それでもなお学びなおしがなくて(だって日本で学び直しって言ったら留年か落第かってイメージ)、そして生き方に悩んだ若者が支援をされやすいのは年金の払いおさめの65歳から25年前にさかのぼる39歳まで!(年金を受給するには25年払い続ける必要があるから。)

進化は退化を許さずなんでしょうか???

 

さぁ、じゃあ今の『働くってなんですか?』ってなるじゃないですか。

何だと思います?

正直ね、今の時代の【働く】って、昔の働くと違うんです。

だって仕事の内容の多様性はありますが、仕事のレベルの多様性がなんとまー少ない!!

そんでもって、人間的な魅力を遺憾なく発揮しなくてはいけないわけです。

 

スマイルだとか敬語だとか清潔だとかね!(しかもスマイル0円提供!)

 

結局いかに効率よくコスパを上げられるかって言ったら、使いやすい人間を採用してしますんです。

そしたらどうなるか。

 

積極性と発想力と柔軟性を持った人間が重視される世の中なわけです。

 

・・・え?そんなこと考えながら育児してます?そんなこと考えて学校で勉強教えています?え?個性を活かした教育していません?多様性を教える勉強していません?

【そんなの社会のどこで生かされますか???】

 

幼稚園・保育園では集団教育を学び、タイムスケジュールで自分のことができるように学びます。

そして小学校。あらかじめ決められた学区内で6歳~12歳までの子どもたちがごちゃまでになったり年齢で分けられたりしながら、また集団教育・専門基礎知識・ルール・基本的な生活業務(掃除や配ぜん)を学びます。

中学校。さらに専門性にあふれた内容を学び、担任との繋がりは小学校時代よりも減り、部活動・委員会活動・生徒会活動等、生徒主体の時間が増えます。

ここでだんだん学年にも差が生じます。

そして粉奮いでふるい落される高校時代。

学力に応じてや専門性に応じて・・・もしくは性格に応じて学校に振り分けられます。ただ、学校ごとにカリキュラムも違っていて・・・・

 

わかりますか?

多様性やなんやかんやと言いながら、専門性だとか段階によって振り分けられていくわけです。そして大学に行きます・・・・でも、社会に出たとたんまた混ぜ混ぜされるわけです。それでも一人立ちを強いられる。

『叱る上司に耐える方法・恐い上司に自分の表現をする方法』『助けや援助を求める方法』『自分の取り扱い説明書』『お金の使い方』『1日の生活を考える』

なんて教育受けます????

 

不思議ですよね。昔は師匠と弟子とかの関係や、教育係的な先輩がいたり、仕事はマンツーマンで教えるとかがありましたけど、今はそれすらない。

近くで家業をやったり地域で相談できるご近所さんもいなければ、同僚ともLINEやメールのやりとりなんかで血が通っている感じがしない。

だって、時間帯勤務のコンビニで好きな時間に好きなもの買えるし、なんならネットで注文して宅配便で欲しいもの届くし。。。

 

昔みたいに食うために働いて、血をつなぐために伴侶を見つけて、養うべき子どもを授かって、必死で働くなんてないわけです。

 

もはや働く意味ってなんやねん!ってなりかねない。。

 

だから社会は、私たちは、【働く】ってことをもっと考えなくてはならないわけです。

昔のひとが作った法律や制度に沿って今の現代を生きる人間として、今の現代を生き抜くための策や、これからの自分の生きる土地を豊かにする意味を、もっともっと考える必要があるのです。

昔でいう【勉強すればいい会社に入っていい仲間ができていい人と結婚して幸せになれる】とかいうものは最早伝説です。

今は今なりの働く意味を考えなくては、この社会で生き残ることも、自分と向き合うこともないからです。

私たちはもう本能だけで生き延びようとする猿ではない。

チンパンジーと脳みその作りが98パーセント等しくとも、私たちはたちかに現代日本人として生きている。

だとしたら、もう一度この先を考える必要がある。

・・・と私は思うわけです。

 

 

そうじゃなければ、きっと過労死・孤独死・ひきこもり・自殺等々はますます増え、日本人は減っていくでしょう。

なんか記事がさまざまになってしまいますなー。

だけどさっきネット記事とか読んでて思うとこありますから書きますわー。

 

【発達障がい】って言葉聞いたことありますか?

 

私は近年この言葉に触れる機会が多くなりました。

 

なんやかね。望んでなくても。

 

そんで、

 

発達障がいって言われて苦しんでいる方、

 

発達障がいって言われた人が傍にいて苦しんでいる方。

 

お願いがあります。

 

まずは【自分の取り扱い説明書】を考えてください。

あと、【あなたから見たあなたの周囲の人】の取り扱い説明しょを考えてください。

そして、【あなたから見たあなたの周囲の人に言われた言葉と、そのとき感じたこと】を書いてみてください。

 

なぜって???

 

発達障がいは害じゃないんです。

 

ちょっと脳の枠組みが違くて、

ちょっと考え方や聞こえ方やイメージの仕方や言い方が違ったりするだけなんです。

 

【そんな抽象的なこと言われても困ります!】って言うのなら、

それをご本人の手で文字にしてみましょう。

 

ちなみに、取り扱い説明書とかを持って受診しろって話しはしません。

それはまた別です。

 

まずは自分を知ること、そして相手を考えることと、相手と自分の考え方や感じ方をすり合わせするってだけ。

 

溝があって苦しいなら、その溝を埋めなくても橋をかければいいのです。

 

1本の繋がる何かを創ることが大切。

 

そして自己理解せずに他者理解はなしえないことを認識してください。

 

我が家のつくりを知らなければ町に出られないのと一緒です。

 

 

 

 

我が家は父と母と兄と私だった。

 

母は私が小学校に上がるまでは専業主婦で、内職をしていた。

でも、私が小学校に上がったら、外で働くようになった。

 

相談も何もなく決まった。

 

よく考えれば、私は親や大人に相談や意見をできなかったのは、

きっと勝手に地球が回っていたからかと・・・。

 

壮大なストーリーになってしまうけれど、

勝手に時間や世界が決まってしまっていたからと思う。

私は相談されることもなかったもんだから相談しなかったんだと気付いた。

 

自分の人生はいつも幸せだと思ってきたけれど、修正案はたくさんある!

 

と、いうわけで、

自分の公開整理をしようかと思ってブログをたちあげました!

 

私の人生・価値観・整理の仕方・気持ちの作り方もかければなーって思っています。

愛されたくて愛されたくて

でも愛されて捕まえられてかごの鳥になるのは勘弁。

心で思って、私の好きなことを知って、私だけを見てほしいけど、

私を思うこそに閉じ込めたくなるのなら要らない。

 

 

あまのじゃく。

 

 

私は自由でいて、

そして愛されることが好き。

 

縄を繋がれて犬のように

おうちの前で外を見て、

ぼんやりと過ごしていく日々はお断り。

私はたまに抱っこして餌をもらえる猫でいい。

【帰る場所】じゃなくて【帰ってもいい場所】が欲しいだけ。

 

 

 

あまのじゃく。