みなさま、こんにちは。いつもお世話になってます。盆休みはとうとうご先祖さまに満足なおもてなしもせぬまま過ぎてしまいました。それどころか、生きているご先祖さまにも電話1本したきりで苦情を言われました。「何をしてるの?」「なにかと忙しくて」果たして、家族との時間と、免許と、どちらが大事なのか?だが、考えている場合じゃない。こころが揺れると一本橋から落ちる。落ちるたびに時間が延びる。がんばれ。

 

3回め検定は明日火曜日に設定しました。盆休みが終わったというのに平日ですか。平日です。しょーがないじゃないですか、永久にバイクのことばかり考えているわけにはいかないのです。実際にみなさまもサービス(授業)を受けているときに相手のあたまのなかがバイクに占められていたらかなりイヤじゃないですか。というか、今日から出勤なのですが、教習で黒黒と焼けた身体もこころもどうも職場になじまず仕事(ペーパーワーク)が進みません。

 

もしもうまく行けば、警察署に免許を書き換えに行き、役所に住民票を取りに行き、バイク屋を見に行って契約をし(待てよ、その前に試運転をすべき)、駐輪場を決めます。バイクの駐輪場は屋内と屋外があって、屋外だとカバーをかけてしっかりチェーンをしないとひょいっとトラックに乗せてもっていかれてしまうらしい(カバーとチェーンも買わなくては)。屋内はガレージでないかぎりはバイク可といいながら原付までのところが多いようで、現地に見に行って話を聞かないとアリなのかナシなのかが分からない。

 

ぜんぶ揃ってからも、取りまわしから、適切かつ安全な職場までのコースを見定めるまで気が抜けない。というか、公共交通機関で気を遣うのはせいぜい反対方向の電車に乗ってしまわないこととスマホに熱中するあまり乗り越してしまうことくらいだと思うが、バイクになったら家に着くまで注意が抜けない。というか、注意を抜いて運転できる日もいずれ来るだろうが、その日を自分の命日にせぬようやはり抜かない心づもりでいかないと。運転技術もただラッタッタみたいに乗ってりゃいいってもんでもないだろう。

 

 ⏪ホンダ ラッタッタ

 

前に英会話の集まりに行っていたときに、30代なかばの女子の人が中型バイクで現れたのを見たことがあったけれど、まさか彼女がこんな偉業を成し遂げていたとは思いもよらなかった。もっと「すごーい」って言えばよかった。なかなか自分のなじみのないことは想像力のおよばないものである。

 

とにかく、くどいけれども、バイクというものがこんなにリソースを持っていくものだとはまったく知らなんだ。道理で年頃の男の子がバイクにはまると学業から興味関心がまるっと持っていかれてしまうわけだ。こわいこわい。後戻りするなら、いまだ。という思いがなおのこと、自分を検定に落とすのではないかと思う。

 

ここで初志にもどる。そもそも、原付に乗っていたころ、原付とわたしは相性がとてもよかった。同じ道で帰るかどうか、そのときの気分で決める。まわりみちをする。直線を行く。急ぐ、急がない。山がちの土地で育ったわたしに行動の広がりをくれた。のびのびとして、わたしは原付はわたしの人生をなすパーツのひとつにしようと思ったが、学生最後の春休みに追突で怪我をして手放すことになった(ちっちゃいフラグ)。

 

その後、公共交通機関の発達した平地に住むようになり、家族構成も変わることでますますバイクから遠のき、また、加齢でますます事故へのリスクが増えているいま、もう一度自分に問い直さなければならない。あの高揚感はもう一度得られるのか?

 

教習所には若者ライダーと同じくらいおっさん(おばさん)ライダー候補生がいる。もういちど、あの日を生きたいと思うのは珍しいことではない。あの日の自分はぜんぜん事故などこわくなかった。右直事故などという言葉すら知らなかった。それでいいんだと思う。道路を60キロで走るほんのちょっと先の自分の前にはどのような世界が広がるだろう(叩きつけられるアスファルトではありませんように)。

 

死んでるみたいに生きたくないと思ったあの日の気持ちに還るためにも、とりあえず、検定がんばろう。11月の検定期限まで取れなかったら、それは神様がそのほうがいいと考えたのだと思うことにする。インシアッラーで行こう、と言っている隙に13時15分をまわる。昼休みを終えて仕事に戻ります。それではまた。