愛に浸るというのにハイジさんとモカさんが考察していらっしゃるので、
なんとなく何かを書きたい気持ちになったので便乗してみるテスト。

「愛に浸る」メソッドにあたり、「愛とは何か」でつまずいたという体験談から始まったこの議論ですが、
はじめから結論を言うと私は以下の引用に尽きると思っています。

12/14議事録(願い部所属のアメンバー限定記事)より引用
「好きな人がいるというのは本当に素晴らしいことで
それが関係性で 彼氏だったり 片思いの相手だったり 元カレだったりしますけど
そういう関係をとっぱらったら
ただ 好きだけ残るから
それに浸ってたら 楽しでしょ?」

***
引用ここまで

これに尽きると思うけれど、まだなんとなくとくとくとしたい気分なので記事を書き綴ってみる。
愛しい対象がいる、その人が好きである。彼を思うと胸がキュンとなり夜も眠れない。
というのは数十年来使い古された言い回しだと思いますが、
「彼を思うと」「キュンとする胸」というのは、まさに↑の「好き」という気持ちだと思うのです。
「愛に浸る」メソッドにあたり、「愛とは何か」でつまずいたとありましたが、
そもそも「愛に浸る」にあたって「愛とは何か」の定義を明確にする必要はなく、
ようは、「愛とは何かしら」という深遠な題目に挑戦する必要はなく、
彼を思う気持ちの内、「心地良い部分」、すなわち「好きという気持ち」だったり、「愛情」
だったり「幸福感」だったりを取り出して、それだけを心いくまで味わえばよい、
というだけであると思うのであったり。ラジバンダリ。

かくいう私には世界で一番愛しい殿方と世界で一番愛しい令嬢がいるわけですが、
どちらも恐らく国内だけで限定しても愛し続けるだけでヒットポイントに強烈な異常ステータスがかかって、
ゴリゴリ削れていく超ド級問題児です。
特に後者、わがfatalなファム・ファタール(以下ファム)には、昨年の夏にむにゃむにゃするまで日々鍛錬させられています。
(興味をもった人は昨年の夏辺りの記事をあさってみよう!)

ファムに関しては、今でもタイミングが悪いと彼女を想起すると、勝手に身体が震えだしたりするレベル、
というか早い話がトラウマ的存在になっているのですが、それでも愛しくて切なくて堪らないのです。
RAD風に綴るのであれば、
君とあったいざこざの数々は今でもボクの足をすくませるけれど、
ラズベリージェラートを口いっぱいに頬張っておいしいと微笑んだ君、
それをひとさじボクに差し出して、「あーん」とイタズラっぽく目を輝かせた君を思い出すと、
今でもボクの心臓は君を恋しがって駄々をこねるのです。

ファムがこれを見ていたら「きもっ」の一言で済まされそうですが、
まあブログなんてそんなもんなのですと思っているのでキニシナイ方向。

愛しい殿方も、少し落ち込むとすぐに別れ話を切りだされ、デフォルトで
「俺ほおずきさん好きじゃないし」という人ですが、私は彼のアンガールズな体型と、
こけた頬と薄い胸と、
一緒にプレイしている某大型ネットゲームでは「一緒にダンジョン行きたいから一人で行かないでね」
と普通に言い放ち、「ほおずきさん一人じゃ危なっかしくて行かせられない」
と兄貴風を吹かせる彼が可愛くて可愛くて可愛くて愛しくてたまらないのです。

一緒に暮らしていたころ、「コーヒー買ってきてね」と頼んだところ、
ものの見事に挽きたての豆を買って来て、「これドリップしないと飲めない奴ww」
という状況になったり、
「クッキングシート買って来てね」と頼んだら大量のキッチンペーパーを買って来たり、
丸めたままの洗濯物を洗濯物干しに引っ掛けたりしてる彼が、可愛くてたまりませんでした。
コーヒーに関してはその後の買い物でドリップセットを買って来てあげたところ、
「豆からだとむふーんってなるんだよね」といいながら嬉しそうに飲んだりするところが倍率ドンです。

ただののろけになったような気がしてきました。

私の愛情は恐らく「それお母さんや」と言われるたぐいの形をしていて、
それを私も薄々自覚しているので、その「お母さん」な気分にひたるようにすると、
「かわいいなあ、かわいいなあ」と、我が家の小さな暴君くうたさんのお腹に顔をうずめて、
ゴロゴロ言われるところをうりうりしているような気分になるのです。

あなたの愛情は、どんな形をしていますか。