なんとなく半分地下にもぐって色々滞りがちなので、しぱっと近況報告をしようと思い、筆を執ってみました。
いろいろ滞り、ご迷惑をおかけしていること、まずは深くお詫び申し上げます。
同居している還暦過ぎの実母が大腸がんで現在入院中です。
先週入院して、昨日手術が終わりました。
一昨年一度、原因不明で朝のラジオ体操中に転倒し、顎と歯茎の骨折をしてから、あちこちを悪くしていたのですが、
通院していた漢方メインの内科で、貧血がひどいことから内臓からの出血を疑われ、
なぜか充実している検査機器での検査の結果、大腸の、上行結腸という場所に大きな影が見つかりました。
その後、都内の大学病院でPETなどの精査の結果、開腹手術となりました。
腹壁・尿管への浸潤が疑われていましたが、開腹の後、どちらへも浸潤がないことがわかり、上行結腸と、
周囲の転移が疑われるリンパ節を含む腹膜を切除の後、お腹を閉じたそうです。
最近の手術はそうなのかわからないのですが、最後の処置が終わる前に、私と、付き添っていたもう一人の家族が手術室脇の部屋へ呼ばれ、
切除したガンを見せられました。
ガンの部分がコンビニのおにぎりくらいありました。
母は、平たく言うといわゆるガチガチの医療不信です。
一昨年の転倒以前から、更年期をこじらせて心療内科に通っていたのですが、そこで、母いわく
「これ以上どこの検査をするの? 良くなりたかったら抗鬱剤を【たっぷり】飲まないと無理だよ」
(仮にも医師と思われる人が、このような言い回しをするのかは疑問ですが…)
と言われて、これ以上薬を飲みたくないと思って色々迷った挙句、なぜか漢方系のクリニックの門をたたき、
「この体調の悪さはどこか悪いところがあると思うよ。胃カメラとか内視鏡とかやったほうがいいよ」
と勧められたのですが、一年近く拒否し続けた後、重度の貧血→毎日鉄剤の点滴→いい加減検査をしたほうがいい、という流れになりました。
私は、話だけに聞いていた心療内科は元々よく思っておらず、セカンドオピニオンを勧めていたのですが、
「とにかくこれ以上病院に行きたくない」の一点張りの母にもう何も言う気にならなくなり、その後のクリニックへの転院などの流れも、
基本的に放置していました。
その結果が、おにぎり大の大腸がんでした。
血を分けた娘として、そうなるまで放置していた私の責任、家族の責任はあると思います。
けれど、それを見て私が思ったのは、「これが責任っていうやつかなあ」という思いでした。
Twitterで、エピペンの是非が軽く論争になっていました。
エピペンとは、いわゆるアナフィラキシーショックの症状が出て危険なとき、医療に明るくない人でも簡単な処置でエピネフリンを注射して、
急場をしのぐための薬剤です。
エピペンは「劇薬」であり、無論副作用の危険性もあるのですが、以前ニュースでも騒ぎになったように、
学校給食などで除きそこねたアレルゲン(アレルギー原因物質)を子供が食べてしまったような場合、一秒も争うような状況の時に欠かせない薬剤です。
今回の記事はエピペンの是非についてが主題ではないので多くは述べませんが、AEDと同じく、
「リスクはそれなりに大きいが、活用出来れば多くの命を救うことが可能」と見られるものです。
Twitterで論争になっていたのは、このエピペンの副作用の部分を取り上げ、「エピペンは救急車にも積んであるエピネフリンと同じ成分ですから、
(危険のほうが大きいので)一般人が持つ必要はない」という主張をする人を軸とする論争でした。
私の身内にはエホバの証人がいますが(私自身は特定の宗教には属しておりません)、彼らが輸血を教義のため拒否しているのは有名な話です。
輸血は、様々な感染症のリスクを負っています。私の父方の祖母は、輸血で感染した肝炎が元の肝がんで亡くなったそうです。
少しまとまりのない文章になってしまいました。
私自身、医療事故に遭ったこともあり、医療は万全なものでも完全なものでないということは知っているつもりです。
けれど、それと同時に、医療は人を救うために存在していることも知っているつもりです。
どんな人間もミスを犯します。また、そのミスを隠蔽しようとする人もどこにでもいます。
医術は仁術で聖職であり、ゆえにミスも、ミスの隠蔽もあってはならない、と言う人もいますが、
医術だってそれを行うのは血の通った人である以上、目を覆うようなミスも、後ろ暗い場所も、必ず存在すると思います。
それでも、自分を守るためには、そういう人たちに、ときに自分の命を委ねることも必要なのではないだろうかと思うのです。
私の母は、(私から見て)医療に過剰な不信感を抱き、結果、お腹の中に、おにぎり大のガンを抱えることになりました。
さぞかし苦痛だっただろうと思いますが、それも、母がそうなるように行動してきた結果なのだろうと思います。
誰かを信じることが出来なければ、その誰かからの恩恵も、受けることは出来ません。
母に、それに気付いてほしいな、と思いました。
乱文失礼いたしました。
ほおずき
いろいろ滞り、ご迷惑をおかけしていること、まずは深くお詫び申し上げます。
同居している還暦過ぎの実母が大腸がんで現在入院中です。
先週入院して、昨日手術が終わりました。
一昨年一度、原因不明で朝のラジオ体操中に転倒し、顎と歯茎の骨折をしてから、あちこちを悪くしていたのですが、
通院していた漢方メインの内科で、貧血がひどいことから内臓からの出血を疑われ、
なぜか充実している検査機器での検査の結果、大腸の、上行結腸という場所に大きな影が見つかりました。
その後、都内の大学病院でPETなどの精査の結果、開腹手術となりました。
腹壁・尿管への浸潤が疑われていましたが、開腹の後、どちらへも浸潤がないことがわかり、上行結腸と、
周囲の転移が疑われるリンパ節を含む腹膜を切除の後、お腹を閉じたそうです。
最近の手術はそうなのかわからないのですが、最後の処置が終わる前に、私と、付き添っていたもう一人の家族が手術室脇の部屋へ呼ばれ、
切除したガンを見せられました。
ガンの部分がコンビニのおにぎりくらいありました。
母は、平たく言うといわゆるガチガチの医療不信です。
一昨年の転倒以前から、更年期をこじらせて心療内科に通っていたのですが、そこで、母いわく
「これ以上どこの検査をするの? 良くなりたかったら抗鬱剤を【たっぷり】飲まないと無理だよ」
(仮にも医師と思われる人が、このような言い回しをするのかは疑問ですが…)
と言われて、これ以上薬を飲みたくないと思って色々迷った挙句、なぜか漢方系のクリニックの門をたたき、
「この体調の悪さはどこか悪いところがあると思うよ。胃カメラとか内視鏡とかやったほうがいいよ」
と勧められたのですが、一年近く拒否し続けた後、重度の貧血→毎日鉄剤の点滴→いい加減検査をしたほうがいい、という流れになりました。
私は、話だけに聞いていた心療内科は元々よく思っておらず、セカンドオピニオンを勧めていたのですが、
「とにかくこれ以上病院に行きたくない」の一点張りの母にもう何も言う気にならなくなり、その後のクリニックへの転院などの流れも、
基本的に放置していました。
その結果が、おにぎり大の大腸がんでした。
血を分けた娘として、そうなるまで放置していた私の責任、家族の責任はあると思います。
けれど、それを見て私が思ったのは、「これが責任っていうやつかなあ」という思いでした。
Twitterで、エピペンの是非が軽く論争になっていました。
エピペンとは、いわゆるアナフィラキシーショックの症状が出て危険なとき、医療に明るくない人でも簡単な処置でエピネフリンを注射して、
急場をしのぐための薬剤です。
エピペンは「劇薬」であり、無論副作用の危険性もあるのですが、以前ニュースでも騒ぎになったように、
学校給食などで除きそこねたアレルゲン(アレルギー原因物質)を子供が食べてしまったような場合、一秒も争うような状況の時に欠かせない薬剤です。
今回の記事はエピペンの是非についてが主題ではないので多くは述べませんが、AEDと同じく、
「リスクはそれなりに大きいが、活用出来れば多くの命を救うことが可能」と見られるものです。
Twitterで論争になっていたのは、このエピペンの副作用の部分を取り上げ、「エピペンは救急車にも積んであるエピネフリンと同じ成分ですから、
(危険のほうが大きいので)一般人が持つ必要はない」という主張をする人を軸とする論争でした。
私の身内にはエホバの証人がいますが(私自身は特定の宗教には属しておりません)、彼らが輸血を教義のため拒否しているのは有名な話です。
輸血は、様々な感染症のリスクを負っています。私の父方の祖母は、輸血で感染した肝炎が元の肝がんで亡くなったそうです。
少しまとまりのない文章になってしまいました。
私自身、医療事故に遭ったこともあり、医療は万全なものでも完全なものでないということは知っているつもりです。
けれど、それと同時に、医療は人を救うために存在していることも知っているつもりです。
どんな人間もミスを犯します。また、そのミスを隠蔽しようとする人もどこにでもいます。
医術は仁術で聖職であり、ゆえにミスも、ミスの隠蔽もあってはならない、と言う人もいますが、
医術だってそれを行うのは血の通った人である以上、目を覆うようなミスも、後ろ暗い場所も、必ず存在すると思います。
それでも、自分を守るためには、そういう人たちに、ときに自分の命を委ねることも必要なのではないだろうかと思うのです。
私の母は、(私から見て)医療に過剰な不信感を抱き、結果、お腹の中に、おにぎり大のガンを抱えることになりました。
さぞかし苦痛だっただろうと思いますが、それも、母がそうなるように行動してきた結果なのだろうと思います。
誰かを信じることが出来なければ、その誰かからの恩恵も、受けることは出来ません。
母に、それに気付いてほしいな、と思いました。
乱文失礼いたしました。
ほおずき