どちらかというと

 

私は歩くのが早い方なので

(残念ながら走るのはニガテです)

デパートや

 

天神の地下街の人ごみの中を歩くと

急に立ち止まる人がいたり

ゆっくりとウィンドウショッピングを

 

する人もいるので

思うように前に進めなくて

多少困った思いをすることがあります。



何故か、ゆっくりと歩くことは

 

意識しないと出来ません。

知らず知らずのうちに

 

いつの間にか早足になってしまいます。(笑)

ときどき周りの人の歩き方が

 

気になるときがあります。

というのも

 

私が憧れるような、背筋を伸ばして

颯爽と歩いている人が少ないからです。



最近は誰もが、それなりにお洒落で

 

それなりにセンスもあり

女性の私から見ても

 

美しいなあ、と思う人が多いのですが

姿勢が悪く、歩き方がぎこちないために

その美しさが半減してしまい

 

勿体ないなあ、と思うことがあります。

 

(大きなお世話、人の振り見て

 

我が振り直せって話ですが)




流行の髪型や靴にバッグ

 

オシャレな服をまとっても

姿勢が悪いだけで

 

印象が変わってしまいます。

着飾らなくても

 

Tシャツとジーンズだけで

背筋を伸ばして颯爽と歩いている人って

それだけで素敵です。

 

(母の日に娘からもらった花束)

 

 

人を見た目だけで

 

判断してはいけませんが

 

それでも見た目は大事です。

 

「人は見た目じゃないと思ってた」

 

という、ドラマもあったようですが…

(私は観ていないので

 

どんな内容だったのか?)

 

 

 

ただ、さり気ない仕草や言葉遣いで

 

その人がどういう人かは

 

伝わってきます。

 

もちろん

 

見た目とは真逆ってこともあるので

 

一概には言えないですが…。

 

 


歩き方にはそのときの

心の状態が無意識に表われて

落ち込んでいたら

 

顔を上げて背筋を伸ばすのは

難しいでしょうし

 

気持ちが前向きで

 

それこそシャンとしてたら

自ずと姿勢はよくなりそうです。

 




「上を向いて歩こう」

 

の歌ではありませんが

上を向いたら涙もこぼれないし

自然と明るい気持ちになって

颯爽と歩くことが出来そうですね。

昼間だったら空を見上げて

夜だったら星を見上げて

颯爽と歩く人になりたい

 

そう思います。

 


 

ただしこの年齢になったら

 

足元にも気を配らないと

 

つまずいてしまいそうだし

 

特に暗くなったら物騒なので

 

歌のように上を向いて歩くのは

 

要注意かもしれませんね(笑)

 

世の中を見渡すと

 

どうしてもネガティブな情報が

 

多く飛び交っているように思えます。

 

ニュースやSNSでは

 

そういう内容のほうが

 

注目されるのでしょうか。

 

素敵な話、ポジティブな話も

 

たくさんあるはずですけど。

 

 

 

ただ、以前聞いたことがあります。

 

人間の脳は

 

ポジティブなことよりも

 

ネガティブなことに反応しやすいという

 

研究結果が出ていると。

 

それは実は脳の防衛反応でもあるので

 

仕方ないことだそうです。

 

それはそれとして受け止めるとして

 

ネガティブな情報に

 

振り回されたくはありません。

 

 

 

政治や経済の世の中の動きについては

 

関心はありますが

 

私ごときが考えたところで

 

解決するわけではないので

 

難しいことは

 

専門家にお任せするとして

 

私は自分がいかに

 

平和で楽しく穏やかに生きるかだけに

 

集中したいと思っています。

 

 

 

そんなことを考えていたら

 

ふと浮かんできた言葉があります。

 

「すべて世は事もなし」

 

※「この世は全て安泰である、何事もない」

 

という、世界や人生を肯定する

 

安堵感や幸福感を表す言葉。

 

昔読んだ「赤毛のアン」の最後でも

 

アンが呟く言葉です。

 

 

 

この言葉は、上田敏の訳詩集にある

 

ロバート・ブラウニングの詩

 

『春の朝(あした)』の結びです。

 

時は春、 

日は朝(あした)、

 朝は七時、

 片岡に露みちて、

 揚雲雀(あげひばり)なのりいで、

 蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、

 神、そらに知ろしめす。

 すべて世は事もなし。

 

この詩のような心境で

 

毎日を暮らせたらどんなにいいでしょう。

 

「すべて世は事もなし」と。

 

 

「上田敏」翻訳の詩集は

 

若かりし頃、心惹かれ読みました。

 

最近まで朝ドラで放送されていた

 

小泉八雲(ラフカディオハーン)の

 

教え子でもある「上田敏」。

 

八雲から

 

「一万人中、ただ一人の

 

英語で自己表現できる日本人」と

 

才能を絶賛された優秀な門下生で

 

深い師弟関係にあったそうです。

 

 

 

日本語で表現するのも難しいのに

 

英語を日本語に翻訳して

 

感動を与えるなんて

 

素晴らしいことですね。

 

ただ意味を伝えるだけでは

 

感動は生まれないでしょうから。

 

 

 

ある出版社のウェブマガジンに

 

「詩を読むことが

 

心身の健康につながる!?」

 

という記事がありました。

 

詳細は省きますが

 

まさに我が意を得たり、の気分です。

 

私も好きな詩を

 

頭に思い浮かべると

 

気持ちは落ち着き、晴れやかになれます。

 

 

 

いろんなことはあるけれど

 

「すべて世は事もなし」

 

そう思って暮らしていきましょう。

まだ私が20代後半の頃のお話です。

 

二人の子どもが

 

小学校に上がる前のこと。

 

急に夫が病に倒れ

 

入院することになりました。

 

原因不明ということで

 

検査をすることになり

 

主治医の先生から呼ばれました。

 

 

 

そこで言われたのは

 

「結果が出るまでに

 

2週間ぐらいかかりますが

 

最悪のことも考えてて下さい」

 

というあまりに惨い言葉。

 

私は頭の中が真っ白になりました。

 

 

 

幼い子どもたちを抱えて

 

どうやって生きていけばいいのか

 

実家に戻るしかないのか

 

いろいろな思いが胸をよぎりました。

 

何とか、夫の前では明るく振る舞い

 

自宅に戻ってから

 

一人、涙する日々が続きました。

 

ですが結果から申しますと

 

最終的に病気の原因は不明でしたが

 

3ヶ月の入院治療で

 

無事に復帰することが出来ました。

 

 

 

その3ヶ月で

 

私は大切なことを学びました。

 

入院前の家族4人で暮らしていた

 

平々凡々の暮らしが

 

どんなに有り難いことであったのか

 

ということ。

 

 

 

検査結果が判るまで

 

私は心の中でずっと祈っていました。

 

「神さま!お願いです。

 

贅沢なことは何も望みません。

 

物もお金も多くは要りません。

 

フツーでいいのです。

 

又家族4人で

 

暮らせるだけでいいのです。

 

私の願いはそれだけです!」

 

 

 

何のチカラもない私は

 

天に向かって

 

祈ることしか出来ませんでしたが

 

お陰様で私の願いは

 

聞き届けられようです。

 

これ以上の幸せなどないことを

 

若いときに知ることが出来た私は

 

逆に幸運だったと今でも思えます。

 

 

その後も紆余曲折

 

さまざまな出来事はありましたが

 

私がずっと幸せだったと

 

自信を持って言えるのは

 

そういう体験が

 

あったからかもしれません。

 

そして否応なしに

 

かなり、私、強くなりました。

 

 

 

残念なことに数年前

 

夫はあちらの世界に還りましたが

 

少し微笑んでいるように見える

 

遺影写真を見ながら、時々話しかけます。

 

私は幸せに暮らしてるよ、と。

 

 

 

失ってから、ありがたさを知っても

 

遅すぎます。

 

人間は痛い思いをしないと

 

理解出来ないように

 

なっているのでしょうか。

 

当たり前の生活を失う前に

 

その当たり前が

 

どんなに恵まれていることなのか

 

気付くことは難しいのでしょうか。

 

 

 

フツーで当たり前と思えることって

 

実はとても贅沢なことです。

 

生きているのだから

 

いろんなことはあります。

 

不平不満な思いもあって当たりまえ。

 

ですが、それも含めて言えることは

 

何の変哲もない平凡な暮らしこそが

 

実は奇跡なのだ、と。