遅くなりましたm(_ _)m
宮城県に行ってからちょっとドタバタしてました。
おまかせでもアッコさんがニュース&新聞等で被災地のすごさが分かるけど、現地に行って本当に心が痛みましたって言ってましたが
小由里もおばあちゃん家から仙台市内の親戚の家に行く途中、名取市とかを通りました。
あの近辺の海には小さい頃に遊びに行ったりしていたんですが、景色が全く変わってしまいびっくりしました。
家があった所には何もなく、田んぼとかあった所にはないはずの車や大木、家……屋根…
本当に信じられない光景を目の当たりにしました。
東京ではもう皆ほぼ普通の生活をしていますが
被災地は2ヶ月たった今もまだまだ乗れなくなった車があちこちにあったり、瓦礫がそのままの状態になっていたり、火事になった工場がそのままの状態になっていたり、トラックが逆さまの状態になっていたり、街中に船があったり…道路脇には色んなものがあったり………。
本当に本当にどう口で表したらいいのか分からないくらい悲惨な光景でした。
その光景を見る前、おばあちゃん家に着いたその日に亨ちゃん(父)の弟から地震後すぐの街の状況や親戚、友達の話し……ニュースとかでは言っていなかった津波直後の話し……
そして、おじさんが消防団の活動をやりながら聞いたという街の人たちの話しなどを聞いていたので尚更2ヶ月前のあの日の街の様子が2ヶ月後の街の様子と重なりすごい胸がいっぱいになりました。
アッコさんが言ってたとおり、そのときだけじゃなくこの先何年も復興するまで周りの人たちが協力をしていかなければいけないと強く心に思いました。
そして、2ヶ月以上経った今でも避難所で生活している方々のためにも自分の目で見たありのままの被災地を少しでも多くの方に知ってもらい
そして今後も皆さんに協力していただけたらと思い記事にしました。
言い方が変かもしれませんが、小由里自身あのすごい光景を目にして
すごい…
何で?
どうして?
という言葉しか出てきませんでした。
本当にすごいあの被災地の現状を見て来た小由里が、少しでも多くの方々に2ヶ月以上経った“被災地の今”を伝えられたらと本当に思っています。
津波に巻き込まれた方の信じられないお話し……
本当に本当に耳を疑いました。
被災地を見てから被災された方々の言葉を思い出すと
今までの生活に早く戻りたい
早くいつも通りの生活を送りたい
普通の日々がどれだけ幸せなことなのか、当たり前のような生活がどれだけ幸せなことなのか…
すごく考えさせられました。
募金&支援物資など今もしてくれている方もたくさんいらっしゃると思いますが、これからも復興するまで少しでもよいので続けていってくれたらと思いますm(_ _)m
小由里も続けていきたいと思いますので皆さん、宜しくお願いいたしますm(_ _)m