東日本大震災が起きた時
私は0歳の赤ちゃんを抱っこしていました
揺れがおさまった後
TV・ラジオをつけて
愕然としました
どうしよう
なんとかしなくちゃ
そう思うのに
何もできませんでした
ショックで母乳が出なくなってしまい
本当に何もできなくて
そんな自分が情けなかったです
でも
まずはこの子をしっかり育てよう
そしてこの子が大きくなって
少し手が離れたら
福島へ行こう
それまで
自分にできることを
考えよう
そう思っていました
そして昨日
福島県双葉郡富岡町の「福祉まつり」で
落語をやらせていただきました
富岡町は
2017年に避難指示が解除されましたが
帰宅されているのは
まだ人口の1割ほど
この日のために
それぞれの避難先から帰って来られた方も
たくさんいらっしゃいました
つたない落語でしたが
みなさんが笑ってくれました
たくさんの方と
おしゃべりすることができました
いろんな想いを
聞くことができました
8年半かかってしまいましたが
これからも
何ができるのか?
考えていきたいと思います