日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業
                       北宏一郎(化学兵器被害解決ネットワーク)

戦後の三井化学ー三井東圧

敗戦直前、大牟田市は米軍によって5回の空襲を受け、焦土と化しました。特に8月7日の集中的な爆撃で三井の軍需工場としての役割は終わりました。
 戦後は軍需会社からの転換、石炭化学を中心に事業を展開し始める。しかし・・・

三塚化学から三井東圧へ
1968年10月三井東圧が誕生します。








科研を視察する昭和天皇(中央)。久村所長が先導している(元科研職員の小野田悦郎さん提供)





この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

埋もれた細菌戦調査書
米中の生物兵器開発?



●細菌戦裁判

資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

第6部
資料・731部隊細菌戦裁判第1審判決全文

第4 日本民法に基づく請求について

1  民法709条、710条、711条及び 723条に基づく請求について

 原告らは国家賠償法が制定される前の事件には、基本法に戻って民法が適用されるとし、被告は民法709条、710条、711条及び723条によっても、損害賠償及び謝罪の義務を負う旨主張する。
 しかしながら、前述の通り、国家賠償法施行前においては公権力の行使に伴う損害について私法たる民法の適用はなく、損害賠償責任は否定されていたから、原告らの上記主張は失当である。









●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。



731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)



旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!
731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記










日本の中国東北侵略から92年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


五月二六日

参考至に 青軍ー駅関係の人 赤軍ー事務所関係の人 白組ー練工関係の人
巡察あり 新記録作らんとすれども駄目。
その内に珍しくすましているべき奥さん連中の算術競争と 婦人に似合いのお盆にお茶を入れて持ってくる競争があった。何分正装の事とて見事な事おびただしい 白足袋のまま大きなお尻を振り振り走る様は中々見事なものだ。この頃の人は中々元気がある 支那人は喜んでいる。タイピストとかなんとか云ふ事務所のモダン嬢さんもなかなか見事だ。ただし顔のまずい事は十人並みだ 何しろ遠目は非常に感じよく青いカミシモを付けて旗持って立っていた所は 見事な女応援団長にも見えるが そばに来た時に見たら 丁度屋根から落ちた大福の如き上から潰れた様に丸平たい顔だ、支那人には喜ばれそうだが、日本人向きではない。



「ずっと父が嫌いだった」

軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

河のある風景

眼を閉じて腕をひらけば 河岸の風の中に
白骨を地ならした此の都市の上に
おれたちも
生きた 墓標


メアリーが伝えるヒロシマ
広島原爆投下
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
封印された原爆報告書
封印された原爆報告書
日本政府は、原爆が投下された後、その威力調査を行ない、その結果をまとめて、戦後、アメリカへ英訳して渡した。被爆者の治療は殆どされず、人体実験迄行われた。

 


 

 

 

 




●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行

『細菌戦部隊』
731研究会編

Ⅰ 731部隊

731部隊破壊と証拠隠滅作業
ロ号棟に書かれた血文字が一生忘れられない

篠原鶴男(しのはらつるお)
731部隊・教育部
〈略歴〉
1926年生まれ
1945年5月 731部隊入隊(教育部に所属)第8分隊
1945年8月 帰国
■この証言は鹿児島731部隊展(1994年1月)の『報告集』をもとに本人がまとめたもの

帝銀事件

 その後サンフランシスコ講和条約が結ばれ、戦後処理が一段落しました。もう誰からもとやかく言われないだろうと思い、私は再び会社勤めを始めました。その後、自ら事業をはじめ、今日に至っております。
 戦争の時には、私の周りからも有能な人材が戦死していきました。あのような忌まわしい戦争は、2度と繰り返してはいけないと思います。永遠に平和であってほしいと願うものです。


日本軍政下香港(1997.7.27)

●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行


速記録
(平成3年9月9日第11回口頭弁論)
意見書を拝見しますと、そういう状況の中で、アメリカが調査を始めた動機というのは、日本がやった人体実験の成果の情報の独占である、そのことのためにアメリカはそれと引き換えに731部隊幹部の戦犯免責をしたとありますけれども、こういう認識は学界の一般的な理解なんでしょうか。

 その通りです。

一例を伺いますけれども、例えば、一審で証人として出られました、秦郁彦さんなんかは、どう言っておられますか。

 秦さんもこの点は認めておられまして、他にパウエルだとか様々な人が、この点は動かぬ証拠がありますので、認めざるを得ないということです。

3番目のレポートである「フェル・レポート」、4番目のレポートである 「ヒル・レポート」これにはいずれも人体実験の記載がありますね。

 その通りです





消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」















●毒ガス戦

『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明(2004年発行)




Ⅲ 日中戦争の全面化と本格的使用の開始  1937―1938

2 武漢攻略作戦

第2軍の戦闘

 使用のほとんどは、日本軍の進攻時であったが、 10月2日、第10師団鳥取歩兵第40連隊第3大隊は前進する国民党軍攻撃部隊を見て、側面から不意にあか筒10本を使用し、前進を阻止することに成功した。



海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!


略史
昭和 5年  海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設昭和 8年  平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設
昭和 9年  海軍技術研究所化学研究部として独立
昭和12年  特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに
昭和17年  相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる
昭和20年  終戦、廃廠
 第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。
相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。
海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。(相模海軍工廠より)

A事案区域内における土地改変時の対応について より
*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内)
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内)
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市・船橋市内)
遺棄毒ガス・砲弾被害賠償請求事件 東京高裁 判決 2007.7.18
中国での毒ガス兵器遺棄を巡る戦後補償問題


大久野島の歴史

Ⅲ:大久野島毒ガス工場の稼働

② 毒ガス工場の拡充と毒ガス製造の増大

 また夏季になると従業員は四塩化炭素の気化ガスを吸って頭痛、嘔吐に悩まされました。1942 (昭和17)年になると中国での戦場は拡大し、あちこちで戦闘膠着状態が生ずる中、接近戦用に99式発射発煙筒が開発され、水上発煙筒とともに製造が増大しました。発煙筒の使用の増大は毒ガス使用が増大した時期とも重なります。大久野島での発煙筒の製造量のピークは1942(昭和17)年でした。この頃、島内の作業場所が手狭になったため、発煙筒の工室も忠海町の徳浜地区(駅の裏)に移転し製造が続けられました。


SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く - 未来に残す 戦争の記憶





 

















核時代39年(1984年)5月初版発行

●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)


戦争に正義はない
           森村誠一
 だが戦争は、侵略であれ、防衛であれ、必ず被害と加害の両面を持つ。自国が他国に対して犯した加害を記録しようとする時、必ず立ちはだかるのは、「自国の恥を世界に晒すな」という国の名誉擁護論と、「自国だけが犯したわけではない、戦争になればどの国でも同じような非道を犯す」という反論である。
だが、明らかな「侵略」を「進出」と強弁し、かつて国が犯した過ちを糊塗しようとする態度と、過去の過ちを率直に認め、2度と同じ過ちを繰り返すまじとする姿勢と、どちらがフェアであるか、論を俟たない。また戦時下の非道は自国だけではないとする反論も、どちらがその戦争を仕掛けたかによって非道の性質が異なってくる。















●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

●『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著


第3編 主要極秘文書
1 三矢研究
昭和38年度統合防衛図上研究
(三矢研究)


研究―四
 三矢研究事前研究項目(対米関係事項)

第4 朝鮮戦線と日本防衛作戦との関係


3 朝鮮戦線に対する在日米軍の支援作戦

(3)在日米海軍の朝鮮戦線に対する支援作戦
ハ MSTS
3軍の人員、資材、物資等の作戦輸送を実施する。
ニ 第7艦隊(参考)
(イ) 朝鮮戦線に対し次の海上諸作戦を実施する。
a  朝鮮周辺海域における制海権
〇対潜作戦
〇航空諸作戦
〇通峡阻止(対馬海峡)
〇封鎖作戦(敵基地)
〇対水上作戦
〇潜水艦作戦
b 要地・基地攻撃(OM〔GM の誤りであろう〕艦砲、航空機による)
c  両用作戦
d 機雷戦、対機雷戦
e  陸上戦闘に対する近接航空支援
f  哨戒、偵察(艦艇、航空機)
g  護衛作戦
(ロ)朝鮮戦線に対する作戦実施に際しては第7艦隊は佐世保及び横須賀を作戦基地として使用する公算が極めて大きい。









第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1



金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)



Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る

国会におけるBC兵器論争

68年2月の衆議院予算委員会における楢崎代議士(社会党)の質問も、催涙ガスに関連した自衛隊のBC兵器装備の実態に鋭く迫っていくわけで、69年8月2日には前述のように「在日米軍及び自衛隊における化学・細菌作戦についての質問主意書」が出された。
 以下、68年2月の衆議院予算委員会における「自衛隊と毒ガス問題」の質疑を再録してみよう。

〇楢崎委員  これはすぐわかることです。事務当局でもよろしゅうございますよ。それでは国家公安委員長にお伺いします。あなたはこれを使った張本人だから、この有機溶剤の取り締まり規則に触れるかどうか、お答えください。
〇赤沢国務大臣  四塩化エチレンは、アセチレンにクロールガスを作用して、作ったものですが、これは普通の洗剤の原料として使われておりますけれども、ただいま申されたものに該当するかどうかということはそこまで調べておりません。
〇楢崎委員  あなたはそういうことも調べないで、それを人体実験したのですか。どうですか、こういう法的な関係を全然警察は調べもせずに佐世保で使ったのですか。





第5代衛生学校長

井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1938年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)




イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ
















●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか








●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!



第2部    仁愛の政治

1922(大正11)年―1930(昭和5)年


1、摂政時代と大正デモクラシーの危機

 V

清浦〔超然内閣〕は選挙によって選ばれた衆議院の意思を無視し、天皇に任命される貴族院の指導者に基礎を置いており、議会政党を刺激して、第2次護憲運動と呼ばれる彼らの権利擁護運動を開始させた。政党は摂政の支持した清浦内閣を5ヵ月で崩壊させた。1924年5月10日の総選挙で「護憲3派」が大勝し、6月7日、内閣が総辞職したのである。摂政は京都で病気療養中の西園寺に使者を送り、西園寺は憲政会総裁の加藤高明を後任に推した。加藤は直ちに大正デモクラシー運動の勝利を象徴する3派の内閣を組織した。しかし、寡頭支配と特権階級の力に対する政党連合の勝利は、わずかに25年の夏まで続いただけであった。それ以後は議会内の抗争が再燃し、「国体」つまり天皇制が、互いに反対を攻撃するための政党の有力な武器になった。





日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, 
the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

IMAGINE9
解説
解説
09
9条がゆきわたった世界
「武力によらずに平和をつくる」という日本国憲法9条の考え方は、国家や人種、 民族の壁を越えて「地球市民」として生きていくための共通の鍵となります。
 「世界中の国が憲法9条をもてば、すべての国は戦争ができなくなる」、それは無理なのでしょうか。いいえ。奴隷制に苦しんだ黒人の人びとが、人間として生きる権利を獲得したように、長いあいだ社会から排除されてきた女性たちが参政権を得たように、戦争も、私たちが働きかければなくせるものなのです。
 第2次世界大戦を経験した人類は、「もう2度と悲惨な戦争を繰り返してはならない」という思いで、国連をつくりました。国連憲章は、「武力行使をしない」「軍事費は最小限にする」ことを定めました。しかしその国連憲章がつくられたあとに、広島と長崎に原爆が落とされ、戦争は終わりました。そして、日本の憲法9条が生まれました。

憲法9条を生かそう!!
『鹿屋(かのや)航空基地  史料館』(鹿児島県鹿屋市)について

~ご理解していただきたいことを文章にしました~

2022年7月17日記  鶴ヶ岡裕一(都内在住)

戦後、長い間、自衛隊に取り込まれてきた史料館を、今ここで取り戻して、別の場所に新設することは、極めて実現可能性の高くない事柄なのかも知れません。しかし、沖縄南部地域の戦没者遺骨の混じった土砂を辺野古新基地建設の埋め立てに使うことに対して強い反対の声が起きているのと同様に、戦没者たちを、 生者のエゴ(利益や勢力拡張・好戦的姿勢等)のために利用することは、戦没者たちを踏みにじり、冒涜することであるということを改めて明らかにしたいと思います。そのためにもまず、「鹿屋航空基地 史料館」をご見学していただき、そこが、いかに歪められたものであるかを、ご認識していただきたいと願います。













731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!

※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、戦争
3、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
4、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?


「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え 

核被災に苦しむウイグルの人々
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子


・2022年6月21日、第1回締約国会議を招集。開催地はオーストリアのウィーン。

●核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

地球を破壊する核爆発・核実験

地球を破壊する核爆発・核実験

核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。
2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。
署名国・批准国
2021年5月18日現在の署名国と批准国。

署名国            署名日            批准日 (締約日)
コロンビア         2018年8月3日
クック諸島 (加入)    2018年9月4日
コモロ           2017年9月20日         2021年2月18日
ドミニカ国         2019年9月26日 2019年10月18日
ドミニカ共和国 2018年6月7日         2022年9月22日





水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




核実験の人体実験



●核融合もすべきではない!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「反原発!!」と叫ばない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!




原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。


水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!


ビキニ被ばく訴訟
ビキニ被ばく労災不認定取消訴訟 東京地裁で第1回口頭弁論

JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!



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