伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より





この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

埋もれた細菌戦調査書
米中の生物兵器開発?









●細菌戦裁判

資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
原告らの主張 (別紙3)
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
原告らの主張 (別紙3)
日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)
第2部 被告の細菌戦に関する責任(法律論)
第2 国際慣習法の過去の戦争犯罪行為への適用による謝罪及び損害賠償請求

12 結び

 第3 中国法に基く謝罪及び損害賠償請求
2 被告の主張に対する反論
 被告は、本件事案に法例11条を適用することは誤りであると主張しているが、被告の主張は誤りである。
(1)公務員の権力行為に際して他人に与えた損害の賠償責任の法的性格
仮に被告の言うように、国家賠償請求の問題が公法的法律関係であるとすると、公法の属地的適用の原則が妥当することになり、①日本の国家賠償法は、原則として日本に於ける日本の公務員の不法行為にのみ適用されることになると共に、②外国の公法(国家賠償法)は適用しないということになる。そこで例えば、日本の公務員が外国における公務中に交通事故を起こし、被害者が日本国に対する損害賠償請求訴訟を日本の裁判所に提起したとすると、日本の裁判所は日本の国家賠償法を適用することも、当該外国の国家賠償法を適用することもできないことになる。この様な結果は明らかに不合理である。被告は、原因行為の公法的色彩を云々するが、その事の故に国際私法上の問題として法例の適用を排除すべき理由は全くない。







●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。


731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)



旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!
731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記



日本の中国東北侵略から91年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


三月四日
晴 風なし 零下十度 巡察あり炭坑  東大河往復 午後5時半 午後八時迄 満期至二百七拾日也
本当に心持よい月の夜だ まんまるの光が辺りの詩を思ふように発揮している。
電柱番号二一二に来た時は午後七時ごろ。俳句を作るでもない 詩を作るでもなく 無から無へ足を踏み入れるように何も考えずに先へ先へと急いだ 時は昭和六年三月四日午後五時半より八時至の間場所は炭坑の街より東台立連溝の部落迄の巡察中なり 事件を予想するような無粋は少しも駅になく、加藤の家の屋根の物干し場の上に寝転んで 無心な月を眺めて詩のような散文を作ったことを思い出しながら歩いていた。



「ずっと父が嫌いだった」



軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。



「ガラスの蔽いでもしなければ消えてしまうが」と
当局はうそぶいて
きょうも
ぶらぶらやって来たあちらの水兵たちが
白靴を鳴らして立止り
てんでにシャッターを切ってゆくと
あとから近寄ってきたクツミガキの子が
(なァんだ!)という顔で
柵の中をのぞいてゆく



メアリーが伝えるヒロシマ
広島原爆投下
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
封印された原爆報告書
原爆初動調査1
原爆初動調査ー隠された真実2
原爆初動調査ー隠された真実3
広島スピーチ
核兵器をめぐる今 世界は広島・長崎をどう見るか 高原孝生(明治学院大学国際学部教授)
【ダイジェスト】高原孝生氏:「核なき世界」の実現を阻むもの
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!








●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行

『細菌戦部隊』
731研究会編
はじめに

 731部隊など細菌戦部隊の所業は、決して石井四郎の独断的行為ではなかった。れっきとした陸軍中央の司令に基づき創設され遂行された作戦であったのである。あまりにも創設期、第1代・3代の部隊長石井四郎と彼が率いた731部隊の印象が強烈なため、ついついそこが標的になってしまう観があるが、石井もしくは731部隊だけにとらわれず総体として細菌戦部隊を検証していくことが必要であろう。







日本軍政下香港(1997.7.27)

●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行

第1 本件検定経過について

第2 731部隊に関する研究状況

二 1983(昭和58)年以前の731部隊に関する研究状況

1 731部隊の基礎資料ー「ハバロフスク公判書類」と関連文献

判決の結果は、山田、梶塚、高橋、川島が矯正労働収容所収監(禁固刑)25年、柄沢、佐藤が同じく20年、以下2年まで各被告ごとに異なる刑が課された。12名全員がシベリア鉄道でモスクワ北東200㎞のイワノボ収容所に送られ、そこに着いたのは1950年3月だった。死去した2名(高橋と柄沢)を除いて、1956年12月までには全員帰国している。




 













消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」


●毒ガス戦

『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明(2004年発行)




Ⅰ 第1次世界大戦の衝撃 1915―1930

2 毒ガス使用禁止国際条約への対応

第1次世界大戦以前の国際条約

 ハーグ陸戦条約と同規則は、日本・中国・アメリカ・イギリス・ドイツなど31か国が批准ないし加入している。なお、この条約にも総加入条項があり、1942年12月以降に未加入の中南米諸国が参戦している。しかし、ハーグ陸戦条約は当時存在した国際慣習法を確認したものとみなすことができる。そうだとすれば、毒ガスの使用を違法とする国際慣習法は成立していることになり、総加入条項に関わりなく、1942年以降の毒ガスの使用も違法ということになるであろう。
 この様な条約があったにも関わらず、第1次世界大戦では全面的な毒ガス戦が始まってしまった。その反省から第1次世界大戦後の世界は出発する。



海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)


日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!

略史
昭和 5年  海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設昭和 8年  平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設
昭和 9年  海軍技術研究所化学研究部として独立
昭和12年  特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに
昭和17年  相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる
昭和20年  終戦、廃廠
 第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。
相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。
海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。(相模海軍工廠より)

A事案区域内における土地改変時の対応について より
*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内)
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内)
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市・船橋市内)
遺棄毒ガス・砲弾被害賠償請求事件 東京高裁 判決 2007.7.18
中国での毒ガス兵器遺棄を巡る戦後補償問題





 





  







・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第12章  癒しがたい傷

「生きながら得た」人々
 しょっちゅう気管支炎にさいなまれ、息が詰まるほど咳き込む人もいる。もう何年も床に伏せり、手にはいつも痰をを吐くためのコップを握りしめている人もいる。既に息も絶え絶えで、点滴と酵素吸入で最後の生命を維持している人もいる。2枚の写真は曽我部史郎さんである。1枚は力なく奥さんの身体につかまり何とか前に進もうとしている姿で、年老いた奥さんはこの重荷に耐えられるのだろうか、と心配になる。もう1枚は車椅子の力を借りてよろよろ進んでいる情景である。奥さんの重荷はなくなったものの、「生ける者は生をむさぼり、死者はかえりみられず」という詩句を思い起こさせる。




 





大久野島遺跡巡り
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く

「加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用


 



毒ガスの工場の焼却

大久野島国民休暇村






日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題







核時代39年(1984年)5月初版発行

●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

糧穀の略奪
(冷酷非情な取り立て)


引地 章(ひきじあきら)
警察署長 警正
(略歴)
学歴 高等小学校卒業
所属 旧満国 図們警察署
年齢 54歳


 この日警務科から電話があって、県に帰って来るなら、今朝興隆鎮を出た県の半乗用トラックが、呉新任警務科長を乗せ帰る途中、双河署に回すよう手配するというので、赤沢開拓股長と2名の中国人工作者を残し、引地は双河署から帰県することにした。乗車台には、引地と呉錦寅警務科長、トラックの上には、興隆鎮曹署長と2名の警察官だけだった。引地はトラックから降りて、曹署長たちに何か話ししようと彼らの所へ上がって行ったが、彼らは何となくそわそわしていた。引地は少し変だぞと、例の刑事根性を働かせ、薄闇にすかして見ると、稲わらが積まれ、その下に麻袋らしいのが積んであった。引地は署長にあれはどうしたのかと尋ねた。曹署長は、「これは私と森林隊長と相談して、呉科長殿と警正殿と警務科長に、正月用の餅米5袋、小豆2袋、白麺5袋、ほかに猪3頭を持ってきたのです」と、言うのであった


















●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める








●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?



『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著

第2篇  自衛隊の機密
第3章 防衛力整備

3 防衛基盤の整備

第3編
主要極秘文書
1、三矢研究
〈解説〉 
期間中、数回にわたって合同研究が行なわれた。第1~3回は4~5月中で、何れも統幕事務局で実施された。6月の合同研究は、東京市ヶ谷基地内の図上演習講堂を使用している。参加者全員は腕章(統裁官赤白赤、統裁官付きと補助官は赤、研究員は白、管理班は青、米軍人の許可見学者は黄)をつけ、それ以外の者の立入が禁止された。秘密保全措置は厳重を極め、特別の印刷要員を配置した。研究成果は第1部概要と第2部4分冊、合わせて1419頁の「極秘」文書となっている。



第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1



金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

2、 生物・化学兵器の種類と特性


戦用ガス

ガス空襲
ガス空襲の目標になりやすいものは、通常、集結部隊、特科陣地、指揮所、行進中の部隊などである。ガス空襲は次の2つの手段に分けられる。
(1)ガス雨下 超低空で地形、特に森林、高地を利用し目標に近接し、噴射器より「エアロゾル」(霧状)の形で雨下される。
(2)ガス弾投下 通常低空で、爆撃と同時、または単独で行われるが、時として高空で行われる場合もある。







第5代衛生学校長

井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1938年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)




イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ







●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。







●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!




第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年


第2章  天皇に育てる

 Ⅳ
 皇太子は杉浦、白鳥、そしてひどく矛盾した清水の感化を受け、自分とは気質も性格も関心も異なる偶像化された祖父の水準に迫ろうと努力した。彼はまた、明治憲法に定められた彼自身の権威の神聖性を信じるようになった。美濃部が提唱し、1920年代に政党内閣がそれに従っていた自由主義的な「天皇機関説」には、大学で議論されるだけの学説としてはつねに敬意を払ったが、それを多少とも自分自身の行為の基準にすることはなかった。絶対主義論者の神学的理論に従うこともなかった。彼は事実、いかなる立憲君主制理論にも偏らなかった。憲法は彼にとって重要な政策決定の基準にはなりえなかった。祖父と同様、自分がすべての国法の上に立っていると信じたからである。彼の行動を真に規制したのは、明治天皇の精神的遺産を含めて、憲法に関わるものではなかった。状況の要請によっては彼は憲法を無視さえした。





日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, 
the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

小泉親彦と昭和天皇
近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
近代天皇制の真髄は
福沢諭吉
神武と戦争

憲法9条を生かそう!!






731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!

※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、戦争
3、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
4、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?


「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え 

核被災に苦しむウイグルの人々
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子


・2022年6月21日、第1回締約国会議を招集。開催地はオーストリアのウィーン。

●核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

地球を破壊する核爆発・核実験

核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treatyなど。
2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効した。

署名国・批准国
2021年5月18日現在の署名国と批准国。

署名国            署名日         批准日 (締約日)
キリバス         2017年9月20日     2019年9月26日
ラオス           2017年9月21日 2019年9月26日
レソト 2019年9月26日 2020年6月6日
リビア 2017年9月20日
リヒテンシュタイン 2017年9月20日





メアリーが伝えるヒロシマ
核実験の人体実験
核被災と核兵器禁止条約




●核融合もすべきではない!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「反原発!!」と叫ばない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!




原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書
原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~

水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!


JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!