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第6回三多摩平和交流会(2021年10月9日~10日)
映画「スパイの妻」と731部隊(2021 10 16加藤講演第2回)
川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士
731部隊について
2021 9 25加藤講演第1回目
絶望的な核開発!!
トラウマ

毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)
溥儀(「満洲国」皇帝の生涯)
2021 9 17 浅井基文講演
2021年満州事変90周年
沖縄の環境が危ない!
中国侵略戦争
中国に於ける人体実験(伝染病研究所)
第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
731部隊の罪業
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会
対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー
細菌(生物)戦争
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
「核兵器禁止条約」発効の意義と課題―今こそ、東北アジア非核兵器地帯を―湯浅一郎(ピースデポ代表)
核兵器禁止条約の署名・批准の状況
米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
浅川地下壕を歩く
昭和への挽歌   野崎忠郎
ビキニ核被害者救済支援と731部隊
毒ガスの痕
693陸軍病院と万人坑



「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!
日本でワクチンが出来ない訳は


加害の事実に触れない政府主催の全国戦没者追悼式反対!!
空襲被害者を救済せよ!!
忘れられた戦後補償

原爆初動調査 隠された真実

原爆・核実験・原発事故そして気候変動№2

2021 8 15 敗戦の日

韓国サンケン労組支援

7.13 多摩労務管理事務所問題の解決に向けて、申入れ行動

73l部隊関連資料の公開を求めて




日航機墜落事故の原因を究明せよ!!
《今も胸に 日航機事故36年》最期の様子、知りたい 生データ開示求め訴訟 夫を亡くした吉備素子さん

123便の残骸か…相模湾海底で発見 日航機墜落30年(15/08/12)

日航機墜落事故

【森永卓郎×倉田真由美】 日本航空123便墜落事故で分かった新事実

ミッテランはいかにして野党をまとめ、政権を奪還したのか
731部隊について







第6回 戦争の加害パネル展

(感想)
5月9日(日)
79.加害者としての「日本」がまるでなかったかのようにされていると感じます。自ら知ろうとしなければわからない。やはり教育は大切です。このような展示を企画してくださり、ありがとうございました。


ドイツと日本の謝罪の違い






原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子


昭和への挽歌   野崎忠郎















自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」





第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった




731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
「731部隊と人権ー裁判から考える」(お話:南典男さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
「人骨問題と731部隊」(お話:鳥居靖さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
「731部隊と大連黒石礁事件」(お話:根岸恵子さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回
「731部隊と100部隊」と「人獣共通感染症」(お話:今井雅巳さん)

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7回
「731部隊について」(お話:五井信治さん







パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
―医学と人権を考える―
生物・化学兵器の効果についての報告書(大要)
1969年7月2日(国連:ウ・タント事務総長)
環境への影響予測不能
1、これらの兵器の生産が効果的かつ無条件に禁止されたならば軍備競争の勢いは明らかに弱まるであろう。多数の人命を奪うこうした兵器の使用は、1925年のジュネーブ議定書、最近では国連総会の決議など国際的な合意によって既に非難され、禁じられている。もし、戦争を目的とした化学薬品、細菌の開発、製造、貯蔵がなくなり、すべての兵器庫からそうしたものが消えうせれば効果的な国際管理のもとでの一般完全軍縮、ひいては世界平和への展望は大いに明るいものとなろう。


水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与したより

宮川正教授は退官記念講義で731部員だったことを暴露されたより
元予研所長・長崎大学長の福見秀雄は731部隊関係者・CIA工作員で戦後も人体実験を続けたより
水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」1

2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」2


2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」3


森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!






隠された毒ガス兵器

あの小津監督も毒が売部隊に所属していた!!
『従軍日記』 小津安二郎
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するのか?

新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

【日航機墜落事故の真相】

今の日本の実態!!

多摩労務管理事務所闘争に勝利するための9 26集会




●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫


元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察


731部隊は、石井四郎が、細菌戦の主犯ではない。小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇がバックで指示を出していた。

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

(後編) 731部隊の真実 人体実験はこうして拡大した 隊員たちの素顔






●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
731部隊被害者遺族の訴え!!




東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?

実験医学雑誌第17巻雑報

17巻6号(1933年)
学術集談会開催
5月25日午後1時から所内講堂で学術集談会が開催された。
尚細谷博士の実験的「ジフテリー」麻痺の研究報告には
宮川教授、西沢博士から質問が出るなど一般聴衆の興味を
引いた。当日の演題は次の通りである。
1、2塩基脂肪酸類の殺菌作用   鉄本総吾君
2、実験的「ジフテリー」麻痺について(第1報)
                 細谷省吾君
                 小沢英作君
                 田中哲之助君
3、肺炎球菌とその免疫血清について(総説)
                 西沢行蔵君
4、パウシ、ロン会社光学機械製造工程の映画

学友会へ寄付金
金2百円也            平井正民君


伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より





この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

埋もれた細菌戦調査書


●細菌戦裁判

資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文

第5 当裁判所の判断
4、日本民法に基づく損害賠償請求について(争点4)
(2)そこで、司法裁判所における裁判規範となる民法についてみると、明治21年に起草されたボアソナードの民法草案393条は、「主人及び棟梁、工業及び運送の起作人又はその他のもの、公け及び私の管理所は彼らの僕婢、職工、傭員又は使用人により引き起こされたる損害の責に任すべくある、彼らに委託せられてある所の職務の執行において又はその効果において」と定めていた。ポアソナードによれば、同条は公権力の行使による損害についても国に責任を認める趣旨のものであった。ところが、このボアソナード民法草案393条の国家責任規定は、明治23年4月21日に公布された旧民法財産編(明治23年法律28号。ただし、周知の通り、この旧民法は施工されないまま廃止された)373条においては削除され、同条は「主人、親方又は工事、運送等の営業人もしくは全ての委託者はその雇員、使用人、職工又は受任者が受任の職務を行う為又は之を行うに際して加えたる損害につき其責に任す」と規定するに至った。この間の経緯について、旧民法の立案過程に参加した井上毅は、旧民法公布の翌年に発表した論文「民法初稿第373条に対する意見」で、公権力の行使による権利侵害について損害賠償を認めると行政機関の機能に支障が生じることを理由として、旧民法373条が行政権による公権力の行使に起因する損害賠償責任を否定する趣旨である旨を述べている。







●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。


731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)



旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!
731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記














日本の中国東北侵略から90年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


「1931」斉藤準太郎の日記
二月二十二日
日曜日なり 午前七時起床すれども胸痛し 一日寝たり起きたり 外の春らしさとともに 中も春らしき日曜 零下五度
朝から床の中だ。戦友たちが来て悪戯する やりきれない。痛む胸をおさえながら入浴にゆく。大きな声で歌をうたったり寝たり 何をなすことなしに一日終える。
夜、久しぶりに初年兵とともに握銃演習をする。なかなか骨が折れる。酒保に行来たけれど一銭もなし。


然しー酒保行き、武田と中島に奢ってもらい腹いっぱい食べた。寝る時になって此の寝台の狭い中に大きな河口が来た。動きもできない位にして二人で寝た。中島は隣で寝ている。軍隊の生活を無視したようなやり方だ。然しこの愉快さはまた格別だろう。









軍都広島での物語
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
エピローグ  広島から・・・・

この4月、僕は被団協の原爆被災体験資料収集と出版の事業に対して知識人による協力委員会の結成を呼びかける、一通の手紙を書いた。それは次の文章である。
≪・・・一般に、1人の知識人が、個人的に、その書斎の中で、自分自身と人類の運命について考えようとすれば、彼は常に、20年前、現実に原爆を体験した人々について思い出さざるを得ないはずです。そして、彼の個人的な志が、そのまま被爆者たちの志に繋がるような、そうした方向はないものかと考えるはずであろうと思います。






原爆初動調査 隠された真実

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!





●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部

南京でもやっていた人体実験
血管が切ると心臓からものすごい勢いで血が・・・・
松本博
1644部隊
経歴
1926年生まれ
1943年中支那派遣軍防疫給水部栄1644部隊配属
この証言は1995年6月、8月、11月の聞き取りをまとめたもの。


全採血
一番嫌だったのは、細菌感染させた数日後、“マルタ”の体から血を全部抜き取る全採血でした。採血には、軍医の他に私ら担当の監視と監視所の者と軍医が連れてきた兵隊が立ち会いました。私は採血される“マルタ”を“ロツ”から出して、目隠しをしました。黒い頭巾のような袋を頭にスッポリかぶせるのです。服は着せません。裸のまま隣の処置室に連れて行くのです。それまでもこのようにして連れ出された“マルタ”は1人として部屋には戻りませんでしたから、連れ出される“マルタ”は同室の“マルタ”に、「スラ―!」(殺される!)とつぶやいていました。殺されることが分かっていたのでしょう。処置室まで“マルタ”は自分で歩いて行きました。警備の者は短い銃に短剣をさしていましたから、逆らいませんでした。 






●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編

江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳








Ⅰ 東北
2 華北
2 河南
野田実自筆供述書(1954年7月31日)
この時八路軍工作員はまだ生きていたので、秘密保持のため森下に注射器で静脈内に空気を注入するよう命じた。森下は5ccの注射器を使って左肘関節の内側の静脈に約10ccの空気を注入したが、変化が起きなかったので、私は森下に今度は20cc の注射器を用いるように命令した。私は空気の注入がいささか難しく思われたので、自ら注射器をとり、全力で円筒を押し入れて10ccの空気を注入した。八路軍工作員の心臓は先ほどまで「ド、ド」という音を立てていたが、この時一瞬のうちに呼吸が止まり、私は彼の胸に手を当てて、鼓動が完全に止まっていることを再度確認した。こうして彼は惨殺された。私は八路軍工作員に生体解剖を施して惨殺した指揮者・実行者であり、責任は逃れられない。
 私の当時の職務と階級は、旧第117師団野戦病院附・外科主任・軍医中尉であった。
(1)119ー2、901、1、第5号
訳注:野田氏の河南省に関する証言については、同氏の「太行の麓をしのんでー生体解剖ー」【中国帰還者連絡会・新読書社編『侵略(中国における日本戦犯の告白)』新読書社、1984年】を参照されたい。尚、本文中に「軍医中尉新田林」とあるのは、氏の回想では「新田」となっている。 




 
●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦

4 毒ガス戦をめぐる 日米の確執 アメリカ軍の毒ガス戦論計画と日本軍

アメリカ軍の対日毒ガス戦計画
連合軍の攻勢が次第に日本本土に近づくにつれて、アメリカ軍では大規模先制的な毒ガス戦計画を具体化させていった。吉見氏によれば、アメリカ軍は1944年4月から日本への毒ガス戦を本格的に検討し始め、ドイツ降伏(45年5月7日)後の45年6月19日に、オリンピック作戦(九州上陸作戦)開始予定日の45年11月1日を毒ガス戦準備完了日とする方針が統合参謀本部で承認された。計画では、兵士の損害を抑えるために上陸作戦直前での使用を想定し、九州各地のほか東京・大阪などの大都市を標的として航空機によるイペリットやホスゲンの大規模使用によって軽く500万人が死亡すると推定している(吉見義明「米国の日本殲滅『毒ガス作戦』の全容」及び同『毒ガス戦と日本軍』)。