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●石井四郎の故郷を訪ねて
●沖縄の環境が危ない!!
●中国侵略戦争
●中国に於ける人体実験(伝染病研究所)
●第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
●731部隊の罪業
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー
「声上げたら解雇」は許せない!~「多摩労務管理事務所」に仮処分守れと申し入れ
情報公開裁判
細菌(生物)戦争
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
「核兵器禁止条約」発効の意義と課題―今こそ、東北アジア非核兵器地帯を―湯浅一郎(ピースデポ代表)
核兵器禁止条約の署名・批准の状況
米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
浅川地下壕を歩く
昭和への挽歌 野崎忠郎
ビキニ核被害者救済支援と731部隊
毒ガスの痕
693陸軍病院と万人坑


「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00~703号法廷
3月3日の『化学学校記事』の傍聴
日本の労働問題
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!
日本でワクチンが出来ない訳は
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
.SDGs(持続可能な開発目標)17の目標の達成のために真っ先にやることは、世界の軍隊・軍備をなくすこと!!
.ミャンマーのクーデターを見ても、軍隊は国民を守らない!!
ミッテランはいかにして野党をまとめ、政権を奪還したのか


第6回 戦争の加害パネル展
(感想)
2021年5月1日(土)
0、ここ数年毎年拝見しています。日本人としてすべての世代が歴史の事実として学び、振り返る必要があると思います。いつもお世話様です。明日桜木町で別のチラシ配りがありますが、このパネル展のチラシもお配りします。(女性、60代、市内、チラシ)
ドイツと日本の謝罪の違い
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)

731部隊・100部隊の戦後責任


原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

昭和への挽歌 野崎忠郎

自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」


第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
「731部隊と人権ー裁判から考える」(お話:南典男さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
「人骨問題と731部隊」(お話:鳥居靖さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
「731部隊と大連黒石礁事件」(お話:根岸恵子さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回
「731部隊と100部隊」と「人獣共通感染症」(お話:今井雅巳さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)

パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
―医学と人権を考える―
ビキニ水爆実験


ビキニ水爆被災事件に光を当て、被災者救済と核兵器禁止条約推進のために
太平洋核被災支援センター事務局長 山下正寿
ビキニ事件処理と戦犯釈放が取引された日米政治決着
1954年12月に入って吉田内閣が倒れ,鳩山内閣となった。外務大臣も重光葵外相となり、政府与党幹事長は岸信介、いずれもA級戦犯・容疑の責任を解かれ、政界復帰したメンバーのもとで「事件処理」が加速された。日米科学者会議の開催からマグロ検査中止、そして1月4日の「政治結着」まで1カ月余りの急展開であった。日米交換文書への調印に向けて、かなり多くの展開があったことがアメリカ史の研究者・ 高橋博子さんによって、アメリカ公文書と外務省公文書が発見され、明らかになった。アメリカ政府が日本政府に見舞金200万ドルは、米議会に諮る必要のない最大限度の額として支出されていた。アメリカ政府の心理戦略の協議機関で「米政府の最高レベルで秘密工作を検討した委員会」である工作調整委員会(OCB)の承認をへて、アイゼンハワー大統領による承認のもと、対外工作本部の予算から出された。又、駐日大使アリソンと重光との会談では、ビキニ水爆被災問題の「解決」と日本の戦犯 解放とが文字通り並立する問題として議論されていた。戦犯でもあった重光外相は6項目のメモの最後に「大規模な戦犯の解放と仮出所、この問題を解決することで、米国政府の役割に対して日本の人々が好意的な態度とらせ、ほかの政府の関心事である行動の面で、われわれの関係改善に向けて実質的に貢献するであろう」と、戦犯解放によって日本人の対米観が好転することが述べられていた。 アメリカ側は今後の「汚染まぐろ放棄」も「更なる死者」にも法律上の責任はとらないことを公文中に明記するよう日本側に求めている。ビキニ事件をアメリカのためにも処理する代償に戦犯釈放を求め、そのために第5福竜丸以外の被災乗組員は、何の救済措置も受けることなく棄民として放置された。戦犯はその後釈放され、ビキニ事件は、日本の保守政治の形成に大きな影響を与えた。
http://bikini-kakuhisai.jet55.com/
宮川正教授は退官記念講義で731部員だったことを暴露されたより
元予研所長・長崎大学長の福見秀雄は731部隊関係者・CIA工作員で戦後も人体実験を続けたより
水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」1
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」2
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」3
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

隠された毒ガス兵器
あの小津監督も毒が売部隊に所属していた!!
『従軍日記』 小津安二郎
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するのか?
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
【日航機墜落事故の真相】
今の日本の実態!!
多摩労務管理事務所闘争に勝利するための9 26集会
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の主犯ではない。小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇がバックで指示を出していた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
(後編) 731部隊の真実 人体実験はこうして拡大した 隊員たちの素顔
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
731部隊被害者遺族の訴え!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
この年、長與又郎、宮川米次、宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?
実験医学雑誌第15巻雑報
15巻第5号 【昭和6(1931)年】
◎学友会懇親会
4月2日、あたかも開催された各部の医学会出席の為上京された会員の歓迎を兼ねて、当日午後5時より
丸の内東京会館に於て懇親会が催された。会員多数の出席を得、酒宴の間に談笑数刻。
各位微醺を帯びながら同10時散会。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
埋もれた細菌戦調査書
●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第4部
第一審判決に対する日本の各界の支援の声
2章 日本の支援者から
再び沈黙してはならない
細井明美(テロ特措法・海外派兵は違憲市民訴訟の会)
私達は「国家の在り方」を問う時代にいる。「国家が行なう犯罪」に沈黙する事は罪である。中国の細菌戦裁判を行なっている原告の人達を見て改めてそう感じた。他国の人々を殺さないために、私達は2度と再び沈黙してはならない。アメリカのイラク攻撃を前にして、過去の過ちを生かさず加担している日本政府に私は強い怒りを覚える。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)

旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!
731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

「1931」斉藤準太郎の日記
一月九日
午後人の金で 味い物でも買ってもらう為に中島 馬井 内藤にたのみ巡察に行く。 目の玉の飛出る位寒し―夕食のパンは班内でなくなる 水源地より首山至の一里が非常につらし―首山よりの
帰途二二列車で太子河工事事務所の或る人と知合いになり 遊びに行く約束をして別れる。
わずかに一名の鞍山小学校のお嬢さんを運ぶ為に毎日大の貨車列車を停車してやる 一日が五円也中々安くない通学料なり 帰隊すれば御飯は温かく中島はモチ菓子を内藤はシルコを買っておいてくれる 持つべきものは戦友なりけりかハハ 島井にご飯半分取られる 何と愉快な友達の交わりよ
軍都広島での物語
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
Ⅵ ひとりの正統的な人間

1945年秋の米軍側原爆災害調査団の声明、≪原子爆弾の放射能の影響によって死ぬべき者は既に死に絶え、もはやその残存放射能による生理的影響は認められない≫という観察が、極めて政治的な意図にゆがめられていたにしても、今堀氏の指摘する市民、医師たち、ジャーナリズムの次のような反応は疫病の最中の一時の凪の状態に於ける、広島の人々のごく自然な人間的態度であったであろう。
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
“特移扱”で中国人を731へ送った
憲兵隊の思想対策班長として大連事件にかかわった
三尾豊
憲兵
〈経歴〉
1913年生まれ
1934年1月~35年12月 歩兵第68連隊
1936年3月~45年8月 憲兵としてチチハル・牡丹江・大連の各憲兵隊に所属
1945年8月 捕虜となりシベリア抑留
1950年6月 中国戦犯管理所移管
1956年8月 起訴免除、釈放後帰国
■この証言は埼玉(浦和)731部隊展(1994年10月)の『報告集』に本人が加筆したもの。
“特移扱”について
ところがこのチチハルとか孫呉で実験する時にはもっと多い数が必要で、そうしますと実験をする材料が足りなくなる、そうすると憲兵が捕らえて送り込む“特移扱”だけでは足りないんです。そこで浮浪者(開拓団の入植によって土地を収奪された農民は都市に流れ出し、浮浪者になる)が731部隊の材料にさせられるわけです。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
原著編集説明
第2部は、日本軍が我が国の抗日軍民に対して毒ガスを使用した情況で、本書はいくつかの被害の最も大きかった地域ごとに、千回近い日本軍の毒ガス使用の罪行をまとめ、記録した。
第3部は、日本軍の各部隊の医務機構が中国人の生体を使用して解剖実験を行なった事実で、本書ではそのごく一部分の例しか掲載していないが、それでも日本帝国主義の殺人さえ習い性となっていた残虐な本質は十分反映されている。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第5章
日中全面戦争と毒ガス戦の展開

4、激烈な毒ガス戦の展開へ
日中戦争からアジア太平洋戦争へ
すでにヨーロッパでは、1939年9月にドイツ軍がポーランドに侵攻したことでイギリス・フランスがドイツに宣戦布告して第2次世界大戦が始まっていた。ドイツがイギリスをのぞくヨーロッパを制覇すると、日本では泥沼化した日中戦争をヨーロッパの戦争にリンクさせることによって打開し、更にドイツに降伏したフランス・オランダの東南アジア植民地を日本の勢力圏下におこうという膨張主義が台頭した。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第5章 陸軍習志野学校
付記・日本陸軍習志野学校跡考察記
(注)
真崎甚三郎(1876~1956)
日本陸軍士官学校次いで陸軍大学を卒業。日露戦争に参加したことがあり、ドイツに派遣され駐在したこともある。陸軍省軍事課長、天皇を護衛する近衛師団師団長、士官学校幹部、校長、師団長、台湾駐屯司令官を歴任、皇道派の首領であり、荒木貞夫の「北進」政策を支持する。1932年参謀次長、教育総監に任じられるが、1935年参謀総長閑院宮と合わず辞職。また1936年の「2.26」事件の巻き添えを食って九州に隠居した。
終戦後
太平洋戦争終戦後の1945年11月19日に、真崎はA級戦犯として逮捕命令を受け、巣鴨プリズンに入所させられた。他の被告人は、単に被疑者として呼ばれてもみな弁護士を頼んだが、真崎は弁護士をつけなかったという。
真崎への第一回の尋問は巣鴨への収監に先立つ12月2日に第一ホテルで行われた。
以降、3回に亘って尋問が行われたが、供述内容は責任転嫁と自己弁明に終始した。特に、敵対していた東條英機らの統制派軍人や木戸幸一に対する敵意に満ちた発言と、自身は親米派であったとの主張を繰り返した。
遺言書では、第一に「日本の滅亡は主として重臣、特に最近の湯浅倉平、斎藤実、木戸幸一の三代の内大臣の無智、私欲と、政党、財閥の腐敗に因る」としている。


毒ガスの工場の焼却

大久野島国民休暇村



日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題