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●●石井四郎の故郷を訪ねて
●沖縄の環境が危ない!!
●中国侵略戦争
●中国に於ける人体実験(伝染病研究所)
●第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
●731部隊の罪業
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー
「声上げたら解雇」は許せない!~「多摩労務管理事務所」に仮処分守れと申し入れ
情報公開裁判
細菌(生物)戦争
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
「核兵器禁止条約」発効の意義と課題―今こそ、東北アジア非核兵器地帯を―湯浅一郎(ピースデポ代表)
核兵器禁止条約の署名・批准の状況
米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
浅川地下壕を歩く
昭和への挽歌 野崎忠郎
ビキニ核被害者救済支援と731部隊
毒ガスの痕
693陸軍病院と万人坑


「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00~703号法廷
3月3日の『化学学校記事』の傍聴
日本の労働問題
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!
日本でワクチンが出来ない訳は
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
.SDGs(持続可能な開発目標)17の目標の達成のために真っ先にやることは、世界の軍隊・軍備をなくすこと!!
.ミャンマーのクーデターを見ても、軍隊は国民を守らない!!
ミッテランはいかにして野党をまとめ、政権を奪還したのか


第6回 戦争の加害パネル展
(感想)
5月6日(木)
80、本日はありがとうございました。
高校生の頃、アメリカが日本に与えた被害については教科書に詳しく書かれている一方で日本がアジア諸国にしたことはあまり書かれていない(書いてあったとしても明記されていない)ことに対して、不満を持ちました。受験が終わったら日本がとった残虐行為について詳しく知りたいと思っていたので,このようなことを知れる機会を得たことを嬉しく思います。
君が代が天皇を中心とする大日本帝国の象徴だとはあまり考えたことはなく、1993年で君が代を学校で歌うことが義務化されたことやそれの何がいけないのかについても知らなかったので、今回お話が聞けてよかったです。
日本政府が従軍慰安婦という言葉を使用しないという閣議決定を出したこと、アメリカが将来戦争で毒ガスを使うかもしれないという理由で中国人の日本への抗議に真正面から向き合おうとしなかったこと、中国は愛国教育の一環で日本軍による被害を大々的に取り上げることなどを聞き、各国が自国に有利なことばかりしていては物事の本質は見えてこないのではないかと思いました。
また、日中戦争中の平頂山事件や、東南アジア侵略における日本軍の具体的な残虐行為も今回初めて知りましたが、やはりこれらのことはより多くの日本人が知っておかなければならないことだと感じました。
アイヌ民族のことには高校の頃から少し興味があったので、今回のお話を聞いて、アイヌの文化や明治政府との関わりについても学ぼうと思いました。
貴重な体験をさせていただき本当にありがとうございました。
(女性、10代あるいは20代)
ドイツと日本の謝罪の違い
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)

731部隊・100部隊の戦後責任

原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

昭和への挽歌 野崎忠郎

自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」


第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
「731部隊と人権ー裁判から考える」(お話:南典男さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
「人骨問題と731部隊」(お話:鳥居靖さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
「731部隊と大連黒石礁事件」(お話:根岸恵子さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回
「731部隊と100部隊」と「人獣共通感染症」(お話:今井雅巳さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)

パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
―医学と人権を考える―
ビキニ水爆実験


ビキニ水爆被災事件に光を当て、被災者救済と核兵器禁止条約推進のために
太平洋核被災支援センター事務局長 山下正寿
操業中止、回避指示をしなかった政府の不作為行為
高知地裁で、被告側は「海上保安庁は昭和28年10月10日、官報で、ビキニ環礁付近の海域への立ち入り禁止を告示したと主張し、また昭和29年3月27日にも官報でビキニ海域は、兵器の実験のため非常に危険であるとの告示をする等、本件核実験が行われる以前から 漁船等に周知していた」と主張した。しかし、官報の告示を見る船員は稀であり、船員に周知させるためには、マグロ漁船の拠点基地の関係機関に直接核実験の危険性を説明し、無線を通じで漁船に徹底することが不可欠だ。しかも、3月27日の官報告示日は、2回目の核実験の当日であり、「核実験のため」と記載せず「兵器の実験のため」となっている。これでは、遠洋まぐろ漁船に危険性が伝わらず、しかも周辺海域で操業していた漁船が核実験の影響を回避することは不可能である。 3月16日に、第5 福竜丸の被ばくが明らかになってから、5月まで船体放射能汚染船が98隻と記録されている。全く、船員への避難周知になっていない。事実、マグロ漁船の代表的基地三崎港での、船員への情報通知のための日刊「三崎港報」にすら、前記の官報の危険は掲載されていない。これは、第5福竜丸帰港によって、水爆実験の危険を知りながら、 海域の操業中止、回避指示をしなかった政府の不作為行為そのものであり、漁船員の被災を放置した政治責任は逃れない。
宮川正教授は退官記念講義で731部員だったことを暴露されたより
元予研所長・長崎大学長の福見秀雄は731部隊関係者・CIA工作員で戦後も人体実験を続けたより
水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」1
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」2
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」3
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

隠された毒ガス兵器
あの小津監督も毒が売部隊に所属していた!!
『従軍日記』 小津安二郎
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するのか?
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
【日航機墜落事故の真相】
今の日本の実態!!
多摩労務管理事務所闘争に勝利するための9 26集会
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の主犯ではない。小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇がバックで指示を出していた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
(後編) 731部隊の真実 人体実験はこうして拡大した 隊員たちの素顔
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
731部隊被害者遺族の訴え!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
この年、長與又郎、宮川米次、宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?
実験医学雑誌第15巻雑報
15巻第4号 【昭和6(1931)年】
◎3月中職員異動調
月日 異動事項 官職 氏名
3.19 依願免本官 教授 横手千代之介
3.25 京都府下へ出張を命ず 教授 宮川米次
〃 同 教授 三田村篤志郎
〃 同 教授 田宮猛雄
〃 同 技手 江島真平
〃 同 技手 羽里彦左衛門
〃 同 嘱託 一宮勝三郎
〃 京都府及島根の
1府1県下へ出張を命ず 嘱託 浅田順一
3.25 依願東京帝国大学
評議員を免す 教授 長與又郎
3.31 昭和6年3月30日付願
研究生退学の件許可す 村松楠雄
〃 依願伝染病研究所仁川出張所
土地建物管理嘱託を解く 布施野寛
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
埋もれた細菌戦調査書
●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第4部
第一審判決に対する日本の各界の支援の声
2章 日本の支援者から
731不当判決について
増田文雄(フォトジャーナリスト)
細菌戦戦は裁判が起こされたということではなく、国が率先して反省、謝罪、賠償を行なうべきである。他の戦争犯罪である、強制連行、強制労働、慰安婦問題、虐殺事件等についても同様である。そうでなければ真の友好として、アジアの一員としてなりえない。
該当する法律が無いから・無かったから国の責任は無いとは無責任の極みである。初めより結論ありきである。単なる盗み、暴力事件を裁いているのではない。日本国としての、組織としての、軍隊が行なった残虐なる細菌戦等は歴史的に見て裁かれなければならないし、裁かれるべき事案と考えるのが相当である。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)

旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!
731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

「1931」斉藤準太郎の日記
一月九日
陸軍省医務局長巡視(午前十時より)午後二時巡察出発 列車遅れる事一時間 今朝の炭抗分遺隊の温度零下三二度 鞍山二八度 日直下士に怒られる 寝るのがマンマ 朝から晴
陸軍省医務局長陸軍軍医総監・・・と云ふ恐ろしい長い何とか云ふ中将の舎内巡視ありー掃除するのが嫌だが致し方なし 姿だけはしなければテイサイ悪し―軍隊は嫌だね。一寸通るのみで 大掃除・整頓・営内靴の手入れ・タンツボの手入れ トウショウの学科感冒の教育など等々「気ヲツ付ケ 総員二拾五名 事故六名 事故は分遺三入室一工場二」というような具合で御迎へをするんだ・・・・
軍都広島での物語
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
Ⅵ ひとりの正統的な人間

今堀誠二氏の『原水爆時代』は、被爆の年の冬、原爆による死者たち、病者達の数が減少して≪さしもの原爆症も、これで何とか片がつくのではないかという見透しが一般的になった≫一時期の事を伝えている。ペストやコレラの記録や小説にも、度々、疫病の蔓延が、凪(なぎ)のような状態に入って中だるみする、そういう段階の記述がある。現実の広島に於ても様子は同じだったわけである。疫病の最初のショックが市民たちを打ちのめす。それから凪が訪れて、希望のわずかな芽生えを促す。そして第2のショックが、より徹底的に市民の心を蹂躙し尽くす・・・・・
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
“特移扱”で中国人を731へ送った
憲兵隊の思想対策班長として大連事件にかかわった
三尾豊
憲兵
〈経歴〉
1913年生まれ
1934年1月~35年12月 歩兵第68連隊
1936年3月~45年8月 憲兵としてチチハル・牡丹江・大連の各憲兵隊に所属
1945年8月 捕虜となりシベリア抑留
1950年6月 中国戦犯管理所移管
1956年8月 起訴免除、釈放後帰国
■この証言は埼玉(浦和)731部隊展(1994年10月)の『報告集』に本人が加筆したもの。
“特移扱”について
ご承知のように、“満州国”は傀儡政権で、“満州国”皇帝は関東軍司令官の指導の下に動いていたわけでありますから、そこにいる、勤務している中国の人は日本軍の支配に満足するはずはありません。
さらにそこに浮浪者と書いてありますが、浮浪者が一体なぜこのような対象になったのか。当時毒ガスを盛んに研究していたんです。731部隊で毒ガスを研究して、そして広島の大久野島で毒ガスの生産をしていました。毒ガスを空輸して、そして安達あるいはその先の孫呉、またハイラル、チチハルなどで毒ガス実験を盛んにやっておりました。1回の毒ガス実験で少なくとも30~40名の実験要員が必要です。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
原著編集説明
1、本巻は、主に日本帝国主義が国際法と人道主義に背いてわが国で残酷な生物化学戦を行ない、広範な中国軍民を惨殺した事に関する歴史文書資料を選出編集した。内容は3つの部分に分かれている。
第1部は日本の細菌部隊ーたとえば、第731部隊(即ち関東軍防疫給水部)、第1855部隊(即ち北支派遣軍防疫給水部)、栄1644部隊(即ち中支派遣軍防疫給水部)などが細菌工場を設立し、細菌を研究製造して細菌戦を行って中国の軍民に被害を与えた罪悪活動の情況についてである。日本軍の行なった細菌戦と細菌撒布は、ノモンハン、湖南常徳、浙江鄞県(寧波)、衢県、金華、内蒙古臨河、五原、山東衛河流域など、いくつかの典型的事件に重点的に反映されている。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第5章
日中全面戦争と毒ガス戦の展開

4、激烈な毒ガス戦の展開へ
華中での糜爛性ガスの大規模使用
支那派遣軍化学戦教育隊が1941年11月に作成した「応用材料に依る爆撒要領」というテキストにはその作り方が図入りで非常に詳しく記されており、少数の兵力で広い範囲の警備を担当する部隊が要点を封鎖する為に考案したとしている(前掲『毒ガス戦教育関係資料Ⅱ』所収)。このような防御的使用方法がテキストで配布されていることから、中国戦線で幅広く行なわれた可能性も考えられるが、詳しい実態の解明は今後の課題である。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第5章 陸軍習志野学校
付記・日本陸軍習志野学校跡考察記
(注)
今村均(1886~1966)
戦後(以下ウキペディアより)
1945年(昭和20年)8月15日、日本が降伏し第二次世界大戦は終結。今村は戦争指導者(戦犯)として軍法会議にかけられる。第8方面軍司令官の責任を問われたオーストラリア軍による裁判では、一度は死刑にされかけたが、現地住民などの証言などもあり禁錮10年で判決が確定した。 その後の第16軍司令官時代の責任を問うためのオランダ軍による裁判では、無罪とされた。
その後、今村はオーストラリア軍の禁錮10年の判決により、1949年(昭和24年)に巣鴨拘置所に送られた。だが今村は「(未だに環境の悪い南方で服役をしている元部下たちの事を考えると)自分だけ東京にいることはできない」として、1950年(昭和25年)には自ら多数の日本軍将兵が収容されているマヌス島刑務所への入所を希望した。妻を通してGHQ司令官マッカーサーに直訴したといわれている。その態度にマッカーサーは、「私は今村将軍が旧部下戦犯と共に服役する為、マヌス島行きを希望していると聞き、日本に来て以来初めて真の武士道に触れた思いだった。私はすぐに許可するよう命じた」と言ったという。
その後、刑期満了で日本に帰国してからは、東京の自宅の一隅に建てた謹慎小屋に自らを幽閉し、戦争の責任を反省し、軍人恩給だけの質素な生活を続ける傍ら回顧録を出版し、その印税はすべて戦死者や戦犯刑死者の遺族の為に用いられた。元部下に対して今村は出来る限りの援助を施し、それは戦時中、死地に赴かせる命令を部下に発せざるを得なかったことに対する贖罪の意識からの行動であったといわれる。その行動につけこんで元部下を名乗って無心をする者もいたが、それに対しても今村は騙されていると承知しても敢えて拒みはしなかったという。
国立国会図書館憲政資料室に、今村の肉声を伝える「回想談話録音」が残されている。
1968年(昭和43年)10月4日、死去。享年82。


毒ガスの工場の焼却

大久野島国民休暇村



日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題