私は本をわりと読む方です。
今日は、なんで本を読むのが好きなのか?という話を書きます。
私は「なんでこれを好きか」を考えるのが好きなようです。
「なんで『なんでこれを好きか』を考えるのが好きか」もいつか書く気がします。


「本を読むのが好き」というか、
「本を読まないと不安になる」というのが近いと思う。
その不安っていうのはなにかというと、
「自分の考えてることが何かおかしいかも」の感じ。


何か、世間の常識と違うことをやっちゃったり、思っちゃったり、
周りにうまくとけこめなかったり、皆が楽しそうなときに楽しくないとか、
いちおう皆と同じようにしてるけどなんか違和感、これってどういうこと?ということがあって、
そういうときに、まあたとえば、「えっ?レタスに醤油かけないの?」くらいのことなら
口頭で聞けるし、それで返事が「なにそれ聞いたことないwwwドレッシング使えよwww」とかなら
まあ、それは「うそwwwずっと醤油かけてたwwwでもおいしいよwww」って返して、
面白いなぁ~人の好みってそれぞれだなぁ~で終わるけれども、
もうちょっと根っこの部分での違和感は、そんな簡単に確認できないじゃない。
たとえばの話だけど、運動会に向けてクラス全員が一致団結して毎日練習しようってときに
「なんで団結しなきゃいけないの?」とか聞けないよね。(たとえばの話だよ)
卒業式で友達が泣いてるときに「なにがそんなに悲しいの?」って聞けないよね。(たとえばの話ね!)
「違和感を感じるけど、なにに対してなのか自分でもわからない」ってこともあるし。


そういう、「これって私が変ですか?」って、誰かに聞きたいけど聞けない、というとき、
本を読んでると、「私もそうです」という人に会えることがときどきある。


太宰治はいわゆる中二病の人にすごく人気がある作家らしく、
私も高校の時にしっかりとはまったけれども(今も好きだけども)、
中二病っていうのは多分、「私って変なんですか?」の悩みがピークに達する時期だと思うの。
大人の言ってることってなんか嘘くさいぞっていうのをだんだん嗅ぎつけ初めて、
そこで「まあそういうもんなんだな」って割り切ってやっていける子もいるんだけど、
割りきれないやつは心の中ですくすく中二病を育てていく。
まわりは割り切ってやってるんだということに気付かずに、
自分だけが嘘に気付いたんだと思うようになる。
「周りと同じようにできない」「オレは周りと違う」
「オレは特別な存在」「オレは選ばれた人間」
「あいつらはオレをバカにするけど、本当にバカなのはあいつらの方だ」
というような中二病的な悩みの源泉を、太宰治はうまく書き出してくれて、
それを読んで、「ここに仲間がいた!」っていう経験をした子がたくさんいるってことなんだと思う。
私も読んだときほんとにびっくりして、太宰治ってすごい人やぁーと思った。


あと私は町田康っていう作家が好きでずっと追っかけてるんだけど、
その人の本の中で、よく使われる定番フレーズ的なものがいくつかあって、
その中に、「私はためしに○○○と言ってみたが、うまく言えなかった。」ってのがある。
独り言のときも、誰かに聞かせるときもあるんだけど、
たいてい、なんか言ってみて、でもなんか違った。という感じで終わる。
これを何回も使わずにはいられないこの人の気持ちはすごいよくわかるような気がした。
あとこの人が使う言葉で気に入ってるのが、「感じ感」。
「私はその車にファンキーな感じ感を感じた」みたいな。
ずばり「ファンキー」って言っちゃうと違っちゃうから「ファンキーな感じ」、
それすらなんかそこまで言っちゃっていいの?って思うから「ファンキーな感じ感」。
これを使ってるのを初めて見た時、感じ感、って言いたい気持ち、わかるわぁ~と思った。
たぶんこの人の本の中には「思ってることうまく言えないよなぁ。でもできるだけ的確に言いたいんだけどなぁ」
っていうのがずっとあって、そこに共感したんだと思う。


そんな感じで、私は昔からそういう本の中に、
面と向かって人に聞けない部分で共感できるところを見つけて、
それでちょっと安心したりすることが結構あって、
多分いまも、自分がこれで大丈夫なのか、てことを、
本を読んで確認したいという気持ちがあるんだと思いますわ。