みなさん歌うのは好きですか?
ひとりカラオケ専門店できたらしいですね。
たぶん結構の人が歌うの好きだと思うんですけど、
なんで好きなのか考えたことありますか?
なんで歌ったらスッキリするのかな。
日常で出さないような声を出せるから?
好きな歌手になりきれるから?
みんなの注目を浴びられるから?
(ひとりカラオケは注目浴びないけどね。
でもひとりカラオケやってる人って「そんな自分の歌にノックアウトされてる聴衆」を
どこかで想像しながらやってると思うんだけど、どうですかね。私はわりとそうです)


私も歌うのがあまりにも好きで、これはなんでかということをずっと考えてます。
JUDY&MARYの歌にも「こーえーをだすーだけーでなーぜーたーのしくなるんだろー」っていうのがあるね。


みなさんは日常で、ほんとは言いたくないことを言うことってありますか。
言いたくないまで行かないにしても、特に思ってないこととか、
思ってないわけじゃないけど、あんまりピンときてないこととか…
あると思うんですけど。
「何何を何何することができてすごく有意義な体験でした」とか
「人の気持ちをよく考えて行動することが大切だと思います」とか
「お悔やみ申し上げます」とか
「うわー、そうなんですかー」とか
「へぇー、すごいねー」とか…
思ってないことを言うというのは気持ち悪いことだし、
そうとう上手に言わないとすぐバレちゃう気がする。
だって人の話聞いてて「この人本当に思ってないな」ってわかる時はわかるもんね。
私は思ってないことを言うのがだいぶ苦手で、
思ってないことを言うと、その自分で言った言葉のうまく言えてなさに焦る。
嘘くささが相手にも伝わってるんじゃ…と思ってさらに焦る。


でもこの世にはとにかく何か言わなきゃいけないっていう事態がたくさんあるね。
そんなによく知らない人でも、お葬式に呼ばれたらちゃんと「お悔やみ申し上げます」は言わないと。
グループディスカッションにまったくなじみのないテーマ出されてさっぱり何も思い浮かばなくても、
誰かが「私はこうだと思います」って言ってみないと。
そういう時に大人度がためされると思う。
「思ってないこと言うのは不誠実だから、言いません」ていうのは子供の態度だよね。
とにかく何か言わなきゃ話進まないんだから。
かといって、「嘘臭くてもいいんだよ、とにかくなんか言っときゃよ」っていうのも、
それは大人かもしれないけども、なんか人をナメてるよね。
そうじゃなくて、ほんとの大人というのは、なにか言わなきゃいけないことを言うときに、
「言わなきゃいけない言葉」と「自分の気持ち」を近づけようとする人のことじゃないだろうか。
言うことを諦めるのでもなく、かといって心を無にして言うのでもなく、
言葉が本心にできる限り沿うように言うっていうのが一番誠実だと思う。
で、それには、ふたつのことが必要で、
①自分の気持ちに沿うように「言わなきゃいけない言葉」に適宜アレンジを加えていく
②「言わなきゃいけない言葉」を言えるような状態に自分の気持ちを変化させていく
この両方によって気持ちと言葉をお互いに歩み寄らせていくわけです。
自分の気持ちを優先させて①を追求しすぎると、人に受け入れられにくい言葉になっちゃう。
かといって②はすごく難しい。「OK!気持ち、変えます!」って言ってパッと変えられたらいいけどもそれは無理よね。


きっとみんなそういうことって苦労してると思うのね。
気持ちの伴ってない言葉を上手に言える人も、たまにいるけど、
たいていの人は思ってないことを言うとき、言い方が変になってる。
棒読みになったり、適当になったり、他の言葉と比べて浮いた感じになったり。


という話をして、歌の話に戻ります。
歌を歌うとすっきりする。
いい歌を歌うととりわけすっきりする。
人によって「いい歌」の基準はいろいろあると思うんですけど、
私の考える「いい歌」はどんなのかというと、
「メロディーと歌詞がしっくりきてる歌」です。
メロディーっていうのは、音の高低とかリズムのことで、
つきつめれば、イントネーションとか言葉の早さとかを極端にしたものです。
つまりそれは「言い方」のことです。
ということは、「いい歌」っていうのはつまり、「ある言葉のしかるべき言い方」だと思うの。
「いい歌を歌う」ということはそのまま、「ある言葉をしかるべき言い方で言う」ということ。
さらにいい伴奏がついてたら、「その言葉を言う時のしかるべき雰囲気」も後押ししてくれる。
それに乗って、メロディーにそって歌えば、誰もが「しっくりくる言い方」でその言葉を言えるわけです。
歌を歌うことの楽しさっていうのは、
「ああ、なんか今、わたしの気持ちと言ってる言葉がしっくりきてるわ!」って、
そういう、普段なかなか感じられないスッキリ感が味わえる、っていう所にあるんじゃないですかね。
いい歌のすごいところは、たとえ歌詞の意味が実際のとこよくわかってなくても、
べつにそんなこと普段思ったことなくても、
なんかそのメロディーに乗せて歌ってると気分的にわかったような気になるんだよね。


まとめると、
みんなが歌うのが好きなのは、言葉と気持ちのピッタリ感が気持ちいいから。
という説はどう思いますか?という話でした。






ついでのおまけ話だけど…
B-DASHの「めちゃくちゃ語」ってあるでしょ。
初期の方の歌詞の「うぇーんぼうれんごう」とかいうやつ。
あれは多分、「メロディーを歌詞で壊したくない」という考えのもとでできたんじゃないだろうか。
歌詞とメロディーっていうのは上記のとおりデリケートな関係にあるので、
うまくしっくりいけばお互いを高め合うんだけど、
しっくりいかないと、それぞれは良くても壊し合ってる、みたいなこともある。


「ハーコー」っていう曲が私はほんとに好きなんだけど、
あのサビのメロディーができた時きっとGONGONも「これは来た」と思ったと思う。(想像)
でも、メロディーが綺麗なら綺麗なほど、
それを壊さないように歌詞を作るのってほんとに難しいはず。
例えば、「この曲のこの感じだったら、ここの語尾は「え」の音がきれい」
とかっていうのが絶対あると思うんだけど、
ちゃんと意味の通じる歌詞をのせようすると、
当然語尾とか語彙を意味の通じるように選ばなくちゃいけなくなるので、
「『え』を語尾にするとなると…『探せ』とか『叫べ』とかかな。
でもこの曲そんな上から目線なやつじゃないし、命令の感じにしたくないんだよなぁ。
じゃあ『お前』とか?でもそこまでの歌詞では『君』って言ってるのになぁ。
あと『え』で終わるの何だろう。『お店』とかかなぁ。『ビヨンセ』とかな。関係ないなぁ」
みたいな、めんどくさいことが起こる。
そういうわけでB-DASHは、「だったら歌詞の意味なんてむしろ無いほうがいい、
とにかくメロディーが綺麗に聞こえる言葉を乗せるのを最優先にしよう」という方針をとったわけです(100%想像)
私はそれも全然ありだと思います。だってほんとにいい曲だもんなぁ。