◎天気図の話の次は、地図の話。ともになかなか不得意な分野ながら、身のまわりに普通にある、いつも目につく、そんなふたつだ。天気図はTVをつければよく見られる、地図は何かに困ればパソコンを開け、スマホを開け、「あれは どこだっけ」と調べる。

気象図は学校で教わらなかったが、地図、地理、これは小学校時代に教科書に載っていた、基本的なことは習ったと思う。今検索してみてみると、地図記号は無数にありそうだが、学校、郵便局、寺院、神社、ぐらいしか覚えていない。山に関して、広葉樹林、針葉樹林、その他の樹林、竹林、ハイマツ地、三角点、水準点、電波塔、噴火口・・あるもんだねえ“地図記号”知らなかった。

◎2.5万分の1、これが地図の基本らしい。これだと。4センチが1キロ、10メートルおきに等高線、50メートルおきに太字等高線、単純に富士山型の山なら、円を書く等高線が、丸、まる、丸、と連なっていくだけだけど、山あり谷ありが連なった山の地形は、「???」とわからなくなる。

◎「おお そうだった」今年の春も福井県で少し迷った。その時オレは大失敗をしでかした。スマホの地図と紙の地図を出し袋からコンパスを出した。「北はこっちだから あっちに進めばいい」こういって進みだしたが様子がおかしい。「え コンパスの針 赤 が 北か 反対に読んでいた ばかだねえ」30分ほどのチョンボで、大阪に帰り着いたのは夜中だった。

◎山をはじめて20年ぐらいは、いつも澤山さんが連れて行ってくれた、彼の後ろを歩く時は付いていけばいい、オレが前を歩く時は、道が不案内になると、「こっち あっち」とうしろから檄が飛ぶ。彼が病に倒れ、慌て地図を出し山計画を練った。オレがスマホを手に入れたのは、3年前、「ほう これは 便利だ」と感嘆した。山で一番困るのは、地図の上で、「オレは 何処に いるんだ」この、肝心の、現在地がわからない。大きく拡大した紙の地図を見ても、現在地がわからない。「そらあ 君 常に 地図を見てないから 今いるところが わからないんだよ」「大事なのは 等高線を読んで まわりの山の形を 見ること」にわかにこんなことを言われても、等高線を見るだけで現在地が、「まったくわからない」「余程知られた場所とか 分岐点とか 川の流れとか あればねえ」である。 

◎まだ60歳ごろ、澤山さんと正月の槍ヶ岳に登った。新穂高温泉の登山用駐車場に車を停め、その日のうちに槍平に向かった。槍平小屋の冬季避難小屋泊の予定で進んだ。雪の中なんなく小屋まで行き着き、冬季入り口から小屋に潜り込んだ。山小屋は、2メートル3メートルの積雪があるので、冬季入り口は屋根の下ぐらいに作ってある。ゆっくり眠らせてもらい翌朝起きると、ホワイトアウトでまっ白、まわりが全く見えない。澤山さんが、「うんうん 唸って 多分こっち」と進んでいった。感心する、山のことはよく知っている、間違いなく連れて行ってくれた。「山だけだよ」照れ笑いを覚えている。

 その後何度かそういうことがあって、「ちょっと ここで 待って」と道を探しに行き、「こっちだよ」と呼んでくれた。彼は地図を見るでもなく、前の日に見た地図と、山中での感が鋭かったのか、迷ってどうにもこうにも、ということはなかった。

◎オレは地図が弱い、地図を読むのも弱い。頭の中に、「あそこを曲がって 曲がって・・」と頭の中に本物の地図と全く違った地図が描かれていて、それを優先してしまう。車に乗っていても何度か回転するうちに、右か左かわからなくなってくる。あとで、ホンマモンの地図を見て、その違いに仰天である。

◎何度か行った山に、奈良県と三重県の境に三嶺山がある、そこに4人で登った。何度も来ていたので地図も見ずにてっぺまで行き、横の広い場所、八丁平で昼飯を食って休憩した。この山は道が5本ぐらいある、往路はすんなり上ったが、「さあ 帰ろう みなさん こっちだよ」と進んだ行った、1時間ほど来た時点で、三宅さんが、「ちがうぞ この道 三重県の方に下ってるよ」「え 三重県? 奈良県じゃないの? ちがうの?」「これ見てよ ここを下れば 三重県側だよ」「あちゃちゃ ごめん 間違えた」1時間以上のアルバイトになった。そういうことが何度もあり、オレの道迷いは皆さんに知られている。