はじめて自殺を意識したのは

本文:
5歳の時でした。

いつもの父からの虐待行為のあと

このまま死んだらどうなるんだろう?

死んでみようかな?

というのが最初だったと記憶しています。

よく簡単に死ぬとか言うなと言われますが、その人の簡単の定義ってなんだろう?

少なくとも26年間考え、悩み続けたことは

簡単の部類に入るのだろうか?

孤独を感じ、死を意識すると性欲が高まる。

生物としての本能が、早く子孫をつくれと言っているのだろう。

私は狂っていないと思う。

このように育てば、こう育つという至極当然に成長した気がする。

狂っていると感じるのは、狂っていると言われ続けるから。

誰も、社会も私を認めずに否定するからだ。

否定する方は簡単かもしれない。

でも、

否定されながら、生きるという選択肢を選んだ場合は…。
思えば、父に毎日のように、何時間にもわたって言われ続けた

『お前に生きる価値なんてない。人に嫌われる。』

という言葉をものごころついた時には既に吸収していたような気がする。

そして日はたち、

もう優しさを感じれなくなっていた。

思考回路は完全に狂い、

まともに目を見て人と会話が出来ずに、

この大都会の人ごみの中をいつも孤独を感じながら歩くようになった。

愛って何?

人を好きになるって何?

友達って何?

生き苦しさだけを感じていた。

仕事をするようになり、

完全なコミュニケーション不全で続かず、

今では採用されることさえなくなった。

よく言われるのは、

もっと努力しろ、頑張れ、

何を言っているのか意味がわからない。

頑張って努力しているから、苦しみが続いているのだろう。

私は間違えているのかも知れない。

じゃあ、正しさってなんだろうか?

一人でいれば孤独を感じ、人といれば体調が悪くなり、優しい言葉を聞けば人間不信になる。

言葉はフラッシュバックを誘発させるだけだ。

私は居場所が欲しい。

無条件で、何かをするためだけではなく、ただそこにいてもいいとされる居場所が。

安定した仕事、収入、家族、友人、恋人、住居が。

今までに、安定なんてなくずっと不安定だ。

もう生きていく意義がわからない。

求めて、拒否されて、寝込んで、吐いて、死にたくなって、殺したくなる。

ただそれだけ。

言われるのは、

お前なんかいらない

それだけだ。

今年の三月に覚悟を決めました。

ずっと考えていたけれど、

2012年3月迄に、生きててよかったと思える程の幸せを感じる事が出来なかったら死のうと思います。

死に方は間接自殺を選ぶつもりです。

人に迷惑かけずに勝手に死ねと言う人と

なんとかしてあげたいと言いながら何もしない偽善者と

単なる傍観者とに分かれると思います。

期限なんて無駄かもしれませんが、一応一年間だけは様子を見ようと思いました。

出来る限りの努力をしようとも思いましたが、体調が非常に悪く毎日苦痛を感じています。

苦しみから逃れたいのと、私がこの物理的世界に必要なのかどうかを問うてみたいと思います。

必要ならば、今求めている納得のいく幸せというものが体験出来るでしょう。

必要が無いならば、先程母に死にたいと言っても何もせずに放置するというように無視されるでしょう。

もう疲れたんです。

期待、希望、努力が。

結果は来年の三月、楽しみにしています。