子供を殺して自分も死のうと思っている母親がいる。

そこには、自分が男だったら父親を殺していたという娘がいる。

そこには、復讐のために夫婦関係を続けている妻がいる。

そこには、親に絶望して自殺しようとする子ども達がいる。

そこには、恋人を絞め殺しかけた若者がいる。

そこには、上司を殺しかかけた女性がいる。

そこには、心を空洞にして感情もないままに生きている人がいる。

そこには、生きてきた記憶がない女性がいる。

そこには、五感を失った人がいる。

そこには、爆発しそうな自分を救うためにゲーム三昧の子供がいる。

そこには、孤独に耐えきれずに、自分の中に別の存在を作る子供がいる。

そこには、生き地獄の現実から逃れるため、幻覚や幻聴と会話する人がいる。

そこには、生死に関わる場でなければ生きている実感が湧かないという人がいる。

そこには、自分を傷つけることで存在を確認しようとする人がいる。

そこには、食をコントロールすることで自分を取り戻そうとする人がいる。

そこには、自分の肉体もろとも自分の中に棲む親を殺したいと思っている人もいる。

これらが…、

今の日本の、

決して少なくない家庭のあり方のようです。

『誰でもよかった』

と言う無差別殺人を犯した容疑者の生い立ちを調べていると、色々出て来ました。

このような考えになった原因は、育った環境=親からの連鎖だと思います。

『誰でもよかった』と言う人も、『誰でも』ではなく、絶対に『親』だと思います。

親に愛されて育った人が、無差別殺人を犯した事件を知らないし、多くの場合は、殺人ではなく自殺を選ぶ場合が多いと思います。

人を殺せば、親に迷惑がかかる事を想像しやすいと思うので、

いじめなどで生きる事が嫌に成る程追い詰められた場合は、殺人ではなく、遺書に『ごめんなさい』と書いて自殺します。

この悲しい現実が連鎖する原因は、知識不足だと思います。