最近、周りの働くお母さんのブログとか
アメブロに載った記事とかいろいろ見て思ったんだけど。




私、前から言ってるけど
職場の制度には恵まれていて
時短勤務は子どもが小6になるまで使えるし
(最近小4→小6に延びた)
それをめいっぱい使う勢いで働かせてもらうし

たとえ仕事が忙しくても、
評価が下がるかもしれなくても
昇進できなくても
家庭優先!!を死守するつもり。



…でも。
本当のこと言うと
もう少し時間を延ばしても働けると思う。

あきぞうが残業がなくてお迎えはやってくれるし
保育園の延長保育(有料)もまだ使わずにやってるから
最悪、延長すればもっと働けると思う。



お母さんしながらフルタイムでバリバリ働いてます
って人見ると、
「すごいなぁ」と思うし、(なぜかちょっと)申し訳なささえ感じる。




私が勤務時間を延ばさないのは
たまぞうの生活を安定させたいから。

まだ小さいので、夜はなるべく早く寝かせたいし
親の都合で無理をさせたくない。

夜ご飯は毎日同じ時間にあげたいし
できる限り(手作りにはこだわらないけど)バランスのいいご飯にしたい。



子どもは、親が教えてあげなきゃ
健康な生活を知ることはできない。


だからそこは死守しようと思ってます。
そのために、少しだけ時間に余裕のある時短勤務をさせてもらってる。




なに甘いこと言ってんだ、
と思う人もいるかもしれないし
大変な中、時間を削りながら必死で働く人もたくさんいるだろうけど
別に人と比べるものでもないしね。




ただ、実際にフルタイムの人より
時間的な意味での貢献ができないのは確かなので

会社が、社会が、
フルタイムで働く母すごいぜ!
と賞賛するのはわからないでもない。

実際すごいと思う。
私も頑張らなきゃ、みたいな謎の焦りを感じるくらいすごいと思う。




けど、みんながそれを目指したいわけじゃないというのはわかっていて欲しいし、
働く母自身が自分はどうありたいかをしっかり持っておくべきだと思う。



そうじゃないと
仕事に対する「やらなきゃ!」という使命感と
実際できないジレンマと
子どもに対する申し訳なさと
いろんな罪悪感やもどかしさに苛まれることになると思う。




私は働く環境に恵まれてる話はしたけど

実際はたまぞうが1歳児でも全然休まないで元気に保育園に行ってくれている、
という子どもの体力的な意味でも恵まれてるし
あきぞうがお迎えに行けるからワンオペじゃない、
という育児の環境的な意味でも恵まれてるし

めっちゃ仕事したいお母さんからしたら
え、もっと働けばいいのに!
って思う超優良環境にいると思うし
実際お金のためにもう少し働いた方がいいとは思う…←



でも私があと少し時間を延ばしたら
たまぞうの生活も余裕がなくなるなと思う。
これはたまぞうのために自分で決めたこと。



もしかしたら将来、「あの時もっと働けば」と後悔するかもしれない。
あるいは誰かに「もっと働けばいいのに」と言われるかもしれない。



けど、うちはうち、よそはよそ、
これは自分で決めたから後悔しないぞ、
と、自分の軸だけはしっかり持とうと思う。


それを忘れないために書いてる(笑)






最後にどうでもいいけど、
私は「ワーママ」って言葉があんまり好きじゃない。


深い理由はなくて、単なる抵抗感だけど…
でも、「働く父」や「専業主婦」と差別化して
特別な存在かのように表す言葉に感じる。


父は当たり前に働いていても「ワーパパ」とは呼ばれない?
不思議な言葉。

最近だいぶ抵抗感は薄れたから、単なる慣れの問題かもしれない。


他人が使うのはその人の自由だと思うけど
「私はワーママ」というのはなんとなくまだ抵抗感(笑)