人類皆オタク也 | 神聖工房帝国

人類皆オタク也

(この時間帯で)一昨日のカラオケは楽しかったです。最後はテンション上がりすぎてあんまりついて来る人がいませんでした。まあむこうはエロゲなどを知らない普通の人です。そんな人らにエロゲの歌を歌ったって「何の歌?」と素で返されてしまいます。みんな良い曲なのにエロゲの歌だからと一筆抹殺され1人(独り)歌ってました。


でも、最近良い歌無いから自然に流れていくのは道理だと思いました。そこで一昔前の歌、雪の華を歌ってみることにしました。季節感が全くありません。ちなみに私は男です。裏声でソプラノくらいバリバリ出ます。程よく忘れ、サビの部分だけ熱唱、感想はよくあんな声が出るなとのことです。まあ裏声でも男であの声はやはり希有な存在なのでしょうか?調子に乗ってヒカリ(宇多田ヒカル)なども歌ってみましたが、流石にでない部分もありました。そんなわけで、普通に男の歌を歌ってみた(未来への咆哮)ら、高い音が全く出ませんでした。裏声でソプラノ出しても素でテノールが出ないのはちょっと・・・ と少しだけ悲しかったです・・・


まあここからが本番です。今日は少しまじめな話をしたいと思います。


他人の趣味、性癖を否定するのは良くないことです。確かに一般人から観れば、オタクはキモイかもしれません。だからこそ、逆も然りです。逆の視点から観れば、一般人の考えを理解できないことも多々あります。


たとえですが、オタクが地方から東京までキャラグッズを買いに遠出したとします。

一般人が地方から東京までライブを見に行くとします。


さて、この2つの違いはなんでしょうか? どこも違うところはありません。趣味にはしる行為だと思います。故に、一般人だってそういう見方をすれば、立派なオタクなのです。ただそれが、多数派か少数派かどうかということです。もっとも世間では、「大>小」なのです。多数決を採れば小がオタク(非難される立場)になるのは道理です。数の暴力には勝てません。そうやって少数派は非難されていくのです。自分達と違う、という理由で非難されるのはおかしいのではないのでしょうか? 非難される謂われはありません。むしろ趣味に真摯な姿は崇高なものだと考えます。


これが(自称、少数派の)私の持論です。やはり周囲には奇異な目で見られています。こう考えると世界って不条理だなと思いました。