今日は78回目の、広島に祈りを捧げる日。



私は相変わらず、メディアに触れることはほとんど避けて過ごしてしまっていますが……何も知らないわけでも、忘れたわけでも決してありません。



戦争は恐ろしいもの。核兵器なんて地球上に存在させてはいけないもの。
みんなでせーの!で手放してしまう覚悟があれば、それで済む話なのにな、とも思います。



旧ブログで、やはり日本人としてずっとスルーはできないな、と、一度だけ戦争について書いてみた記事……残しておきます下矢印




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【2021.8.15「終戦の日」】



この手の話は本当に苦手なのですが………。


日本人として、いい大人として
毎年毎年スルーしていいことだとも
思わないのでちょっと書いてみます。




今日は8月15日。終戦の日です。


私は………戦争関連の話は、小さい頃から
本当に苦手。
苦手というより、ただただ「怖い」のです。


小学校から高校まで、この時期になると
いわゆる「平和教育」を受けました。
映画も見(せられ)たし、体験記も
読んだ(というより読まされた)。
夏休みの読書感想文の課題図書にも、
戦争関連の本がたくさんありました。



もちろん、それは大事なことだとは
思います。


でも、まだ小学生だった私に、
沖縄戦や空襲や原爆投下の話は、
ただただ怖かった。
強烈に「怖い」、ゆえに
「見たくない、触れたくない」ものとして
脳裏に焼き付き、心に刻まれてしまいました。


6月23日(沖縄戦終結の日←これは大学で知った)、
7月9日(出身地和歌山大空襲の日)、
8月6日、9日、15日。

私が今でも、テレビをつけられない、
ネットも極力見ないようにしている日です。
触れてしまったら、自分があたかも
その災禍の中に放り込まれたような
恐怖を感じてしまうから。



戦争は殺し合い。悲惨なもの。
二度と繰り返してはいけない。


それは、重々分かっています。
そのために伝えていくことの大切さも。


でもね………。
子どもの頃から、平和の大切さを伝え、
教えていくためには。


もちろんその子どもの性格にもよりますが、
私のように、まず「怖い」の感覚が
強烈にインプットされてしまうような
性格の子どもには特に、ただただ悲惨さを
伝えるだけではだめだと思うのです。


事実、なぜ日本は戦争に突き進んで
いってしまったのか?
そうなるまでの社会情勢、
バックグラウンドはどうだったのか?
一定の教育を受けて、高校では日本史を
専攻していた私でも、大人になった今でも
そんなことはほとんど知りません。


………そこをちゃんと知らないと、
結局はまたいつかは同じことを
繰り返すんじゃないの?


ここ数年、特にそんな気がしています。


私はやはり「怖い」の感覚がどうしても
先に立つので、この年齢になって自ら
そういうことを知ろう、調べようとは
思えませんが。


学校の平和教育で教えるべきことは、
感受性の強い(強すぎる)子どもにまで、
ただただ恐怖感を植え付けることでは
ない気がする…………。


そんな気がする、76年目の夏、
アラフォー女子の終戦の日です。