★2014年6月13日・・・朝病院から電話があり、父がベッドの柵を勝手に取ってしまい、センサー(ベッドに衝撃などがあった時にナースコールが鳴るようになってる)の線まで抜いてしまってて、声も出せず体も動かせず、床で倒れていたとの事
しかも2日間連続
『体を打って、怪我をさせてしまいました。本当に申し訳ありませんでした』
と看護師さんに言われたが、こちらが本当に申し訳ないと思い、不安も出て来た。
もしかしてこれがせん妄ってやつなのか
本やネットで色々な事を調べすぎてしまったので、無駄に変な知識もついてしまい、前向きになれない事までも考えてしまう。
後日先生に聞いたら、癌性髄膜炎の悪化によるものからきてる可能性が高いとの事だった。
どうして・・・きっと正気の父がこの状況を知ったら、ショックを受けるに違いない。
自分で尿を排出する事も、出来なくなってしまったので、管を通しての排出。
量はあまり出てないようで、すごく心配。
この日夜中に突然父から妹に電話があり、夢か現実か分からないようで、死に繋がるような内容の話を何度も何度も唱えるように言ってたようで、その事で妹は精神的に参ってしまい、体調を崩してしまった。
父の心の中は、一気に寂しい気持ちと、死に対して怖いという気持ちが、日に日に強くなっていく。
★2014年6月17日・・・連日父には、小中学校や高校の同級生、職場が同じだった同僚や先輩&後輩、親戚などなど
本当に沢山の人が、お見舞いに来てくれる。
普通の状態の父であればきっと、『どうしてこんなにも沢山の人が来るんだ?』と、疑問に思うはずだが
少しずつ思考能力が低下していってる父は、寂しい気持ちが一気に吹き飛んでいき・・・
お見舞いに来てくれてる時間は、とにかくよく話をしてよく笑って、体を自分で起こして座る事も出来る様になって、体調も一気に良くなっていった。
そしてみんなが帰ると、私と母がいるのを確認していびきをかいて寝る・・・そんな日が続いた。
ここ数日間で悪化して手の震えもひどく、食事も1人で出来なかった父。
それも1人で食べれるようになり、食欲もなかった父が、『口の中がまずいけど頑張って食べるわ~』と言いながら、食欲も快復
相変わらず夢と現実が混同してるせいか、おかしな事は言うけれど、父が少しずつ回復してくれてるのかなと思ったら、本当に本当に嬉しかった。
人の存在や励ましや、温かい言葉って本当に凄い
これが父の生きる気持ちを強くさせたり、回復させたりするんだって改めて感じた。
★2014年6月19日・・・この日もお友達3人がお見舞いに来てくれて、父の口調も体調も絶好調
『元気そうで良かったよ』と言われ、昔話に花を咲かせて、子供のような笑顔で楽しそうにする父。
個室がいっぱいなので、少しだけ病院の休憩室で母と2人でいた所に先生が来た。
『髄液の検査の結果ですが、どうやら薬が効いてくれたようで、数値も10分の1まで下がってます』
との事だった
髄液有核細胞数というのが基準値が0~15であり、
6/11 294
6/13 343
と悪化してる状態であったものが
この日の数値では、【35】と基準値ではないが、大幅に減っていた
『僕も今回の治療だけは、正直半信半疑な気持ちでやってきたけど、こんなに効いてくれたので本当に良かったです。体調の負担も考えて、中断も選択に入れてましたが、このまま治療を継続させますね』
と先生も笑顔だった。
私と母は嬉しくて嬉しくて
『やったー』と2人で大喜び
人が他に誰もいなくて良かったけど、たぶん2人で我を忘れて叫んでいたと思う。
お父さんすごいよ!本当にすごいよ!
奇跡が起こったよ
辛くて苦しい治療であるのに、父も私達家族も、その道を選んでしまった。
ここ数日間の精神不安定で、夜中に急に寂しくて、電話をかけてきて泣く父に、後悔した日もあった。
でも一時的にでも、効果が出てくれて良くなってくれた。
たくさんの人に支えられ助けられ、それが父の力になり、どんなに辛い治療にも乗り越えて、我慢して頑張ってくれた父に、感謝したい。
☆ここまでが長々と大まかで読みにくいかも知れませんが、病気発覚から先週までの経緯になります。
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