【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
放射能漏れ 致死量の150倍 ウラジオストク 7年前の原潜事故

旧ソ連の太平洋艦隊司令部があるウラジオストクで7年前、原子力潜水艦の核燃料入れ替え作業中に発生した核爆発事故の詳細な内容が地元紙の写真などから初めて明らかになった。(ウラジオストク・山本肇)

原潜の核爆発事故は85年8月10日、ウラジオストクに近いチャズマ湾の原潜修理、燃料補給基地で起きた。ビクター級原潜の核燃料入れ替え作業中、原子炉の核反応を抑える制御棒を燃料棒と誤って引き抜くか動かすかしたため、核燃料の暴走反応が起きて冷却水の水蒸気爆発を誘発。甲板付近にいた乗組員10人が吹き飛ばされて死亡、86人が被ばくしたほか、周囲に1時間あたり9万レントゲンの放射能が放出された。
原子力関係者によると、人間は1時間あたり600レントゲンの放射能を1分間浴びると死亡するといわれる。
事故による放出量はその150倍にも当たる規模だった。
事故を起こした原潜は現場から160キロ離れたパブロフスカヤ湾に、他の老朽原潜とともに係留されているが、艦体上部の鋼鉄の甲板に大きな穴があき、衝撃の大きさを物語っている。
この事故の調査を担当している太平洋艦隊のダニリャン科学担当官は、旧ソ連では原潜の建造が始まった1960年以降「死者を出した初めての事故」と明言。事故後、放射性廃棄物は現場から10キロ離れた専用の投棄場にコンクリートで固めて埋めたという。また別の海軍関係者は、事故海域の放射能が消え去るまで50年かかると話す。
同事故については、発生2カ月後にソ連の新聞が“死者10人”と簡単に報じただけで、放射能漏れの規模などは一切、軍事機密として隠されてきた。

(中日新聞 1992/04/26)