今の時代だと、テレビや、実際に見たりで、誰もが「気球」を知っています。


なので、実際に気球を見ると、「大きい」とか、夜に見ると、「きれい」などという表現になります。


しかし、気球は明治の半ばまでは、まだまだ、一部の軍関係者しか見ることがないもの。


それをみた日本人の衝撃も大きく、「お化け」とか「ラッキョウのお化け」という表現を目にする事が出来ます。


この時代の気球のサイズは、イギリスのスペンサーが来日した時の、新聞記事によると、長さ9間(約16メートル)、幅5間(9メートル)、周囲17間(約30メートル)とあります。


この時代は、ガス気球が主流なので、「ナイトグロー」で、大きな提灯のように、煌々と周りを明るく照らす、夜の「熱気球」の美しさは、見ることが出来ません。


この時の気球は、ショーとして見るのが主流で、搭乗というのは、ほとんど無かったのだと思います。



小学校で熱気球体験教室

明治10年4月14日、海軍が気球製作の依頼を受け、4月17日から2日間の予定で、気球製作を開始。


スタッフは、麻生武平ら7名。


5月21日に、一回目のテストが成功。


5月23日に、陸軍のメンバーを呼んでの公式実験。


11月7日、明治天皇御前での実験が行われました。


明治37年には海軍軽気球隊、陸軍臨時軍用気球隊が編成されます。


こうして、気球は、しばらくは軍とともに歩むことになります。



小学校で熱気球体験教室

気球は、早くから軍事面での利用も考えられました。


1793年、フランス革命に成功した共和国軍が、外国軍隊と戦った際に、「気球隊」が結成されて、偵察用として活躍したと伝えられています。


また、アメリカでは南北戦争当時、北軍の偵察用として利用されました。


普仏戦争でも、脱出や通信に気球が利用されて、大成功をおさめたそうです。


日本でも、軍事面での利用が考えられました。


明治10年、西南の役において、熊本鎮台が西郷軍に包囲されていたとき、政府は、普仏戦争のパリ脱出を例に、熊本城と連絡を取ろうと考えました。


それから、本格的な気球の利用が始まります。



小学校で熱気球体験教室