しばらく、お休みしていました。


私も、33才、去年の暮れにダウンしてしまい、イベントに、暫く参加できませんでした。

やはり、肉体労働だけに、体が資本。


最近は、食生活も改めています。


それ以外にも、目に付くのは、健康食品。


黒酢、にんにく卵黄、等々・・・その中でも、私が選んだのは、青汁。


何となく手軽だし、昔からあるものなので。


今は、納豆・青汁・そして、日々の散歩をして、体調を整えています。


肩こりが前からひどかったので、磁気ネックレスもするようになりました。



今年の夏も、那須高原にある、「ホテル エピナール那須」さんにお世話になり、夏の期間、熱気球の体験搭乗をします。


そのことは、また次回に。


皆さんも、健康にはくれぐれもご注意ください。



                     熱気球 那須

今年は、那須高原の、「エピナール那須」さんで、7月18~9月4日まで、朝と夜に、熱気球体験搭乗を実施します。


去年の夏も、水上高原・斑尾高原で、熱気球体験搭乗を実施しましたが、長くても、10日間くらい。


1ヶ月以上の長期となると、私自身初めてのことになります。


これだけの長期となると、仕事の面での段取りは当然のこととして、生活面・精神面でも気配りが必要になります。


私は既婚者ですが、妻とずっと離れて暮らすことになりますし、そういう面では、精神的にもちょっと寂しいという感覚が正直あります。


なにぶん、長期なので仕事を終えた後の、レクリエーション・・・トランプなどの用意も欠かせません。


仕事面での段取りは、熱気球の燃料である、プロパンガスの手配、宿泊、等多岐にわたります。


なにより、安全が最優先の仕事。


長い期間なので、集中力をきらさないように、乗り切ることが、もっとも大事です。



小学校で熱気球体験教室

人類初飛行こそ、熱気球でしたが、近代に入るまで、気球はガス気球が主流だったようです。


明治の時代には、気球の自由飛行が、日本でも行われていたようですが、やはりガス気球だったようです。


明治23年にスペンサーが来日しての後、奥田弁次郎という人物が、大阪でガス気球による自由飛行を始めました。


明治の36年頃には、かなりの飛行が行われるようになっていたようで、空からチラシを巻いたり、大垂れ幕をつけての広告・宣伝を始めていたようです。


かなりのインパクトがあったようで、広告効果もかなりあがったとのことです。


現代でも、気球というのは、人々の目をひきつける魅力的なものですが、この当時では、さらに強烈に人々の目をひいた事でしょう。


この奥田弁次郎という人物は、スペンサーが来日した時も、それを取り計らったそうです。


かなりの先見の明と、行動力のあった人物だといえます。



小学校で熱気球体験教室