司馬遼太郎著「播磨灘物語」全4巻を読み終えました。


前半の2巻のイベントは先の記事に書きました。
播州と近い摂津を治める荒木村重の謀反までが前半でした。

後半のイベント。
荒木村重の説得のために伊丹有岡城を訪れた黒田官兵衛は投獄されてしまうも、一年余りの籠城戦の末の有岡城降伏に伴い救出。
牢獄の不衛生さ故に脚などに障害をおい、しばらく養生。
その後は毛利軍の治める有名な備中高松城攻略戦に参戦。
そのさなかの本能寺の変と秀吉の「中国大返し」。
そこで官兵衛は殿軍をつとめる。
引き返した秀吉軍は山崎の地で光秀軍と戦闘。
知られる通り明智軍は敗北。
光秀は敗走中に土民の竹槍で突かれ落命。
三日天下となる。
秀吉が政権を確立後は石田三成らの秀吉が育てた人材の発言力が増して官兵衛の位置付けは低いものとなり、それに失意を覚えた官兵衛は秀吉に豊前12万石を与えられるも43歳の若さで隠居して息子長政に家督を譲る。

イベントとしてはこういったところ。
軍師として有名な官兵衛ですが、山崎の戦いでは前線で戦闘の指揮をとっていたようです。

また地理的にアタシの住んでいるところや行ったことのあるところが多く出てきました。
あの場所でこんなことがあったのね、という発見も多かったです。