前回の続きです。
1994年のお正月のこと。
さて、大急ぎで引っ越しです。
冬休み中に、引っ越さなくてはいけません。
私は、それまで住んでいたアパートを出ました。
思えば、佃にあった元夫の社宅(3LDK)から、
離婚して自分で暮らすときに、
安いアパートを探したので、
広さは二人には十分だったけど、
とても古くて汚いところでした。
私は昔から、ぼろぼろのアパートに憧れるところがあったのです。
そんな場所でも平気でした。
これは、セントラルヒーティングの家を与えてくれていた、父への復讐です
「ふん、そんなものは愛じゃないよ。
貧しくても、肩を寄せ合って生きるのが愛さ」…みたいなね
でも、結局、そこに3年でおさらばして、
またエアコン付きのマンション暮らしになりました。
新しいマンションは広い庭つきで、
とても暮らしやすかったのです。
私は、少し自分が進歩したように思いました。
私は、自分で考案したフリーペーパー「きょうはなんの日」
は、絶対成功すると信じていました。
自分でクーポンをつくり、
スタンプラリーで町内を回った人には、うちから賞品を出すことにしました。
営業はもちろん、原稿づくり、レイアウトや印刷原稿づくり、集金、
すべてを自分でしなければなりません。
17万部の新聞折り込みに加えて、
自分でも近所にポスティングをすることにしました。
当時は、バブルがはじけ、広告業が2/3になったと騒がれていた時代。
つまり、小さな商店は、広告が出せなくなっていたのです。
私は、カレンダー型の共同広告というアイデアは、
絶対に受ける、と思ったのです。
私はお正月が開けると、営業に出ました。
せっせと各店をまわり、広告のお願いに行きます。
私は、この西葛西の街が大好きだったので、
街を歩くのが仕事なのは、苦になりませんでした。
とはいえ、慣れない営業の仕事。
なかなかうまく、広告を取って来れません。
ときには、葛西臨海公園に早朝から自転車で行き、
鳥たちの声を聞きにいって、
自分を慰めていました。
私には密かに夢見ていることがありました。
それは、私の元の会社の上司とその部下を、
私の会社でいつか雇う、ということでした。
彼らもまた、不況で転職せざるを得なかったので、
不遇のままだろうと私は思っていたのです。
この思考が、私の根本的な間違いの元だったのですが、
当時はそんなことをまったく知らなかったのでした。
(つづく)
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↓やっぱりこれ! 人生の目的は、どうやればみつかる?
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