18年前の私に会いに行く。その7 | フラクタル心理学開発者から 心理分析を学ぼう

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前回の続きです。

 

1994年のお正月のこと。

 

さて、大急ぎで引っ越しです。

 

冬休み中に、引っ越さなくてはいけません。

 

 

 

私は、それまで住んでいたアパートを出ました。

 

思えば、佃にあった元夫の社宅(3LDK)から、

 

離婚して自分で暮らすときに、

 

安いアパートを探したので、

 

広さは二人には十分だったけど、

 

とても古くて汚いところでした。

 

私は昔から、ぼろぼろのアパートに憧れるところがあったのです。

 

そんな場所でも平気でした。

 

これは、セントラルヒーティングの家を与えてくれていた、父への復讐です叫び

「ふん、そんなものは愛じゃないよ。

貧しくても、肩を寄せ合って生きるのが愛さ」…みたいなねショック!

 

 

 

でも、結局、そこに3年でおさらばして、

 

またエアコン付きのマンション暮らしになりました。

 

新しいマンションは広い庭つきで、

 

とても暮らしやすかったのです。

 

私は、少し自分が進歩したように思いました。

 

 

 

私は、自分で考案したフリーペーパー「きょうはなんの日」

 

は、絶対成功すると信じていました。

 

自分でクーポンをつくり、

 

スタンプラリーで町内を回った人には、うちから賞品を出すことにしました。

 

営業はもちろん、原稿づくり、レイアウトや印刷原稿づくり、集金、

 

すべてを自分でしなければなりません。

 

17万部の新聞折り込みに加えて、

 

自分でも近所にポスティングをすることにしました。

 

 

 

当時は、バブルがはじけ、広告業が2/3になったと騒がれていた時代。

 

つまり、小さな商店は、広告が出せなくなっていたのです。

 

私は、カレンダー型の共同広告というアイデアは、

 

絶対に受ける、と思ったのです。

 

 

 

私はお正月が開けると、営業に出ました。

 

せっせと各店をまわり、広告のお願いに行きます。

 

私は、この西葛西の街が大好きだったので、

 

街を歩くのが仕事なのは、苦になりませんでした。

 

 

とはいえ、慣れない営業の仕事。

 

なかなかうまく、広告を取って来れません。

 

ときには、葛西臨海公園に早朝から自転車で行き、

 

鳥たちの声を聞きにいって、

 

自分を慰めていました。

 

 

 

私には密かに夢見ていることがありました。

 

それは、私の元の会社の上司とその部下を、

 

私の会社でいつか雇う、ということでした。

 

彼らもまた、不況で転職せざるを得なかったので、

 

不遇のままだろうと私は思っていたのです。

 

 

この思考が、私の根本的な間違いの元だったのですが、

 

当時はそんなことをまったく知らなかったのでした。

 

(つづく)

 

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