★第237話:少女歌手 | 中高年の中高年による中高年のための音楽

中高年の中高年による中高年のための音楽

10年続けたYahoo!ブログから移転してきましたが、Amebaのブログライフも4年を越えました。タイトルは当時と同じ「中高年の中高年による中高年のための音楽」です。
主にオールディズが中心の音楽を紹介しています。よろしくお願いいたします。

少年・少女と幼児の定義

 日本の法律で、「少年・少女」とは、 少年法第2条第1項の定義では20歳未満の男女。児童福祉法第4条第1項の定義では小学校就学の始期から、満18歳に達するまでの男女のことをいう。

 そして、「幼児」とは、児童福祉法第4条第1項及び母子保健法第6条第3項の定義では満1歳以上就学前の者。道路交通法第14条第3項の定義では6歳未満の者。薬機法に基づく厚生労働省通知では1歳以上7歳未満の児を指すようだ。

 

美空ひばり

 とすると、9歳でデビューし、その天賦の歌唱力で天才少女歌手と謳われて以後、歌謡曲・映画・舞台などで目覚ましい活躍をし自他共に歌謡界の女王と認める存在となった美空ひばり(1989年、52歳で没、写真)。

 「1943年6月、6歳のとき、第二次世界大戦に父・増吉が海軍に出征となり壮行会が開かれ、和枝は父のために『九段の母』を歌った。壮行会に集まった者達が和枝の歌に感銘し、涙する姿を目の当たりとした母・喜美枝は和枝の歌唱力に人を惹き付ける可能性を見出して、地元の横浜近郊から和枝の歌による慰問活動を始めるようになった」とWikipediaに記述されているが、そのときは幼児と少女の間の微妙な時期だったのだ。

 そして、「1946年、9歳のとき、NHK『素人のど自慢』に出場し、予選で『リンゴの唄』を歌い加藤母子は合格を確信したが鐘が鳴らない。審査員は「うまいが子供らしくない」「非教育的だ」「真っ赤なドレスもよくない」という理由で悩んだ挙句、合格にすることはできないと告げた。横浜市磯子区の杉田劇場で初舞台を踏む」とあるが、そのときは幼児ではなく、少女だったのだ。

 彼女のデビュー曲は、1949年8月10日発売の「河童ブギウギ」だったが、A面は霧島昇「楽しいささやき」で、レコードではB面収録だった。その1か月後に発売された「悲しき口笛」がびばりにとってのA面デビュー曲で、当時、45万枚程を売り上げ、ひばりにとって出世作となり、ひばりは本楽曲のヒットにより一躍有名になる。12歳の少女だった。

美空ひばり/悲しき口笛(1949年)

 

ののちゃん

 ところが、今や3歳の歌姫の登場、明らかに幼児である。今年の5月にソロアルバム「ののちゃん 2さい こどもうた」(写真右)でキングレコードから、童謡歌手としては史上最年少のCDデビューを果たしている、村方乃々佳ちゃん。愛称はののちゃん。(写真左)もうご存知の方はたくさんおられるだろう。自分も何度この愛らしい姿と歌声に癒されたことだろうか。


1.こんにちは ののちゃんです~ごあいさつ 2.いぬのおまわりさん 3.ぞうさん 4.とんとんとんとん ひげじいさん 5.おもちゃのチャチャチャ 6.すうじのうた  7.おべんとバス 8.ねこふんじゃった 9.大きくなったら なんになろう?~インタビュー 10.ママのおなか 11.いぬのおまわりさん~第35回童謡こどもの歌コンクール〈ライブ録音〉12.とーく・たいむ

 2020年11月に開催された「寛仁親王牌 第35回童謡こどもの歌コンクール」に参加し、童謡『いぬのおまわりさん』を歌唱。「こども」部門の銀賞を史上最年少(2歳5ケ月)で獲得し、愛らしい身ぶりや力強い歌声がSNSを中心に注目を集めた。これを見ると、YouTubeに公開された動画は本日の2021年8月17日時点で2,000万回再生、チャンネル登録は11.5万人を超えている。

村方乃々佳/犬のおまわりさん

 2021年1月4日には公式YouTubeチャンネル「ののちゃんねる」を開設。チャンネル開設から1か月半で登録者数は30.9万人、チャンネル総再生回数は250万回にのぼったという。
 自分には2歳とか3歳とかの記憶はない。その当時は多分喋ることすらままならかったはずだ。凄いとしか言いようがない。

 

幼子はまるで天使のようだ

 以前、TBS系テレビ「サンデーモーニング」で、評論家の大宅映子(現在80歳、写真)が、「2歳から7歳のお子さんは天使のように可愛い」と言っていたが、これはその通りだなと思った。 

 
2歳は物事の理解度が増して片言でいろんなことが言えるようになる。7歳は小学校に上がったばかりで、まだ無邪気なころ、自分には残念ながら孫はいないし、息子は二人いるが将来的にも孫は望めない身だが、子どもが可愛くてしょうがない。 
 お子さんとの接点は、
保育園の散歩(画像左)や、小学校の登下校(画像右)が主だ。

 それだけに、小さいお子さんが親の虐待や、大人の不注意の事故で亡くなった話を聞くととても悲しい。最近も7月29日、福岡県中間市の保育園の送迎バスで9時間車内に取り残されて死亡した5歳の園児が見つかったという事件があった。

 それにつけても、二年前の2019年、5歳という可愛い盛りに、虐待の末衰弱死した船戸結愛(ゆあ)ちゃん(写真)のことを思うと悲しくて、今でも胸が締め付けられそうになる。(★第9話:結愛ちゃんのことを思う)


 

少女歌手の思い出1

 少女歌手といえば童謡。一般的に声変わりとも言う、「変声」は、男子の場合それが顕著で、第二次性徴における身長の伸びのピークが過ぎた頃に変声が生じ、それを過ぎると声の高さが1オクターブ程度低くなる。それで少年の歌手が少ない。なお、「ウィーン少年合唱団」(写真)は、変声前の少年のみで構成されていて、変声を迎えた少年は退団することで有名である。


 
日本の童謡歌手第1号だったのは、日本童謡の父と言われ「七つの子」、「青い目の人形」、「赤い靴」、「十五夜お月さん」などを作曲した本居長世(1945年、60歳で没、写真左)の長女・みどりだった。1920年、東京・有楽座で行われた「新日本音楽大演奏会」で、父が作曲した「十五夜お月さん」を、当時8歳だったみどりが熱唱、驚嘆した聴衆が当時としてはまれであったアンコール演奏を行わせたほど、子どもとは思えない歌唱力を披露した。ほどなく次女・貴美子、しばらくして三女・若葉が加わり、「本居三姉妹」(写真右)と呼ばれ人気を博した。貴美子は父の曲、「青い目の人形」(1921年)、若葉は「汽車ぽっぽ」(1927年)を歌い、日本各地で公演を行った。


 「うれしいひなまつり」、「かもめの水兵さん」、「りんごのひとりごと」などを作曲した
河村光陽(1946年、49歳で没、写真左)。その長女の順子が歌唱、次女の陽子がピアノ、三女の博子がヴァイオリンの演奏家で、これも各地を公演した。(写真右)

 そして、上記三姉妹に続いて最も有名でかつ歌の上手な姉妹歌手は、まあちゃん、たかちゃん、みっちゃんで親しまれた川田正子、孝子、美智子の「川田三姉妹」。川田三姉妹のうち、川田正子(2006年、71歳で没)と、川田孝子(現在84歳)は後に作曲家、海沼實と再婚する川田須磨子の連れ子で、末妹の川田美智子(現在76歳)は実子である。
 
 三姉妹のうち最も有名なのが、長女の
川田正子(2006年、71歳で没)。日本の童謡歌手の先駆けであり、最大の功労者の一人と言われている。1942年、7歳で歌手として芸能界入りし、戦後は、海沼實作曲による1945年の「里の秋」と、1946年の「みかんの花咲く丘」、1947年に始まったNHKラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」が立て続けに大ヒットし、復興しつつある日本人の希望の星になった。しかし変声期で声が出なくなり、1947年(12歳)で引退するも、引退を惜しむファンの声を忘れることができず、童謡歌手として復活を果した。さらに1979年には「森の木児童合唱団」を創立する。最後の公演となった、2006年1月21日の長崎県で行われたコンサート。いつものように16曲を歌い上げ、翌日、入浴中に心不全で倒れる。71歳だった。
川田正子/里の秋(1945年)

川田孝子/ちんから峠(1939年)

 昭和20~30年代には少女童謡歌手のピークを迎え、歌だけでなく、アイドルとして映画・ラジオ・テレビに出演したり、雑誌の表紙やグラビアに取り上げられるなど、加熱した人気を保った。代表的な童謡歌手として松島トモ子(現在76歳)、伴久美子(1985年、44歳で没)、安田祥子(現在79歳)、安田章子(現在74歳)(いわゆる安田姉妹)、近藤圭子(現在78歳)、渡辺典子(1992年、47歳で没)、高木淑子岩田佐智子古賀さと子(1996年、55歳で没)、小鳩くるみ(現在は鷲津名都江、73歳)、久保木幸子平井英子(2021年、103歳で没)、白鳥みづえなどがよく知られている。
 
 なお、昭和20〜30年代の少女童謡歌手のうち、
松島トモ子は女優・タレントとしてその後も芸能界で活躍、安田祥子は東京芸術大学に進学して声楽家、安田章子由紀さおりの芸名で人気流行歌手、小鳩くるみは大学の英文科教授になった。

少女歌手の思い出2

アミラ・ウィルハーフン
 オランダの素人発掘オーディション
「オランダ・ゴット・タレント」スーザン・ボイルを発掘したことで有名だ。2013年、そこに現れた9歳の少女アミラ・ウィルハーフン(写真)。

 彼女は全くの独学でオペラの
「私のお父さん」を歌いこなしていたのだ。その歌声に審査員も含めた聴衆が総立ちで拍手した。そしてその歌声はすぐに世界中を駆け回った。動画では、その時の模様。第二のスーザン・ボイルとも呼ばれた彼女と、審査員のやり取りもお楽しみください。
アミラ・ウィルハーフン/歌劇ジャンニ・スキッキより「私のお父さん」

 あれから8年。当時9歳だった少女も17歳になった。これは2019年の映像。相変わらず美しい声だ。


メリッサ・クニヨシ

 今から9年前の2012年、拙ブログで紹介したが、メリッサ・クニヨシちゃんは、サンパウロに住む当時9歳の日系ブラジル人。

 カラオケ好きの父の影響もありわずか2歳で歌い始め、4歳で初めてカラオケ大会で優勝し、8歳頃にはブラジル・SBTの人気テレビ番組「ラウル・ジル」に出演して大絶賛を受け、ブラジルで人気に火が付いたという。

 その後、2013年、メジャーデビューを志して家族とともに日本に移住し、同月より鈴木淳のもとで歌のレッスンを受けながら様々なイベントに出場した。2015年10月、グローボが日本で主催する「Brazilian International Press Awards Japão 2015」にて「プレスアワード賞(女性ソロ歌手部門)」を受賞。2016年、インディーズ・デビュー曲「虹色少年」と「ほほえみホスピタル」をリリースした。そのデビュー時には「ラウル・ジル」のステージに凱旋出演した。2018年9月、自身初となる単独ライブ「メリッサ・クニヨシ Live in 安曇野を長野県で開催するなど日本で活躍をしているようだ。彼女ももう18歳だ。

(Wikipedia参照)