●浅見光彦シリーズ16 坊っちゃん殺人事件
たまたまテレビを点けたら、BS・TBSで、「浅見光彦シリーズ16 坊っちゃん殺人事件」(2001年の再放送)が始まっていた。大方の想像通り、四国の松山で起きた難事件を探偵の浅見光彦が見事に解決するというミステリー番組だ。
今作品では光彦らしい恋模様が繰り広げられるそうで、おなじみの名推理も冴え、空撮で挑むしまなみ街道の映像も圧巻。また主演・沢村一樹の坊ちゃん姿と、戸田菜穂のマドンナ姿は必見。ちなみに、自分は同郷(広島県)の戸田菜穂のファンである。
●愛媛県松山市に住んでいた
東京・渋谷にあった本社勤務から、横浜営業所の内務係を半年経験し、営業マンとして愛媛県・松山市への転勤の辞令が下りたのは1974年(昭和49年)、25歳の冬だった。そして、その地で結婚し、長男と次男を授かった。
ルートセールスの営業マンで、担当は県都・松山市の一部と、東予地区と呼ばれる今治市、西条市(当時は東予市、西条市、丹原町)、新居浜市、四国中央市(当時は伊予三島市、川之江市、土居町)の電器店を担当していた。そこに6年半住んで、次の転勤先は福岡市だった。
赴任先が松山市だったのは、故郷が広島県・呉市だったので、会社が配慮して実家の近くにしてくれたのだと思っている。松山は、水中翼船(画像の中央)に乗ると、約1時間で帰郷することが出来る。妻も呉市の出身。帰省の際はほとんど妻の実家に泊まったものだ。
村下孝蔵/松山行きフェリー(1980年)
幸いだったのは、愛媛と広島は言葉や習慣だけでなく食べ物の種類や味付けまでもとてもよく似ていて、あまり違和感を感じなかったことだ。そもそも1500万年前は愛媛県と広島県に当たるところはくっついていたからだ、というのは言い過ぎだろうか。(画像)
下図は広島県と愛媛県の両県の旧国名である安芸国と伊予国から一文字ずつ取って「芸予諸島」と呼ばれている島々である。
ここで、広島県は黒字、愛媛県は赤字で島名を記載しているが、県境というのがよく分からない。大三島などずっと広島県の所属と思い込んでいたほどだ。
なお、広島県の生口島と愛媛県の大三島との中間に瓢箪島(写真)という無人島があるが、これなど、島のほぼ中央を東西に県境が横切り、島の北半分が広島県尾道市、南半分が愛媛県今治市に属するというややこしさだ。
●愛媛の県民性
愛媛県は東西に長い県で、江戸時代は8つの小藩に分かれていた。
そして、東部の東予(現在の今治、新居浜市が中心)、中央部の中予(現在の松山市が中心)、南西部の南予(現在の宇和島市が中心)(地図)という三つの地域(三予)は、気質が異なると言われている。
その気質については、「思いがけず百万円が手に入ったとき」という例がよく使われていた。地域によって行動が違うというのだ。東予の人は商売人が多く、挑戦的で「投資」に使う。中予の人は保守的で「貯金」をする。南予の人は豪快で気前が良く「散財」する。
こうも言われていた。「東予はケチ、中予はシブチン、南予はカモ」、「東予人は油断ならない、中予人は理屈言い、南予人は大雑把」。あまりうれしい言葉ではないね。
全体に共通する性格は、「伊予の駆け出し」といって、人に話を半分聞いただけで走り出すが、どこへ向かったらよいかわからなくなるほど、おっちょこちょいが多いのだそうである。夏目漱石の小説「坊ちゃん」を彷彿させる。要は、瀬戸内の温暖な気候に恵まれて、楽天的な気質なのだ。
愛媛県松山市に6年半住んだ後の転勤は辛かった。進取の気性はあまり感じられなかったが、おっとりとした人が多く、その分居心地のいいところだった。
最後は、こんな歌で締めくくりたい。
ブラザーズ5/この街で(2005年)
「この街で」は、元々2000年10月に松山市で開催された「21世紀に残したいことば」あなたのことばで元気になれる『だから、ことば大募集』」で松山市長賞を受賞した「恋し、結婚し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい!」がモチーフとなっている。
日本ペンクラブ「平和の日・松山の集い」 のイベントで松山を訪れていた新井満(74歳、写真左)はこの言葉に感動し、エッセイストの三宮麻由子(54歳、写真右)と協力して即興で作詞・作曲した。
イベント終了後もう一度聞きたいという要望が寄せられたため、後日新井がプライベートで録音してCD原盤を作成。CDの製造・販売権も新井から松山市に譲渡され、松山市役所の窓口で販売された。売上金はすべて街づくりのイベント等の資金として役立てられている。 (Wikipedia 参照)