★第192話:新聞について | 中高年の中高年による中高年のための音楽

中高年の中高年による中高年のための音楽

10年続けたYahoo!ブログから移転してきましたが、Amebaのブログライフも4年を越えました。タイトルは当時と同じ「中高年の中高年による中高年のための音楽」です。
主にオールディズが中心の音楽を紹介しています。よろしくお願いいたします。

電車の中のちょっとした出来事

 先日、通勤時間帯の電車の中で、ちょっと気になる風景を見た。前の席で若い女性がなにやらゴソゴソしている。

  朝日新聞など一般誌の大きさは「ブランケット判」といい、全面で天地545mm×左右812mm。一面にする横が半分になるので、天地545mm×左右406mm。一面にして見ようと、一旦、新聞を全面に広げ折りたたんでいるのだ。

 その姿がぎこちなく、ガサガサとした音もして、隣の席の男性客が迷惑そうだ。さらに、縦も半分にして、のぞき込んでいる。どうも電車内で新聞を見慣れていないようだ。

 自分だったら横をさらに半分にして、天地545mm×左右203mmの状態にして読む。ただし、不器用で、いつも新聞を折りたたむのに苦労しているので、他人ごとは思えず眺めていた。

 それにしてもこれは珍しい風景だ。車内で新聞を読む人がめっきり減った。ずっと辺りを見渡しても彼女一人ぐらいだ。また、以前は電車で広げて読む姿はオジサンの独占物だったのに、ここでは若い女性である。後のみんなはスマホをいじっているか、目を瞑っている。自分もその類いになった。

  なお、夕刊フジ、日刊ゲンダイなどの夕刊紙サイズは「タブロイド判」といい、天地406mm×左右546mm と、ブランケット判の半分の大きさであり、これは、帰宅時に電車の中で読みやすいようにという思いで企画されたサイズとのことである。

 

家庭の新聞事情

 同居家族は自分も含めて四人いるが、他に新聞を読んでいる姿を直接見たことがない。本当にそうだったら、通勤のお伴に持って行っても良さそうなのに、許可をいただいていないので、自分のいないときは読んでいるのだろう。

 ところが、4年前に引っ越した際、年金生活を送るのに、夕刊は無駄使いと判断され、経費削減の対象になった。以来、朝刊だけである。 

 そして、あるとき、販売店が担当のエリア変更をしたとのことで、それまで3時ごろ配達していた新聞が急に6時ごろになったことがあった。当時は毎日5時過ぎに仕事に出かけていたので、これでは家で新聞を読むことが出来ない。それで電話して、4時までに配達してくれないと購読を止めると迫ったところ、すぐに時間を戻してくれたことがある。販売店にも事情があって大変だとは思うが、これでは駅で新聞を買った方がいいからだ。そのとき自分の楽しみを奪われたような気がして、ムキになっていたことは、今でもよく覚えているが、何も言わず購読を止めればよかったかなと思うこともある。

 親の時代からほぼ朝日新聞で通している。いろんな事情で他社の新聞を購読したこともあるが、長続きしなかった。この新聞も字体や記事のレイアウトを変更したときがあり、そのときは違和感を覚えたが、他紙にはもっとなじまなかった。

 新聞が配達されていると何故かホッとする。休刊日の月曜などは寂しく、いくらデジタルの時代になったとは言え、多分、新聞とは切っても切り離せない関係で人生を終えそうな気がする。

山田太郎/新聞少年(1965年)

 

新聞の切り抜き記事

 ブログのネタ作りのため、今でも”これは”と思ったら、新聞記事を切り抜いている。それで、部屋中記事の山になったことがあり、大分処分した。

 過去のブログで「新聞」と検索したら、やはり購読している「朝日新聞」の記事を参照にしたものが圧倒的に多かった。その中でも土曜版beからの記事が多い。


 今でも続いているのが、「サザエさんをさがして」「be between」「悩みのるつぼ」。過去では「歌の旅人」「be ランキング」。そして、故田野原重明氏の連載「私の証 あるがままいく」などだろうか。

 その次に多いのが、通勤からの帰りがけ、駅の売店でよく買った「日刊ゲンダイ」だった。「だった」という過去形になっているのは、いつの間にか買わなくなったからである。多分これは2年前の2019年に140円から150円に値上げされた影響だからだろう。

 切り抜き記事については多分に父の影響を受けている。父は「スクラップブック」(画像)に新聞の挿絵や記事を貼るのが趣味で、子どもの頃よく見ていた。血筋は争えない。

 自分の記事保管方法は何度も試行錯誤しているが、今では100円ショップで買ったクリアーファイルと透明袋に、項目ごとに分別して保管している。

 

新聞の読み方

 人によって読み方の順番は当然違う。ご飯の食べ方と一緒で、好きな記事から先にというパターンもあるだろうし、ページの順番というパターンもあるだろう。中には苦手な記事からという人もいるかもしれない。

 自分の場合は、大体、その日の気分で、一番興味のある記事から順に読んでいる。例えばスポーツ関係のの大ニュースがあればそれがトップだ。見たいテレビ番組があれば後ろのページから読む。

 無論全てのページを読む必要はない。朝日新聞なので、天声人語とかの欄は必ず読んでいる。

 ところで、日経新聞はビジネスマン必読の新聞ともてはやされていたときがあり、それに乗り遅れないようにと購読したことがあるが、興味のある紙面がない。テレビ欄やスポーツ欄といっても当然力を入れているはずがない。「私の履歴書」だけしか読むところがなく、すぐに購読を止めた。

 

新聞の役割

 新聞の長期低落傾向が続いているのは、週刊誌等の活字媒体の全てに通じていることなので驚きもしないが、我が購読誌の朝日新聞ももちろん例外ではない。「朝日新聞の実売部数は今や350万部?新社長は創業以来の大赤字で前途多難の声」(2/18(木)) によると、次の内容だ。
 
朝日新聞は、2020年9月中間連結決算で419億円の赤字を計上した。主な原因は、新型コロナによる広告収入の激減と報じられた。その責任を取る形で4月1日付で、渡辺雅隆社長(61)が退任。先日、その後任に中村史郎副社長(57)が昇格することが発表された。新体制となる朝日新聞は、果たして苦境から脱することができるのか。…

 とある。巨額の赤字の原因を「コロナ」のせいにしているが、それが理由でないことは明白である。

 ただ、読売や産経が自民党の広報誌化している中では奮闘していると思う。そういう意味ではよく頑張っている。

 

新聞を読む意義…教養と哲学を磨く

 ある研修で、アンチエイジングについて講演があり、その中で「本や新聞を音読する」というのがあった。


 そして、「地位はあるけど教養がない」人たちの末路 人も企業も進化するために「哲学」が必要だ(東洋経済オンライン、2018/5/26)では、哲学科出身の外資系コンサルタントという異色の経歴を持つ
山口周の、『武器になる哲学』(写真)を紹介し、「日本には、教養がないまま地位だけを手に入れた実務家が多い」と指摘し、哲学の必要性を説いている。

 そこでは、30歳でシカゴ大学の総長となり、その後民主制度研究センターを主宰した教育学者・
ロバート・ハッチンス(1977年、78歳で没、写真)が述べた「リーダーに教養が求められる理由」について触れている。

 哲学を学ぶと「役に立つ」とか「カッコいい」とか「賢くなる」ということではない、哲学を学ばずに社会的な立場だけを得た人、そのような人は
「文明にとっての脅威」、つまり「危険な存在」になってしまうというのだ。
 たまさか、筆者(山口周氏)は先日ある経済団体の集まりに問題提起者として参加し、財界を代表する経営者と
「文化と企業」の関係について議論する機会を持ったそうだ。
 しかし、ここでわかったのは、このテーマについて、まともに
「自分の意見を述べる」ことができる経営者が少なくともその場にはいなかった。多くの経営者は「文化は儲からない」「祇園におカネを落としたいが時間がない」といった幼稚なコメントに終始し、まともに「企業経営が文化形成に与える影響」について議論することができなかったという。
 ここからも、
「無教養なお金儲けの専門家」によって率いられている多くの日本企業から、子どもでさえ仰天させるようなコンプライアンス違反が続出しているわが国の状況を鑑みれば、このハッチンスの問題意識が極めて予見性に満ちたものであったことがわかる。
 これは主に経営者や専門技術者の話だが、主語を今の
日本の政治家官僚に置き換えてもぴったり当てはまる。

 
 明治大学文学部教授・
齋藤孝氏(60歳)の著・「語彙力こそが教養である」(2015年初版、角川新書、写真)では、
言葉は身の文」ということわざを使い、「話す言葉はその人の人格や品位までも表わす」と断言している。 


 そして、
「知性と語彙のレベルは1分でバレる」と、思わずドキッとするようなことを言っている。その判断基準は至ってシンプルで、それは、「複数のことがらをひとつの言葉で表現しようとするか否か」だそうだ。「語彙が少ない、教養が乏しいと感じる人は、とにかく言葉の選び方が「省エネ」なのです」としている。

 

 最近誤った使い方でやり玉に上がっているのが、自民党二階幹事長(82歳、写真)である。

 「他山の石」の意味は…不祥事を他人事のようだと批判された二階氏「それくらいの表現許される」(読売新聞、4/26(月) )
 
自民党の二階幹事長は26日の記者会見で、2019年参院選広島選挙区を巡る大規模買収事件を「他山の石」と表現して批判されたことに対し、「それくらいの表現は許されてしかるべきだ」と反論した。「他山の石」ではなく自民党自身の問題ではないかとの記者の質問に答えた。
 二階氏は3月23日の記者会見で「党としても他山の石として、しっかり対応していかなくてはならない」と発言した。事件は
河井克行被告(議員辞職)が党在籍中に起きたため、野党などから「人ごとのようだ」などと批判を浴びていた。

 

 言葉狩りをするつもりはさらさらないが、もう滅茶苦茶だね。教養も哲学もない人たちが日本を牛耳っている。

 

 自分が学生の頃は「天声人語」がよく国語の試験問題の題材に使われていた。

 今も読み書きの勉強の題材としてこんなものが売られているようだ。

グレープ/朝刊(1975年)

ヨハンシュトラウス.2世/朝の新聞(1864年作曲)