今日は、Yahoo!ブログを始めて10周年という「記念日」だ。
会社でも永年勤続表彰というのがある。これは皮肉っぽく言うと、「長い間、よく我慢しました」という類いの表彰だが、ブログの10年はそれとは違う。「継続は力なり」。継続的に長く投稿したブログは、間違いなく「血となり肉」となった。
〇ブログを開始した日
ブログを始めたのは2009年3月22日。今から10年前、還暦(60歳)を迎える8日前。
定年退職の日がその1ヶ月先の4月20日。まだ次の仕事が決まっていないときだった。
拙ブログ「『定年前後の「やってはいけない」』を読んで」(2018/7/3)を投稿したとき、その日を思い出したことがある。
『定年前後の「やってはいけない」』(副題:人生100年時代の生き方、働き方)(2018年、青春新書、写真)の著者・郡山史郎氏(現在83歳)には、お会いしたことはないが、東京・飯田橋にある人材紹介会社「CEAFOM(シ-フォーム)」の社長だ。
ブログを始めたばかりのとき、再就職活動で同社を訪れたことがある。担当者の方は常務取締役だったが、偶然広島の同郷であることがわかり、第1話:日本の方言をお見せして、広島弁を東京で使い、恥をかいた逸話を語り合った思い出が懐かしい。
なお、ほかの人材紹介会社に勤める友人のお陰で、退職した次の日から新しい会社に入社したので、同社で会社を紹介されることは無かった。
〇十年間の思い出
「十年一昔」とも、「十年一日」とも言う。どちらも当てはまりそうだ。あっと言う間の十年でもあり、いろんなことのあった十年でもある。
そのブログライフは、還暦から古希(70歳)まで。そして、辞めてもう2年以上経ってしまったが、その会社と共にあった。
60代に符合する十年間は、ほぼ一つの会社に勤め、退職した今は、今月末で1年9ヶ月の勤務を続けるマンション管理員だ。
5社も転職し、この世から消えてしまいたいと思う程絶望したこともある50代だったが、この十年は多分人生の中で最もいい時代だった。それは自分には夢中になれる「ブログ」というものがあったからだ。
その十年の思い出だが、「嫌なこと」から振り返ってみよう。
■アクシデント
十年という長い期間には起こりうることだろうが、何度もアクシデントに見舞われた。
PCが壊れたのは2回。2回ともデータが全て飛んでしまった。当時は特にネタが豊富で、それぞれ100以上未完成の記事を抱えていたが、意外と悔いが残らなかった。(図は2015年のネタの一部。赤で囲んでいる項目は当時投稿予定だった記事。)
そのとき、「また出直せばいいや、過去を断ち切る絶好の機会だ」と思う、予想外の自分を発見した。
入院・手術で途切れたのも2回。ここまでは自分の問題だが、Yahoo!側のトラブルもあった。モデムが故障したことや、通信障害でブログを作れないときがあった。
■ブログを止めようと思ったこと
しかし、ブログを止めようかと心が揺れたのは、たったの1回だけだ。
それもまだ始めたばかりの5作目。2009年3月29日の記事で、自分の失業体験の話の最後に、「次回をお楽しみに」と書いてしまった。
そのとき、こんな辛らつなコメントをいただいた。
「お楽しみに…。ですか。だらけた過去の栄光にしがみつくような姿なんて見たくもないし、読みたくもありません。貴方自身もう少し、いい大人なんでしょうから…。自分が生きれる道を真剣に考えるものです。自分は悪くない。会社のせいだ。確かにその通りかもしれません。でも、会社は営利目的なものです。仕事が入らなければ、食べて行けません。営業です。その営業で貴方は何もできなかった。そこをどう評価するのでしょうか。又、貴方はその年齢になって、何を伝えたいのかが、理解に苦しみます」
自分の返事。
「なるほど。自分史を書きたくてついブログを発見して書いたのですが、人に見せるということはいろいろ痛みが生じるものですね。でもお楽しみに…はまずかったかもしれませんね」
すっかり落ち込んでしまった。そうすると、見知らぬ方から助け舟のコメントを頂戴した。
「なるほど。自分史を書きたくてついブログを発見して書いたのですが、人に見せるということはいろいろ痛みが生じるものですね。でもお楽しみに…はまずかったかもしれませんね」
すっかり落ち込んでしまった。そうすると、見知らぬ方から助け舟のコメントを頂戴した。
「山ちゃん、でも吐露することは大事。まずは自分のために書けばいいんです。読む人もいるかも知れないし、誰も読んでくれないかもしれない。苦悩を乗り越えた話が誰かの役に立つかも。取りあえず、この回ではまだ何も苦労という苦労ではありませんね。苦労話楽しみにしてますよ、わたしは」
その言葉に救われ、立ち直った。
■ブログ漬けの人生
頭の中はブログのことで一杯の人生が十年も続いている。いつもブログのネタやフレーズばかり考えている。しかし、それが苦痛や負担と思ったことはない。頭の体操である。
一時の「毎日1作」のペースからははるかに遠ざかったが、一日中ブログネタを考えているのは以前と同じだ。
これが無ければとっくの昔に「ボケ老人」になっていたのではないかと思っている。
〇ブログを始めるきっかけ
以前拙ブログで紹介しているが、2001年といえば今から18年前のこと、『日本食研』(図)という愛媛県今治市に本社のある焼き肉のタレで有名な会社のホームページの採用サイトに「人事課長のひとり言」というコーナーを見つけ、自分もこんなことができれば面白いなと思った。(現在、そのページはない)
そこで、「総務部長のひとり言」と称し、社内用のイントラネットにエッセイとして15話連載した。52歳のときである。そこで文章を書くことの面白さを知った。
その会社は業績不振に陥り退職したが、その後もエッセイの興味は尽きなかった。
そこで、「総務部長のひとり言」と称し、社内用のイントラネットにエッセイとして15話連載した。52歳のときである。そこで文章を書くことの面白さを知った。
その会社は業績不振に陥り退職したが、その後もエッセイの興味は尽きなかった。
Yahoo!ブログを始めたのは、還暦の再就職は人生最大の難関と読んで長期戦を予測し、どうせその間は暇だろうから、ブログでもやってみようかと思いついたからだ。
ところが、ブログを始めたものの、Wiki文法には苦戦した。1年後に「かんたんモード」が始まり、直接画面に平打ちできるようになったことも、ブログが長続きした原因の一つだと思う。
始めてすぐに、樋口裕一著「読ませるブログ」(ベスト新書、写真)を買った。
出足に、「文章を書くことこそ、思考力をつけ、社会や人間を見る眼を養う最大の原動力だと私は考えている」とある。
そして、「これからブログを開設するとすれば、中心は若者ではない。若者は人生経験が限られている。すぐに書くネタがなくなってしまう。その点、中高年は引き出しが多い。自分では「当たり前」と思っていた体験が、世間に驚かれることもある。また、人間は年齢を重ねることによって、物事に対する洞察力も深くなる」
これが、本格的にブログをやってみようという勇気を与えてくれたのだ。
〇ブログで何を得たか
ブログで得られたことは多い。
まずは、人生で一番大切なことは「出会い」と「気づき」ではないかと実感したのは、ブログを書いたからだ。
自分の性格や思考について、変えられる自分と、変えられない自分があることを知った。しかし、「変えられない自分」も多分何かのきっかけがあれば変えられるのではないだろうか。
そして、何よりも能力と知識力のアップだ。この歳でそのアップが可能だと思ったことは、大きな自信となった。
更に、文章にすることで、頭の中の交通整理が出来たことも大きい。文章の書き方についても勉強になった。特に意識したのは「腹八分目」の文章を心がけることと、初めて自分のブログを見た人でも「前後の脈絡」が分かるようにしたことだ。
3月13日にNHK・BS1で放映された「奇跡のレッスン」。今回の「最強コーチ」は、あの全日本女子バレー・中田久美監督の右腕として「火の鳥NIPPON」を強化した、トルコのフェルハト・アクバシュさん(32歳、写真)。
その彼が駒場高校女子バレー部員に放ったこの言葉が印象的だった。「自分の心にあるモンスターを呼び起こせ!」
ブログは、正に、自分の心にあるモンスターを呼び起こしたのだと思う。
〇今後のブログ人生は?
今日は東京の桜の開花宣言があった。そして今は卒業式の真っ最中である。
しかし、自分の心の桜の散る気配はないし、卒業式も予定していない。
十周年を果たした節目の年にYahoo!ブログが終了し、他のブログに移るのも「何かの縁」。第二の人生の出発点だ。
ブログの筆を折るときは「ボケ老人」になったのを自覚したときか、死を覚悟したときだと思っている。
奇しくもこの記事を投稿した後に、イチローが引退の記者会見を行った。一時代を築いてきたイチローの引退は感無量である。自分もレベルにはほど遠いが、いくつかの引退をしてきた。
しかし、ネタが山ほど残っているうちに、ブログを引退するつもりはない。
AKB48/十年桜(2009年)