![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/40/ce/j/o0135017314655404286.jpg?caw=800)
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/a3/a6/j/o0199025314655404289.jpg?caw=800)
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/78/fa/j/o0228022114655404291.jpg?caw=800)
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/bd/da/p/o0372054714655404293.png?caw=800)
市原悦子さんについては、NHKのテレビ番組を見ているとテロップが流れたので、何事かと思ったら、彼女の訃報の知らせで、ここまで国民的な大ニュースなんだと驚いたものだ。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/fb/24/j/o0570031814655404295.jpg?caw=800)
特に老人にとって冬の健康管理が一番大切だ』と述べたが、正にその通り。そして、みんな老人の代表的な病気で亡くなっている。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/0b/a6/p/o0404037614655404296.png?caw=800)
どうやらこの方たちの「死」に関係がありそうなのである。
自分のランキング・ベストテンは、ほとんどいくつかの過去の記事で固定している。いわば常連客のようなものである。それが、ときどき新参者が現れる。
例えば、こんな記事だ。
左が1月9日の「旅番組のテーマソング【民放編】」、右が1月13日の「連想ゲームとジェスチャー」。
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/74/5b/j/o0266018914655404297.jpg?caw=800)
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/c1/47/p/o0350034214655404300.png?caw=800)
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/0b/ad/p/o0572057914655404302.png?caw=800)
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/d7/ff/p/o0588056714655404305.png?caw=800)
なお、訪問者数については、もうすぐ10年、2500作を超えたブログのお陰で、最近の投稿が少ない割には望外の一日400人以上の方に見ていただいている状態が続いている。
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/4a/4a/p/o0555032314655404307.png?caw=800)
今回は紙面の都合もあり、兼高かおるさんのことについてのみの記事としたい。
●兼高かおる
![イメージ 13](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/0d/3f/j/o0253019914655404309.jpg?caw=800)
海外渡航が自由化される前、海外旅行が夢のような1959年に、紀行番組『兼高かおる世界の旅』は始まった。そのとき、兼高かおるは31歳。
当時のテレビは白黒(写真)。TBS系列局で主に毎週日曜日朝に放送され、自分もずっと見ていた。そのとき10歳だった。
![イメージ 19](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/ea/00/j/o0241020914655404311.jpg?caw=800)
その美貌と品の良さ、一人称が「わたくし」で、笑い方が「ホホホ」と言うのにも驚いた。まだ若いのに、こんな女性が日本にいるんだ。
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/a2/b4/j/o0130013014655404313.jpg?caw=800)
正確に言うと、放送開始当初のタイトルは『兼高かおる世界飛び歩き』だったが、1960年6月19日放送分をもって一旦中断し、同年9月20日放送分から放送を再開し、『兼高かおる世界の旅』に改題した。
放送回数は『世界飛び歩き』を含めて1990年9月30日にかけて30年10か月の間の1,586回。全行程は721万kmで何と、世界各地160か国を取材し、地球を180周した計算になる。
テーマ曲(1977年まで)は、映画「80日間世界一周」(1956年)の同名の主題曲。
![イメージ 14](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/b0/4e/j/o0200027914655404314.jpg?caw=800)
大プロデューサーとして知られたマイク・トッドがプロデュース、イギリス出身の若手監督マイケル・アンダーソンが監督した。
![イメージ 16](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/b1/45/j/o0260019414655404316.jpg?caw=800)
![イメージ 15](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/62/c4/j/o0201025114655404318.jpg?caw=800)
他に「シェーン~遥かなる山の呼び声~」(1953年、映像)などがある。映画「エデンの東」の演奏も素晴らしい。
■兼高かおるの経歴
兼高かおるさんの経歴に少し触れてみよう。
![イメージ 17](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/e7/2e/p/o0603036214655404321.png?caw=800)
![イメージ 18](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/47/47/p/o0467041214655404323.png?caw=800)
自分の妻の旧姓は「兼重」という。
これも珍しいが、同じ「兼」を使っている「兼高」という名字もあまり聞いたことがない。
「名字由来NET」によると、兼高姓は、9,524位の全国で790人。静岡県が一番多く、250人だという。(図)
朝日新聞1月13日の文化・文芸欄にこんな記事が載っていた。
「世界の旅」全て自分で 兼高かおるさんを悼む 元プロデューサー・市川美根さん
「兼高かおる世界の旅」は女性たちが特に注目していた番組でした。女性でも自分の得意分野を仕事にできる。さらにその仕事が海外を紹介するものだという驚き。放送が始まった1959年当時は、自由に海外旅行に出られなかった時代です。誰にでも会って、どこへでも飛び込んでいく人だったから、パイオニアとしてテレビ局にも重宝されたんだと思います。
TBS社員も当時はみんな海外経験が乏しい。語学が堪能で経験豊富な兼高さんに頼らざるを得ませんでした。航空会社や日本の商社の駐在先に現地で紹介してもらうなどして取材していました。「ホテルの手配から何から全部私がするのよ」「チェックインの名前も私が書くのよ」と言っていましたね。出演者なのに取材のコーディネートから編集作業、ナレーションまで一手に引き受け、1回取材に出ると2カ月は戻りませんでした。
取材映像を見て一番すごいと思ったのは、兼高さんが取材先で現地の食事を出された時に絶対に残さないことです。ヤギの頭が出てきても、驚いたり嫌がったりすることもなく、勧められるままきれいに食べる。男性スタッフの中には食べられない人もいたので、みんなで感心しました。
私がプロデューサーを務めたのは番組が終わった90年までの6年間です。この頃になると当初に比べて海外も身近になり、取材先も似たような場所が多くなるというジレンマを抱えていました。すると兼高さんは、チャールズ皇太子のインタビューを自ら取りつけてきた。なんとか付加価値を付けようと懸命だったのだと思います。
それでも最後には視聴率の低迷やスポンサー事情で幕引きが決まりました。過酷なロケで、体調や年齢的にも厳しそうでしたが、兼高さんは「どうしてやめるんですか」と言って納得できない様子でしたね。
ご冥福をお祈りいたします。合掌。