冬の花の歌 | 中高年の中高年による中高年のための音楽

中高年の中高年による中高年のための音楽

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主にオールディズが中心の音楽を紹介しています。よろしくお願いいたします。

 春や秋に咲けば楽だろうに、1年で一番寒い冬の季節に人を楽しませてくれる花は有難く貴重な存在だ。
 
イメージ 3 この時期、けなげに咲いている三色すみれ(パンジー)(写真)を路傍で見つけると、何だか愛しくなる。
 
 ちなみに、三色すみれは冬も咲くが、季語としてはのようだ。

 これは、微速度撮影による「雪解けに咲くフクジュソウ」
 

 今回はそんな冬の花の歌の特集をしてみた。まずはそのものズバリの曲から。
 
「必殺仕事人」エンディングテーマ:鮎川いずみ/冬の花1982年)
 
<歌詞> 怨みつらみが悲しくて なんでこの世が生きてらりょかどうせ一度の花ならば 咲いて気ままに散ってくれ 春と思えば 夏が来て 夏と思えば 秋が来て 所詮最後は 寒い冬

イメージ 1 1972年からスタートしたTVの人気時代劇「必殺シリーズ」は、一時期中断したものの、2009626日の大団円を迎えるまで、何と37年間、31回シリーズも続いた。
 
 シリーズは15作目『必殺仕事人』を境に前期と後期に分けられ、2作目『必殺仕置人』から連なる仕置人シリーズが前期の代表、『仕事人』から連なる仕事人シリーズが後期の代表とされることが多い。
 
 好評だった『新・必殺仕事人』に続く『必殺仕事人は、1982年から1983年、シリーズとしては第19作目だ。主題歌を歌うのは何でも屋の加代こと鮎川いずみさん(写真)
 
 世の中の善と悪とを比ぶれば 恥ずかしながら悪が勝つ 神も仏も無えものか 浜の真砂は尽きるとも 尽きぬ恨みの数々をはらす仕事の裏稼業 へへっ お釈迦様でも気が付くめえ」(OPナレーション:中村梅之助)
水仙
 
イメージ 4 水仙(写真)の原産地は主にスペイン、ポルトガルを中心に地中海沿岸地域、アフリカ北部まで広がり、原種は30種類ほど知られている。また、園芸用に品種改良されたものが広く栽培されている。
 
 日本においては、ニホンズイセンが古くに中国を経由して渡来したといわれている。分布は、本州以南の比較的暖かい海岸近くで野生化し、群生が見られる。越前海岸の群落が有名であり、福井県の県花ともなっている。
 
  「スイセン」という名は、中国での呼び名「水仙」を音読みしたもの。「仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙」という中国の古典に由来する。水辺で咲く姿を仙人にたとえたのであろう。別名に雪中花雅客
 
 欧米では水仙は「希望」の象徴であり、ガン患者をサポートする団体の多くで募金活動のキャンペーンに用いられている。また、ラッパスイセン (Daffodil) ウェールズの国花・国章であり、ウェールズでは31日の聖ダビデの日 (Saint David's Day) に、ラッパスイセンか、リーキ(西洋ねぎ)を身につける習慣がある。
 
イメージ 5 英国の詩人、ウイリアム・ワーズワース(1850年、80歳で没、写真)は、 "I Wandered Lonely as a Cloud" という著名な詩で、次の様な一文を遺している。
 
 「谷また丘の上高く漂う雲のごと われひとりさ迷い行けば 折しも見出たる一群の 黄金色に輝く水仙の花 湖の畔、木立の下に 微風に翻えりつつ、はた、躍りつつ…」(田部重治訳)
 
 そして、シェークスピアの戯曲「冬物語」には、上田敏の名訳詩がある。
 
 「燕も来ぬに水仙花 大寒こさむ三月の 風にもめげぬ凛々しさよ」

ブラザース・フォア/七つの水仙(1964) 伍代夏子/雪中花1992年)
 
 
サザンカ(山茶花)
 
イメージ 7 生垣によく使われている、サザンカ(山茶花、Camellia sasanqua,、写真)は、ツバキ科ツバキ属の常緑広葉樹。
 
 漢字表記の山茶花は中国語でツバキ類一般を指す山茶に由来し、サザンカの名は山茶花の本来の読みである「サンサカ」が訛ったものといわれる。もとは「さんざか」と言ったが、音位転換した現在の読みが定着した。 
森進一/さざんか(1976) 大川栄作/さざんかの宿(1987年)
 

童謡「たきび」(1941年)【さざんか さざんか 咲いた道】
 

 イメージ 6 童謡「たきび」の作者として知られる巽聖歌(写真)は、1905年、岩手県紫波郡日詰町(紫波町)に生まれた。14歳のとき、知人の家で雑誌『赤い鳥』を読んだことがきっかけで童謡に興味を持ち、友人と同人誌を発行したりするようになり、童謡作家として北原白秋に認められ、1928年、彼の勧めで上京。
 
 1941年、NHKのラジオ幼児向け番組の依頼で「たきび」が作られた(渡辺茂作曲)
 これは、当時住んでいた東京都中野区上高田付近の風景をうたったもので、当地には現在も「たきびのうた発祥の地」の看板が立てられている。
 
 しかし、ちょうど日米開戦と同じ時期であったため、放送が打ち切りになったり、軍部から「たき火は敵の攻撃目標になる」とクレームがついたりしたが戦後復活し、軽快なメロディーとともに長く人々に愛される童謡となった。
 
 戦後の1948年より日野市に居住。各地の学校の校歌を数多く作詩、日野第四小学校・七生中学校の校歌も聖歌の作品である。
 
イメージ 8 1999年、日野市・旭が丘中央公園にたきび会によって「たきび」歌碑(写真)が建てられた。
 
 また、JR中央本線・豊田駅の発車メロディに「たきび」が使われている。
 
その他の花
 
イメージ 2

西田佐知子/エリカの花散るとき(1963年)
舟木一夫/花咲く乙女たち (1964年)【カトレアのように】
 

布施明・小椋佳/シクラメンのかほり(1975)
小林幸子/雪椿1987年)