原爆記念日に寄せて【その2】 | 中高年の中高年による中高年のための音楽

中高年の中高年による中高年のための音楽

10年続けたYahoo!ブログから移転してきましたが、Amebaのブログライフも4年を越えました。タイトルは当時と同じ「中高年の中高年による中高年のための音楽」です。
主にオールディズが中心の音楽を紹介しています。よろしくお願いいたします。

イメージ 1 2007111日、広島の原爆投下機B-29・ノラ・ゲイの機長だったポール・ティベッツが死去、そして今年(2014年)728日、乗組員の最後の生き残りだった航空士のセオドア・バンカーク(享年93歳、写真が死去。
 
 その葬儀が広島原爆投下の前日の8月5日に行われたのは皮肉という他ない。
 
 これで、人類史上初の核攻撃を実行した12の生き証人のすべてが他界したことになる。

イメージ 9 今から69年前の194586日。広島で14万人が死亡。続く89日、長崎では8万人が死亡。この2日だけで少なくとも22万人の日本人が原爆によって一瞬のうちにこの世を去るという未曾有の市民大量殺戮に対する彼らの罪意識はなく、アメリカでは「英雄」とされている。
 
 AP通信が2005年にバンカーク氏に取材をした際の同氏のコメント(要約)

 「長い目で見れば、原子爆弾の使用が、多くの生命を救ったと素直に信じている。原爆投下によって救われた命のほとんどは日本人だったはずだ。だが、あの戦争は、何も解決しなかった。核兵器は何も解決しなかった。個人的には、核爆弾なんてこの世になければ良かったと思っている。すべての核爆弾がこの世界から消えてしまえばいいのだ。でも、もしも、誰かが核爆弾を持つのであれば、わたしはその敵よりも、ひとつだけ多く核爆弾を持ちたいと思う」


 これは、そのバンカーク氏も出演している、2005年公開のBBC WORLDのドキュメンタリー番組「HIROSHIMA。このYouTube閲覧数は、世界中で360万人を超えているそうだ。
 


 原爆投下の際、連合国のメディアは一斉に賛同したが、批判がなかったわけではない。
 
イメージ 2 一握りではあったが「残忍な行為だ」との意見も出ていた。フランス人の作家・アルベール・カミュ(1960年、46歳で没、写真)が主筆を務めた『コンバ(Combat)』紙では、1945年88日の社説に原爆への批判が掲載された。
 

 世界がこんなもんだということは、こんなにちっぽけなものだということは、ラジオ、新聞、通信社が原爆について報じる大合唱のおかげで、昨日からもう世の中の誰もが知っているだろう。数々の熱にうかされたような記事のおかげで、どんな中都市でさえもサッカーボールほどの大きさの爆弾によって、完璧に破壊される可能性があるということがわかった。
 
 アメリカやイギリス、フランスの新聞が、原爆について過去から未来まで、開発者のことや費用のこと、平和的使命、破壊効果、政治的影響などについて、素晴らしい論文を掲載しては拡散させていく。しかし我々は、次の一言で要約しよう。機械文明は、既に『野蛮』というものの最終段階に到達したと。(中略)
 
 もし、日本が広島の破壊によって圧力に屈して降伏するのであれば、それは喜ばしいことには違いない。しかし我々は、科学技術力をもった大国が小国をねじ伏せるような国際関係ではなく、対等で公平な国際関係を目指すことが重要であり、それ以外の結論を求めるべきではない。


イメージ 3  アメリカ大使の慰霊祭出席(写真右は今年のキャロライン・ケネディ大使の長崎平和祈念式典参加の模様)もされるようになった現在、海外でも原爆投下の賛否の議論が盛んになっている。
 
イメージ 4 原爆使用正当化の定説となった、「原爆投下によって、戦争を早く終わらせ、100万人のアメリカ兵の生命が救われた」という「原爆神話」は、元陸軍長官のヘンリー・スティムソン1950年、83歳で没、写真左)が原爆投下に対する批判を抑えるために生みだしたものである。
 
 19472月に出された論文では、日本本土への上陸作戦「ダウンフォール作戦」による米兵の新たな犠牲は100万人と推定され、戦争の早期終結のために原子爆弾の使用は有効であったとの説明がなされており、この論文は原爆投下を妥当であったとするアメリカ政府の公式解釈を形成する上で重要な役割を果たしている。

イメージ 5 しかし、スティムソンの見解はアメリカ・スタンフォード大学のバートン・バーンスタイン78歳、写真)によって、厳しく批判されている。バーンスタインはまた、原爆投下の目的が「一般市民への殺戮」かつ、「日本への懲罰」であることを明らかにしている。
 
 原爆投下問題を再検討するアメリカの研究者の間では、「原爆の投下は、日本への上陸作戦を避けるためにも、早期に戦争を終結させるためにも必要ではなかった」、「原爆投下によって回避されたとされる犠牲者の公式解釈での推定数『50万人』あるいは『100万人』には根拠がない」などの点でほぼ合意に達している。
 
 なぜ都市や非戦闘員が狙われ、ルーズベルト大統領が戦争前に非戦闘員は攻撃しないとした約束が反故にされたか。ドイツ諸都市への猛爆や19453月の東京大空襲が、日本の都市への原爆攻撃を自然な成り行きとし、不幸なことに受け入れやすくしたようだと言っている。

 イギリスの軍事戦略思想家ベイジル・リデル=ハート卿1970年、84歳で没)は、アメリカによる日本への原子爆弾投下について、日本の降伏は既に時間の問題となっていたので、このような兵器を用いる必要性は無かったと批判している。
 
 更に、連合国側の無条件降伏要求が、戦争を長引かせる一因となり、何百万人もの犠牲を余分に出す結果になったとも論評している。

イメージ 6 アメリカの哲学者のジョン・ロールズ2002年、81歳で没、写真)は、1995年雑誌Dissentに掲載した論文「Reflections on Hiroshima: 50 Years after Hiroshima(原爆投下はなぜ不正なのか?: ヒロシマから50)」において、戦争における法(武力紛争法)に関する六つの原理を提示し、原爆投下を「すさまじい道徳的悪行」と批判した。

イメージ 7 1997年に歴史家で米原子力制御委員会主席J・サミュエル・ウォーカー (写真)は『原爆投下とトルーマン』を発表、「この数年公開された外交文書と当時の米政府高官の日記の詳細な分析により、なぜアメリカが原爆を使用したかが増々明確になってきた。
 
 日本本土侵攻を避ける為にも早期終戦にも原爆は必要なかったこと、原爆以外の容易な外交的手段がありトルーマンはそれを知っていたこと、原爆はアメリカの若者50万人の命を救ったというこけの生えた主張に全く根拠がない、という点で我々研究者達の意見は一致した」とも発言している。Wikipedia参照)

イメージ 8 8月2日長崎市で行われた「国際平和シンポ」での元豪州外相・ギャレス・エバンズ(写真)の基調公演。
 
 核兵器保有国は、核不拡散条約(NPT)のメンバーとして核軍縮に関与している。だが、彼らは核兵器を維持しようとしている。アジアで核の備蓄は増え、6者協議は北朝鮮の挑発を止められず、イランの核開発計画は相変わらず不確実だ。それでも核兵器がある限り、廃絶の行動を放棄してはならない。
 
 その戦略の1番目は、今も政策立案者の間に顕著な「我々は核の抑止力の恩恵を受けている」という冷戦時代の考え方に挑むこと。核の傘に守られているという見方だ。もはや米国とロシアが核を撃ち合う世界でも、米国と中国が核戦争を仕掛ける世界でもない。核兵器は核拡散を抑止するどころか奨励してしまう。どこかの国が持てば、自分も持っていいと思うからだ。
 
 2番目は、核軍縮に到達する予定表を作ることだ。まず最小化し、全廃する。私が共同議長を務めたICNNDで2025年を最小化のターゲットに設定し、世界中の弾頭数1万6千以上を、2千以下に抑えることをめざした。
 
 3番目として、核弾頭数など数で前進させることが必要になる。数の問題になると米ロの二国間交渉の場だった。だが、二国間交渉で減らすのは難しい。多国間もうまくいかない。残るは一方的な削減になる。国内政治の支持が得られそうなのが米国だ。大陸間弾道ミサイル(ICBM)は維持に費用がかかり、更新も予算の制約で難しい。タカ派でさえ、海上や爆撃機から発射するものより攻撃に弱い、と言っている。
 
 4番目は、核兵器保有国に人道的アプローチに対する抵抗を考え直させること。長崎に来るたびに核兵器の非人道性が問題の核心だと感じる。核兵器保有国は人道的なアプローチに不快感を持っている。将来の核兵器の議論の中心になることを恐れている。核兵器とは多くの生身の人間を消滅させてしまうものだ。
 
 5番目が最も重要。米国の核の傘への依存を減らすことに真剣に取り組むこと。同盟国は、国の防衛において核兵器の役割を下げることを受け入れる、と明確に表明しないといけない。
 
 米国は数年前、「核兵器の唯一の目的は核攻撃に対する抑止のみ」と政策転換しようとした。だが、同盟国の抵抗が強く、核体制の見直しは「そのような政策が確立されるよう努力する」と述べるに終わった。
 

 日本は被爆体験と核の傘を求める気持ちに引き裂かれている。しかし、もっと核軍縮を先導すべきだ。米国の方針転換を強く支持すること。他国に「核をなくせ」と求めるのに「核の傘で守って」と思うなら核不拡散を進めることはできない。行動に移すときだ。


さだまさし/広島の空(1993年)