フランク・シナトラ(1998年、82歳で没)(写真左)といえばジャズ・ヴォーカル界の大御所だが、最初の妻・ナンシー・バルバトの娘、ナンシー・シナトラ(現在73歳)(写真右)も大ヒットを飛ばしている。
ナンシー・シナトラは、母の名をとってナンシーと名付けられた。
1957年(17歳)に初めて父親とテレビに登場し、1960年にゲストのプレスリーとともに父の番組でプロ歌手としてデビュー。
元々歌唱力はあったが、当初ヒット曲に恵まれなかった。次は日本で「フルーツ路線」と呼ばれていた曲の一つ。アメリカでは売れなかった。
イチゴの片思い(Tonight You Belong To Me)(1963年)
レモンのキッス(Like I Do)(1962年)
それが、プロデューサーに、リー・ヘイゼルウッド(2007年、78歳で没)、アレンジにビリー・ストレンジと人を得て、1966年、「にくい貴方」(These Boots are Made For Walkin')が大ヒット。ヒット曲が続き、1960年代中期はアメリカで最も人気のあるセクシー・アイドル歌手として活躍した。
1974年に振付師のヒュー・ロンバートと2度目の結婚をし、家庭に入る。1995年には、レコーディングに戻りカントリー系のアルバムを録音、コンサートツアーを行い、2004年にもロック・アルバムを録音している。(右は2008年(68歳)のときの映像)
まずは、全米No.1に輝いた大ヒット曲から。
にくい貴方(These Boots Are Made for Walkin')(1966年)
ナンシー・シナトラのヒットの立役者、リー・ヘイゼルウッドとのデュエット曲を。
バン・バン(Bang Bang)(1966年)
シュガータウンは恋の町(Sugar Town)(1967年)
サマー・ワイン(Summer Wine)(1967年)
ジャクソン(Jackson)(1967年)
映画「007は二度死ぬ」(You Only Live Twice)主題曲(1967年)
親子デュエット。
恋のひとこと(Somethin' Stupid )(1967年)
最後はこの曲。親の七光りではなく、歌唱力あるよね。
この世の果てに(The End Of The World)(1970年)
豆知識
●親子で全米一位
洋の東西を問わず、歌手や俳優の息子や娘は同じ職業につく傾向がある。職業選択の自由だが、いわゆるコネという特典で、デビューの機会は容易に得ても、多くの場合「親の七光り」という陰口を言われ、大した足跡も残せずに姿を消すことが多く、現実は甘くない。
その例外が2組ある。
63年にレコード・デビューしたナンシーの初のビック・ヒット(全米第一位)を「にくい貴方」で66年に記録する。父のフランクも同年、それから4か月後に「夜のストレンジャー」で1位に輝き、ポピュラー・ヒット曲史上初の親子の歌手での全米1位記録が生まれた。
もう一組はそれから11年後、こちらも芸能一家のパット&デビー・ブーン父娘である。
55年以降パットは「砂に書いたラブレター」「四月の恋」「涙のムーディー・リバー」などで全米一位に輝いている。デビーがレコード歌手デビューしたのは70年代後半、そして初ヒットの「恋するデビー」である。
●親子デュオで1位
唯一この記録を達成した親子がフランク&ナンシー・シナトラ父娘である。彼らがビック・ヒットを重ねた66年の翌年、初の親子デュオでのレコード制作が実現した。「恋のひととき」はナンシーのプロデューサー、リー・ヘイゼル・ウッドが見つけた作品で、全米第一位を獲得した。