最近、日本と隣国の関係についての本を読むことが多くなっている。自分はあまりに隣国のことを知らなさすぎる。
どうしても筆者の主義主張が表に出るので、そのまま信じるのが良いかどうかは分からないが、隣国に対する先入観と固定概念で固まっている自分が恥ずかしくなり、読むと目からうろこが落ちることがある。
この、哈日族(ハーリーズー)~なぜ日本が好きなのか(2004年、酒井了著、光文社新書)(写真右)にもそれを感じた。
「哈日族」という言葉は、元々台湾の女性漫画家・哈日杏子(日本語では「はにち・きょうこ」としている、本名・陳桂杏)(写真左)の造語であり、その著書により広まった。
彼女はそのホームページで、「哈日症状」の定義として、「食べ物は必ず日本料理を食べ、見るものは必ず日本ドラマ、映画、日本語の本。聴くものは必ず日本語や日本語の歌、使い物は必ず日本製。話すのは必ず日本語で話し、日本に関することを話題にする。ぶらつくなら日系資本が投資したデパートで、四六時中完全に日本化された環境の中に自分を埋没させる。またそうでなければ耐えられない。」という徹底ぶりだ。(下画像)
「哈」という言葉は元々英語の「Hot」で台湾語に「哈」(ハー)に変換し、「ある物事に感情を持つほど求める、好きでたまらない」の意味をつけてことから来ている。
哈日族は、日本の現代大衆文化を好む台湾人、中国人の若年層の総称を指す(Wikipedia参照)が、この本では主に台湾の日本大好き族のことに触れている。
情報としては少し古いが、2003年、15歳~18歳の若者を対象とした台北市青少年育楽中心の調査によると、「どこのポップカルチャーが好きか」という設問に対して、日本の回答が40%を占め、二位の欧米(23%)、三位の台湾(19%)を大きく引き離している。
台湾で哈日が盛んなスポットは、台北市の西門、東区、士林、天母、林森北路一帯、さらに台中市精明一街・精誠路一帯などだが、大本営は台北市・西門町(せいもんちょう)別名「台北の原宿」である。(右地図)
ここで当然、日本と韓国との関係の温度差を感じてしまう。
台湾は第二次世界大戦前、南北朝鮮とともに日本に植民地として支配されたことがある。
しかも、植民地支配の期間は、朝鮮の35年間(1910~1945年)よりも長く、台湾は50年(1895~1945年)に渡った。
酒井氏(筆者)によると、台湾の特殊なところは、植民地支配が戦後の国民党中国の支配もまた、台湾人にとっては植民地主義の一種だと感じられたことである。いわば戦後も「ずっと植民地」だったのだ。
台湾人にとって日本の植民地統治が良かったのではなく「日本の方がまだマシだった」のである。日本の統治時代が戦後の国民党支配に比べて少なくとも法治主義が存在し、制度やルールもしっかりしていたのだ。
1945年、当初、少なからぬ本省人(台湾人)が台湾の「祖国復帰」を喜び、中国大陸から来た国民党政府の官僚や軍人らを港で歓迎したが、やがて彼らの腐敗の凄まじさに驚き、失望した。
大陸から来た軍人・官僚は国共内戦の影響で質が悪く強姦・強盗・殺人を犯す者も多かったが、犯人が罰せられぬことがしばしばあり、もし罰せられる場合でも、犯人の省籍をマスコミ等で報じることは厳しく禁じられた。また、台湾の資材が中国人官僚らによって接収・横領され、上海の国際市場で競売にかけられるに到り、台湾の物価は高騰、インフレによって企業の倒産が相次ぎ、失業も深刻化した。
不正の少なかった日本の統治を体験した台湾人にとって、治安の悪化や役人の著しい腐敗は到底受け入れがたいものであった。人々の不満は、いやが上にも高まっていった。当時の台湾人たちは「犬去りて、豚来たる」(犬〔日本人〕はうるさくても役に立つが、豚〔国民党〕はただ貪り食うのみ)と揶揄した。
そうして、1947年に二・二八事件という、本省人(台湾人)に対する外省人(国民党)の大弾圧があった。これで28,000人が殺害・処刑されたという。(Wikipedia参照)
彼らより日本人はマシだっただけで、いわば敵失に助けられたのだと思った方がよい。
つまり、朝鮮には日本を嫌悪して自らを正当化する歴史的基盤や理由があるが、台湾にはそれがなかった。朝鮮人にとっては日本は明らかに他者だったが、台湾にとっては「支配者が交代した」に過ぎなかったのである。
戦後国民党政府は戒厳令を敷いた統治の中で、日本色を追放し、テレビドラマや映画の上映を規制したが、書籍や漫画などは脈々と台湾の青少年に影響を与えていた。
戒厳令解除後、日本の大学で学び、日本に対する造詣の深い李登輝総統(90歳)(写真)による民主化の流れの中で、1988年にパラボラアンテナの設置が解禁され、NHK衛星放送の受信を初めとして日本の映画やテレビドラマが解放されると、「哈日族」になることはいっそう容易になった。
現在は台湾には「哈韓族」(韓国大好き族)、「哈泰族」(タイ大好き族)、「哈美族」(アメリカ大好き族)という人たちがいる。
筆者によると「哈韓族」は、韓国ドラマが主流で、哈韓風は、哈日風に次ぐ台湾サブカルチャーになった。なぜ韓国ドラマが流行したかというと、最大の理由はコストが格段に安いためである。
ただし「哈韓」には限界があり、「哈日」を越えることは出来ないだろうという。
台湾人は歴史的に朝鮮人嫌いだという要因が大きい。戦前お互いに日本の植民地支配により差別を受けていたのに、連携したという話は聞かない。
それは、朝鮮人の持つ強烈な儒教観念、序列意識が、平等主義的な台湾人の肌に合わなかった。
しかし、日本のサブカルチャーも廃れていくという予想する向きも多い。
さらに、日本の印象について「10年前よりは悪くなった」という声を耳にすることが多くなった。「10年前は、凄く清潔で発展しているという感じを受けたが、最近行ったら、町は汚くなっているし、印象が悪くなった」という声を聞く。
日本人や日本文化が他国の人たちに愛されるというのは率直に言って、嬉しいことだ。
それは日本の文化が閉鎖的でなく、世界の国々の文化の良さを素直に認め、それを積極的に取り入れてきたことが大きな原因だと思う。
多くの国や民族が過去犯してきた「選民主義」や「排他主義」の愚は二度と繰り返してはいけない。
橋幸夫の代表曲、この2曲も台湾では有名な曲のようだ。
洪榮宏/一支小雨伞 (雨の中の二人)
黃乙玲/墓仔埔也敢去(恋をするなら)