【Soulcolor】僕にとってのワイヨリカ① | wyolica official blog

【Soulcolor】僕にとってのワイヨリカ①

僕にとってのワイヨリカとは
いったい何だったのか?

そんなことを何回かに分けて
少しずつ
書いていこうと思います

ワイヨリカの原点は
僕の浅草でのアルバイトからの
お話からです

デビュー曲の
悲しいわがまま
Are you missin' me?
cycleは
アズミさんと出会うだいぶ前に
浅草の倉庫でアルバイトをしながら
作った曲です

悲しいわがままは
全部出来るのに
一年ほどかけて作りました(笑)

ちょうどその頃
ラジオでは
UAさんやCharaさんの音が
ラジオで流れ始めて
これまでのJ-POPとは何か違う何に
すごく興奮したのでした

ミュージシャンには
なりたかったものの
その頃の日本の曲は
僕にとってはほんとに
つまらないものばかりで
あんな風に音楽を作らないと
デビュー出来ないのかと
あきらめていた部分も
大きかったのですが

UAさんCharaさんの音を聴いて
こういうのなら
作れるかもしれないと
非常に根拠のない自信とともに
作詞作曲を始めました

悲しいわがままなどは
その頃ビクターからデビューする
女性のバンドでギターを弾いていたので
その当時のディレクターさんにも
聴かせましたが

こんな曲では
デビューなんて出来ないと
一蹴されてしまいました(笑)

その後
友人で後に
古内東子さんや小柳ゆきさんを
プロデュースする事になる
村島一郎君に悲しいわがままを
聴かせたところ

彼がドラムとベースを打ち込んでくれました

ちょうどその頃
ぴあという雑誌で
Charaやってます!
というソニーのオーディションの
広告を見つけました

後にワイヨリカを結成する事になる
大原さんがその広告の全面に出ていた
のです

その広告をアパートの壁に貼って
その締め切りまでに他にも
曲を作って

ダメなら音楽はあきらめて
普通に働こうと思っていました


そのオーディションのテープには
それなりに気迫が籠もっていたのかも
知れません


その頃
知り合いの俳優さんが
お芝居のエンディングで
悲しいわがままを
使って下さったりしてくれて
僕の歌っているものですが(笑)

悲しいわがままは
もしかしたらひとり歩きしてくれる
曲なのかな?と
思いはじめてていました

村島一郎君が彼の所属していた
事務所の方に曲を聴かせてくれて
ソロアーティストとして
やっていかないか?と
話があって
裏方志望だった僕は
舞い上がってしまい
飲んだくれてから
アパートに戻ると
留守電が点滅

そこに
大原さんからの
会いたいというメッセージが
入っていたので
さらに飲んだくれたことを
いまでも覚えています

これがまずは
ワイヨリカ結成に繋がる第1歩です

つづく