小雪と呼ばれていた少女が名前を失ってから二十余年の時が流れた。年の頃を違う事なく美しく成長した彼女は、内心で喜びにうち震えていた。黒い着物に長い黒髪。そして手には鮮やかな配色の手毬。
夕日が辺りを照らしている。あれからも建て直される事はなく、今にも朽ち果てそうな鳥居を挟んで二人の少女が立っていた。
名を失った少女が目の前にいる少女に名を問うと、少女は『香月』と、無表情のままに名乗った。
――同じ名前だね。
昔聞いた台詞をそのままに小雪だった少女は作り物の笑みを浮かべた。そして、香月に鳥居をくぐるように促した。すると香月は無言のままに誘いを受け、宮の敷地へと踏み入った。
香月の名を得た少女は懐からお手玉を取り出して見せ、手毬を持つように促した。
名を失った日とは比べ物にならないほどの演技を見せ、お手玉を香月に手渡した。ただ不満なのは、この香月という少女があまりにも冷めている事だった。別に、褒められたくてやっている事ではないが、驚いた表情の一つくらいは見たかった。
香月は手に持った三つのお手玉をじっと見つめた後に――あと二つ、と言った。
内心で――できるわけないのに、と思いながらも香月に合計五つのお手玉を渡した。
香月がお手玉を始めた。
自分の演技と比べるまでもない単純な軌道だが、見事に五つのお手玉を宙に舞わせる事ができた。思わず、唖然としてしまった――その時。
香月を呼ぶ声が聞こえてきた。声の主は当然――香月の母親。
その声を聞くや、小雪の名を失い香月の名を得た少女は叫んだ――ママ、と。そして、横目で香月を見るが状況が理解できていないのか、無表情のまま立ち尽くしていた。
「そっちに行ってもいい?」
香月に成り代わった少女が言うと、母親はここに来た事を叱責しながらも一緒に帰るようにと言った。
抑えきれない喜びと共に鳥居をくぐった。香月の母親の隣に並び、後ろを振り返る。名前を奪われ、母親を呼ぶ事もできず、鳥居をくぐる事もできず、ただこっちを見つめる事しかできない香月だった少女は無表情に立っている。そのうち、自分の置かれた状況を理解するだろう。小雪だった少女が名前を失ったあの日のように。
かわいそうだとは思わない。自分の失った時間を取り戻さなければならないのだから。やりたい事は色々とあるが――最初にやる事は決まっている。
「ねぇ、ママ。わたし、ママの子供になれてよかった」
「あら、どうして?」
母親は嬉しそうに聞き返す。
――わたし、あの時された事、忘れてないからね。
(終わり)