「つくる側」の意識 求められてこそ | WXYZ フィギュアスケート観

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    2021.8.20


キラキラスターズ オン アイスキラキラ

出演者の皆様、関係者の皆様、

お疲れ様でした!


楽しいショーをありがとうございましたハート




今回、

ショーやその舞台裏の様子を見ていて、


なんかこの空気感、懐かしいな

自分が経験したことのある何かに似てるな


と思っていました。










  ひらめき電球






……部活だ!!!




特に、舞台裏の映像を見ていて、


円陣組んでかけ声とか、

意見を出しながら群舞の確認をしたりとか、


なんかそういうのを見て、

本番前の部活の雰囲気を感じたのでした。





いや、企画元は商業団体?だから、

学校の部活とは全然違うとは思うけど


というか、

私にとってはそれが「部活」だっただけで、

何らかのパフォーマンスをする側に立ったことのある人なら、感じたことのある感覚なのかもしれません。



でもあの、出演者の多くが学生っていう

今回のスターズオンアイスは

なかなか貴重なアイスショー だったのかもしれませんね。



名フェスも似た感じだったかもしれませんが、雰囲気がまた違う気もします。

(出演者の伸び伸びした感じと明るい客席、それを見守る関係者、満知子先生の親心?と佳菜子ちゃんの親近感溢れる解説も好きです!)




たぶん、

羽生くんの、「良いショーをつくっていくぞ!炎っていう意識に、メディアもかなりスポットを当てていたから?

思い起こされた感覚だったのかもしれません。





(ここからほぼ、自分語りです。)



ここでも何度か話に出していますが、

私は学生時代、音楽関係の団体に所属していました。



自分たちが主催する

演奏会を開くには、色々な準備が必要です。


主催と言っても、学校所属だから、

教育委員会や市町の連盟が後援団体となっているわけです。

(そう考えると、たぶん形態としては、名フェスの方が近いだろうと思います。選手育成の場、という教育的意義が強いと思うので。)



また、演奏会の「場」をつくるためには

直接的に動いて下さるたくさんの方々の協力を得て、また、聴きに来てくださるお客さんがいて、初めて成り立つものです。



今までも、

スケーターさん達の演技そのものはもちろん、競技に向かう姿勢、

それまでの努力の過程などを、

自分が向き合ってきた音楽活動のそれと

重ねて見てきましたが、



アイスショー を見ていて、

「ショーをつくる」ことが、

「演奏会をつくる」ことと、こんなにもリンクするように感じられたのは初めてかもしれません。


ショーに関しては、そういう視点で見ていなかったように思います。

(いちフィギュアスケートファンとして、鑑賞者目線でしか見ていなかった。)





もちろん私は、

アイスショー のように大規模なものは開いた事がなくて、

聴衆の大部分は家族や関係者など内輪の方々だったわけですが。




選曲して、全体のプログラムを組んだり、

演出(余興っぽいのも含め)を考えたり、


パンフレット(表紙デザイン、曲紹介の原稿など)作り、印刷業者への依頼、


そもそもの資金集め(広告料集め)


ホールの関係者(舞台仕込みや音響、照明の担当者の方や施設管理者等)の方々との打ち合わせ、

映像記録を撮ってくださる方への依頼、


指導者・指揮者の方、賛助出演者の方とのやり取り、


日々の練習や話し合い、準備


みんなで分担しながら、

手づくりでつくっていく。



本当にたくさんの人の力を借りてやっていた事を、今になって実感します。



頭では、「たくさんの人の力を借りて初めて実現すること」だと分かっていたけれど、


10代・20代前半の私は

本当に、関わって下さった一人一人の方の、仕事の中身を理解していたのか、

一人一人の方の心を感じた上で取り組んでいたのかと問われると、

不十分だっただろうと、今、思います。




高校生や大学生への経験の場の提供、

教育活動への応援・協力、という意味で

周りの大人や地域の方は、温かく力を貸してくださっていたんだな、と感じます。


それから、

先輩から後輩へと活動が受け継がれていく事で、

毎年演奏会を開ける環境が整えられていた、とも言えます。

だから、当たり前のように(実際はそんなわけないのですが)プロの演奏団体も使う大きなホールを使わせてもらえる、その関係者と打ち合わせをさせてもらえるのです。


もし、

自分が作った新たな団体で

一からそれらをしようと思ったら、

ものすごく困難なことでしょう。



そもそも、求められていなければ、

採算をとることが出来ません。

それでは続かないのが現実。





求められて初めて持てる意識という面も、

あるでしょう。



聴きたいと思って下さる人がいる。

応援して下さる人がいる。


実際の、そんな人の心に触れることで、

それに応えよう、もっと良いものをつくろう、という気持ちが増す。



そう思えるに至るには、

経験とか実績とかもそうだけど、

自分の中で、

今、ここで演奏をする意味を掘り下げる意識とか、

いろいろなものが

必要なんだろうと思います。



そうして

つくりあげたその「場」「演じた作品」に

最終的に

意味をもたせるのは、価値付けをするのは、聴衆の一人一人である。




なんか、自分が積み残してきた課題に、

また気づかされたなって思いました。




大きなホールで演奏出来ることも経験ではあるけれど、ステージと客席には隔たりがあって、客席の空気を感じ取ることはなかなか難しい。


face to faceの場での経験を積むことでしか

得られない感覚ってあると思います。


聴く側が、演奏に対して、

今この瞬間にどういう感情を持っているか、

よりダイレクトに感じやすいのは、平場の小さな空間かもしれません。


そこでは、競技(コンクールなど)に向かうのとは、またちがった感覚が必要だと思います。


それはそれで、

とてもシビアな世界でもあります。




私にも、

数少ない経験の中からではありますが、

いくつかの場面が思い浮かんできます。



聴いてくれている人の表情などを見て、


あ、今ちょっと目がキラッとしたな、とか。


つまらなさそうにしてるな、とか。


そもそもの選曲がミスってたかなとか。


音楽にのれる空気が出来てきたな、とか。





クラシック音楽の演奏会ではあまりないかもしれませんが、

ブラスとかで、(一部でも)エンタメ性の高い内容の演奏会をする場合は、

奏者は終演後、

ロビーに立ってお客様をお見送りする事が多いです。

(お芝居系の舞台の後もそうですよね。)



「聴きに来て下さってありがとうございます」と。

お礼の気持ちを込めて。


知り合いが来ていたら、そこで労いの言葉をいただくこともあります。

でも見ず知らずの人から直接、何らかのフィードバックをいただくことって、なかなかありません。

(何も無いこと自体や、帰る人々の様子そのものがフィードバックかもしれませんが…)


余程、実績のある団体、または、ファンがつくような公演がその時出来れば、個々にその可能性はあります。



まあ、自分が客側だった場合も、

ものすごく感動して演()者本人に何か伝えたいと思っても、なかなか直接声をかける勇気はなかったりしますが

(アンケート用紙があれば、そこに惜しみなく書きますが)



演じたパフォーマンスの「内容」を楽しんでいただく、その「場」を楽しんでいただく。


それだけでなく

「この団体だからこそ」

「この人の演奏だからこそ」

楽しめた、また聴きたいと思わせるほどの

パフォーマンスが出来るって、

本当にすごいことだと思います。




現役の学生だった頃に、

もっとその周囲と繋がる感覚を自覚して、

自分の表現やパフォーマンスに向かう姿勢に反映させる事が出来れば良かったのだろうけど、


でも今、後悔してるというよりは、

自分が自覚しきれなかったけど、

そんな有り難い経験の「場」に身を置くことが出来ていた、そのこと自体に感謝の意を示したいと思いました。





というのも、このコロナ禍で、

演奏会を開けなくなった団体は数知れず。


配信など代替的な方法を取れた団体は、

ひと握りでしょう。



仕事として活動している方はもちろんのこと、

部活や趣味サークルなどで取り組んでいる

学生さんや一般の方々も

きっと苦労しているでしょうし、

その「場」を奪われて落胆している人も

大勢いることでしょう。



もちろん、コロナ禍以前でも、

金銭的問題や身の回りのさまざまな制約から、困難な状況と向き合いながらパフォーマンスの世界で奮闘してきた人は、たくさんいると思います。


ただ、私が今回書きたくなったのは、

今の社会の状況と結びついたからという面が大きいです。




そんなことを考えていたら、

卒業後、疎遠になってしまった

母校の事情が、少し気になってきました。



音楽に限らず、

様々な舞台、パフォーマンスに日々取り組む

すべての方にとって、見通しがもてる、希望がもてる時が、いち早く訪れますように。



私もいつかまた、

その世界に身を置ける日が来たらいいな、

と夢みて