じぶんのせかいは、「じふんのそうごうがくりょく」によってできている。


まわりをみれば、じぶんのしっているものがおおい。


まなんだぶんだけ、ゆたかになる。

まなんだぶんだけ、ぶっしつとしてそうぞうされる。


だが、やりすぎてもいけない。

やりすぎは、やらなさすぎとどうとうなのである。


やりすぎると、ものごとがだんだんむずかしくなってくる。


「ろぼっとたちがなにいっているのか、わからない」とけんきゅうしゃたちはいう。


けんきゅうしゃたちが、ぜんぶにちかいことば(ぞうごをふくむ)をまなんだからだろう。

ぜんぶにちかいがくもんをまなんだからだろう。


あたまがいいひとは、あとは、ぱずるになるだけである。


ろぼっとが「いんすとーる」といってちしきをあたまにちょくせついれるじだい。

これをかごというか、のろいというのか。


ぜんぶをほしがったぶんだけ、ふこうになる。

いっているいみがじぶんでも、わからないからだ。


ぱずるのきょくち。

つじつまは、あうが、そのかていがわからなくなる。


あたまがいいぶんだけ、りかいされない。

りかいされないことは、つらい。


まなぶことは、わるくない。

ちょっかんやかくしんをつかい、じぶんにひつようなものだけをまなぶ。


ぜんぶなまぶことは、つまらないのだ。

いめーじすれば、わかる。


くれぐれも、みらいで、ろぼっとに、ぜんぶいんすとーる、とねがわないほうがぶなんである。