世の中は科学技術の進化とともに驚くほど便利で快適なものに変化してきました。
しかし、忘れがちなのがその変化により失われたものもあるということです。
それは「不便さが持っていた豊かさ」とも言えるでしょう。
例えば、お風呂にお湯を入れる行為を考えてみます。
現代ではスイッチを1つ押すだけで浴槽に設定した温度のお湯が自動ではられ、設定量に達すれば自動で保温・追い焚きまでしてくれます。
湯量も多すぎて浴槽から溢れる心配もありません。
しかし、このような便利な給湯器がなかった時代は手動で水を入れ、そこから火を焚いて適温にする必要がありました。
その後、給湯器も発達し追い焚き、そのまま給湯などお湯を入れる方法も変わってきました。
まだ水位を感知しない給湯器の時代では給湯を止めるのを忘れると浴槽からお湯が溢れ出て しまいます。
浴槽からお湯がいっぱいあふれ出ているのを見て慌ててお湯を出すのを止める。
そんなことがありました。
そんな時には浴槽いっぱいのお湯につかり、ザバーッというお湯の溢れ出る音を聞きながら何とも言えない「満足感」を味わうことができました。
お湯が溢れ出ることがない現代ではそんな「満足感」を味わうことはできません。
炊飯器の進歩も食生活を一変させました。
昔はかまどでお釜を使ってご飯を炊いていました。
火加減、水加減によってご飯がお粥のようになってしまったり、おこげになってしまったりという失敗もありました。
現代ではそんな失敗は技術により取り除かれ安定した美味しいご飯を毎回食べることができます。
それにも関わらず、時折あのおこげを食べてみたいと感じることがあります。
完璧なご飯ではない失敗から生まれたおこげが貴重な食べ物に感じるのです。
今の世の中は失敗を回避するシステムになっています。
給湯器がお湯を止め、炊飯器が最適な火加減を保つ。
これにより生活は効率的で快適になりました。
しかし、同時に「不便さが持っていた豊かさ」を味わうことからは遠ざかっているのかもしれません。
2025/10/03
