室内の観葉植物の水やりについて以前はあまり考えずに水やりをしていた。
受け皿に水が溜まっていてもあまり気にしないでいた。
それでも植物は育っていた。
今から思うと枯れてしまったものもあったけれど。
観葉植物の中に胡蝶蘭が仲間入りして水やりの意識が一変した。
胡蝶蘭の水やりは初心者には難しい。
そんなに難しいことではないと書かれているけれど、やはり難しい。
胡蝶蘭はまだ植え込み材料が乾いていない時に水やりをしてしまうと、すぐに根腐れを起こして枯れてしまう。
根腐れが怖いからと逆に水やりを控えると今度は水が足りなくて枯れてしまう。
胡蝶蘭自体は強い植物だと思う。
というのも花芽のついた茎を誘引しようとしたときに誤って折ってしまっても折れた茎の横からまた新たな茎が伸びて花を咲かせた。
胡蝶蘭の水やりに注意をするようになると他の観葉植物の水やりにも注意するようになる。
すると今まで気にしていなかったのに元気がなくうなだれている植物を見ると水が足りないのかもしれない。
と思って水やりをする。
それが本当は根腐れをしていて元気がなかった植物に水をさらに加えてしまって結局は植物を 枯らしてしまう。
そんなことも起きるようになった。
今までのようにそんなに気にしていなかったならば枯れるようなことはなかった。
元気がないから。
かわいそうだ。
だから、水が足りないのだろうと思って水をあげる。
それが逆効果で最終的に枯らしてしまう。
そんなことになるとは思ってもいない。
かわいそうだと思ってしたことが命取りになる。
これは水やりに限ったことではない。
よかれと思ってしたことがますますひどい状態にしてしまう。
はたから見るとなんてことをするんだ。
ということをしてしまう。
もちろんよかれと思ってしたことだ。
相手のためにと思ってしたことが逆に相手をおとしめる。
そんなことがある。
たとえば、台所で洗い物の手伝いをしようとする。
その時、誤ってお皿を割ってしまう。
大切にしていたお皿を割ってしまう。
この場合、手伝いもしないでただ座っていればお皿も割れることはなかった。
手伝おうと思って行動した結果がお皿を割ることにつながった。
ただ座っていたならばお皿は割れない。
どちらが非難されるのか。
行動と結果。
これが 真逆の位置にある。
できれば行動に目を向けてほしいところだが、結果に目が向けられることが多いのが現状だ。
2024/08/28
