算数は計算ができるかどうか。
それが主体です。
計算ができるようになることが、主な学習になります。
計算ができること=算数ができる
ことになります。
中学生になって学習する数学では計算は思考のための道具となります。
数学では論理的な思考ができることが主体になります。
考える力が 重要視されます。
だから、算数ができることは数学ができることにはなりません。
当然、計算力があるということは必要となります。
それ以上に論理的思考ができるかということが大切になります。
それができるかどうかが数学はできる、できないになります。
算数では数値を当てはめて計算により答えを導くことが主体となります。
例えば、算数の問題では
「木にりんごが20個なっています。
そのうち4個が落ちました。
木に残っているりんごは何個ですか。」
ただ、数値を入れて計算をして求めます。
20-4=16 答 16個
数学では文字等を使って論理的に考え答えを出す過程を重視します。
考える力が主体となります。
例えば、数学の問題では
「りんごが1本の木に20個、みかんが1本の木に50個なっています。
1本のりんごの木からは4個が、1本のみかんの木からは5個が落ちてしまいました。
りんごとみかんの木が合わせて160本ある場所で、りんごとみかんが合わせて20個落ちていました。
りんご、みかんの木はそれぞれ何本ありましたか。
(りんご、みかんの落ちる割合は同じとします)」
連立方程式を作って求めます。
りんごの木をX本、みかんの木をY本とします。
X+Y=160
0.2X+0.1Y=20
これを解いて
X=40、Y=120
答 りんご 40本、みかん120本
このように算数と数学では求める力が異なっています。
中学生になっての最初のつまずきの一つが負の数マイナスです。
その次のつまずきが文字式になります。
算数では数字を入れて、ただ計算すればできました。
でも、数学は数字の代わりに文字を使います。
そして、式を考えます。
式の意味が理解できないと数学ができないということなります。
それが第2のつまずきのもとになります。
逆に言うと、式の意味が理解できれば小学生の時に算数ができなくても数学はできるという理屈になります。
