至上の印象派展 国立新美術館 | 小川村塾ブログ

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4月22日(日)に国立新美術館で開催されている「至上の印象派展」に行ってきました。

 

午前10時40分頃に美術館に着きました。

入場するのに10分ほど並びました。

 

この美術館で以前開催されたセザンヌ展の時も感じたのですが、人は混んでいるけれども展示してある絵は見やすいと思いました。

 

どうしてそう感じるのか、今回分かりました。

どうも絵の展示の仕方のようです。

 

通常の美術館では絵が4点ほど飾られるような空間に絵が2点ほど飾られているだけのようです。

ですから次の絵までの間隔が空いているので、人が数珠繋ぎに列をなしているというのではなく、絵の周りに人が集まっているという感じです。

 

最前列の列に並んで一緒に繋がっていかなくても後ろの方から見ても十分空間が空いていてよく絵が見られます。

 

今回お目当ての(美術館に来ている人はみんなそうだと思いますが)ルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」の絵の前は多くの人がいます。

でも人だかりはしていますが、しっかり見られました。

 

その代わりグッズ売り場は満員電車状態で、すごかったです。

レジに並んでいる人の列がグッズ売り場から外に出て廊下に3列くらいの列を作っています。

こんなことは初めてです。

 

僕の前の方でグッズ売り場に並んでいる列に美術館に入場する人たちの列と間違えて一緒に並んでしまっていた2人組がいました。

やはり混んでいたということが実感として感じられました。

 

購入した図録を後で読んでみると、今回の図録は分かりやすくまとまっていました。

 

しっかり図録を読んでから絵を見た方がよかったなと感じるくらいでした。

 

昔は絵を見るのに色々な先入観を入れない方が良い。

直感で見ていい絵と思う絵が本当の絵だ、なんて思っていました。

 

今はある程度の知識を持って見た方がよりその絵の良さが分かると思っています。

 

今回のこの至上の印象派展はフロアが第一章から10章までに分かれていました。

図録を読むとその章ごとの内容がよく分かりました。

 

各フロアの入り口に書かれていたことですけれど、中ではなかなか読む気がしませんでした。

 

やはりポスターにもなっているルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」は圧巻です。

本当に可愛いと言っていいのか、綺麗と言っていいのか、とにかく見とれてしまいます。

 

「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」

 

この絵の説明には次のように書かれています。

 

この作品はルノワールによる子供の肖像画を代表する傑作のひとつとして知られている。

 

透き通るような白い肌を保ち、青いドレスを身にまとったイレーヌが、深い緑色の茂みの前に佇む様子が、流れるような筆遣いによって描かれている。

 

描かれた当時8歳であったイレーヌのあどけなさの残る愛らしい横顔は、まるでケープのように彼女の肩や背中を覆っている栗色の豊かな髪の流れと、背景の群葉によって、より一層ひき立てられている。

 

顔の周りの背景は黒く塗りつぶされ横顔を浮き上がらせるような描き方になっています。

そのことにより少女の横顔の美しさが際立ってきます。

 

絵の前でしばらく見とれてしまいました。

みんなそうなのではないかと思われます。

 

最後のフロアのモネの「睡蓮の池・緑の反映」は縦2m横4.25mの大作です。

壁一面にこの絵で飾られています。

 

「睡蓮の池・緑の反映」

 

このフロアでは写真撮影が許可されています。

そこで、みんなスマホやカメラでバシバシ撮っています。

写真を撮るのに夢中で、絵を見るのは疎かになっているような気もしないではありません。

 

他の絵ではモネの「ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ畑」「ジヴェルニーのモネの庭」が印象的でした。

 

「ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ畑」

 

「ジヴェルニーのモネの庭」

 

第2章(ヨーロッパの都市)の説明の中でカナレットの風景画「サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂」とシニャックの「サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂」を比べて見るとヨーロッパの絵画がどのように印象派として進んで行ったかが分かると説明されていました。

 

同じサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂を描いているのですが、全く違うものです。

 

「サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂」

 

カナレット作

 

シニャック作

 

そして印象派の分かりやすい説明がされていた。

 

建物はもはや正確に再現されることはない。

それは朝の特別な光の効果を表現するための単なる背景にすぎないのである。

 

そうなのだ。

光を表現したいのだ。