国立新美術館の「ルノワール展」に7/10(日)に行ってきました。
5月の連休に行った上野の「若冲展」のような混雑さはないと思っていましたが、ルノワールは日本人には人気があるので、ある程度の混雑は覚悟して行きました。
以前いつかは忘れてしまったけれど、行った「ルノワール展」は結構混んでいた記憶がある。
今回はルノワールの最高傑作とされる「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」が日本で初展示というので、余計混雑を予想していた。
それが予想に反して(良い意味で)、それほどの混雑状況ではなかった。
だから、ルノワールの作品を堪能できて幸福な時間を過ごすことができた。
美術館の展示は大きく「人物」「風景」「生活」のように区分けされている。
やっぱり、「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」は、凄かった。
作品の前には人がいっぱいいたけれども、後ろの方で立ち止まって見ていると、前の人達がいなくなって、人の頭が邪魔にならずにしっかり見ることができた。
見ていると作品の中の楽しさが飛び出して、自分もなんだか心が踊ってくるようで、見ることができてうれしい、と感じてしまう。
こんな気持ちになれる時は心も洗われる時だ。
ただ、木に寄りかかる男性と木の間から見られる女性の顔の大きさが不釣り合いのように見えて気になってしまった。
「ぶらんこ」は自分の中では作品がもっと大きくて「田舎のダンス」くらいの大きさを想像していた。
でも「田舎のダンス」ほどの大きさではなかった。
別に小さいわけではなく、十分大きいのだけれども、自分の想像の大きさではなかったということだ。
このことは、「ぶらんこ」という作品が自分の中で大きく広がっていたことになる。
木漏れ日がまぶしい。
あくまでも木漏れ日がまぶしい。
直射日光がギラギラと輝いているのわけではない。
だから、ブランコの上の女性ははにかんだ輝きがある。
何となくほほえましくなる作品。
見ていて気持ちがよくなる。
国立新美術館へ

チケット

パンフレット

ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会

ぶらんこ
