・タツコン出展作品 : 【 華のうてな 】
・個展 「春を掬ぶ」 メイン作品 : 【 いのちの花 】
本日はこの両作品についての解説をしたいと思います。
恐らく長々と、そしてわかりにくい部分も多々あるかと思いますが
どうぞよろしくお願いいたします。
まずこの似た作品を二つ作った経緯ですが
元々はどちらもタツコンに向けて構想していたものです。
タツコンに出る事を決めてから
夏頃に蓮と孔雀でいこうと構想が固まってきていました
三重のお寺に蓮を撮りに行ったりしながら
色々な画面構想を続けていく中で
最終的に絞った案がこの二点だった訳です。
当初の構想としては
蓮池の前に孔雀が一羽背を向けて佇んでいて
少しだけ顏がこちらを向いている感じでした。
尾羽が水に向かっていて、そこから蓮が咲いている、ような。
安直だなぁと思っていて。
色々ラフを描いて
顏メインの孔雀の周りに蓮で曼荼羅とか
全身でも正面の孔雀で足元から円形に蓮とか
あーでもないこーでもない、と
考えていたあれこれの中から
最終的に辿り着いたのが
【盆栽】のイメージの二点でした。
盆栽っていうと、これまたちょっと語弊というか
いやでも、当初の画的なイメージは盆栽です。
で、番(つがい)にするか単独にするかで迷ったあげく
とりあえずどどっちも作ろうと。
選べないからどちらも作って
片方は個展に据える事にしました。
なので両方タツコンに出せる規定サイズで額を頼んで
ギリギリまで迷って、
最終的に番をタツコンに、単独を個展にしました。
タツコンにはテーマが設定されていて
今年は「想像・創造」です。
正直構想の時点ではそこまでテーマを意識していなくて
赴くままに描き出してます。
あまりテーマを先行してしまうと
出るものも出ないかなぁと思って。
これまた想像、だとなんでもいけそうなアレもあり…(こら)
この辺りの、作るまでの経緯がまた長いので
どうにか短縮してみようと思います。
私は元々ほとんどの作品において
「こういうテーマ、意味の作品を作るぞ!」
という前段階がありません。
大体作っている途中か、作り終わってから気付く事が多くて。
作り出している最中は、赴くままというか
こういう雰囲気が気になるから作る
この花が使いたいから作る、という感じです。
今回の作品においても
蓮と孔雀をミックスさせたいから作る。
というスタートでした。
大体いつも、後から意味に必ず気付くので。
そのうちタツコンのテーマにど沿うのか
その意味に気付くだろうと思っていました。
実際意味はちゃんとあって。
ちゃんと途中で気付きました。
その辺はやっぱり長くなるので、
ここは別記事にしようと思います。
で、途中でちゃんと気付いて
わんさかわんさか出てきたこの作品の
意味するところ、意図するところ
やっと本題です!
死後の魂のありようを形にしてみました。
この切り絵は、私の想像した浄土での魂の姿です。
日本では、輪廻というものを信じる傾向にあるかと思います。
私自身も魂は巡るものと思っています。
盆栽をイメージしたというのは
それぞれの魂が
盆栽のような形で整然と並んでいるような画が浮かんだからですかね。
そこには立派な木を育てられているものもあるし
沢山花を咲かせているものもあるし
まだ芽吹いたばかりのものもあるし
枯れ木になっているものもあるし
根腐れしているものもある
色々なんだろうなと、思って。
なので理想です。
切り絵にした蓮は理想。
葉の一本、花の一本、蕾、花托。
それぞれがその魂が生きてきた人生の形です。
沢山葉っぱがあって、花が咲いているのは
それだけ様々な人生を歩んできた結果です。
必ずしも長生きしたとかではなく
満足度とか、幸福度とか
その時を生きた本人の考えや価値観が
葉だったり花だったりに姿を変えているのかもしれません。
単独の方は一人の魂の姿そのもの。
自分そのもの、なイメージです。
あ、私ではないですよ。
番はもう少し意味が含まれています。
よく、先に逝くね、とか
向こうで待っているね、とか。
向こうであの人に会えるから
寂しくないわ、とか。
そういう言葉や場面に
私たちは何かの形で遭遇しているのではと思います。
身近な人が言っていた、とか
ドラマや小説でその場面があった、でも。
そういう考えが自然に根付いているんだと
自分の経験上で私は思っています。
ひとりで生まれて、ひとりで死んでいく。
でも、向こうで会えるから
死ぬのも悪くないよ。
この考えって、どこからくるのかなぁ。
怖さや寂しさを拭うための
知恵でもあるのかなぁ
それとも、本当にそうなのかしら。
そうだったら、それはそれで美しいね
という想いを切り絵にしてみました。
わかりやすく雌雄の番にしていますが
男女の関係に限った事とは思っていません。
親子でも、兄弟でも、友人でも、戦友とか
大切な存在、絆の強い存在
それらの「向こうでまた」、の形ですね。
一応この作品での場面説明としては
雌の方が先立って、長く待っています。
両足がしっかり根付いているのはその為です。
ようやくの再会に見つめ合っていないのは
雌は雄を待ってはいたけれど
早く、とは望んでいなかったからです。
ただ静かに、雄が生を全うするのを待っていた。
いつか必ずくるその時をただ待っていた。
だから「ようやく会えた!」でも
「やっと来てくれた!」でもないので
雄の方を向いていません。
まだ少し待っている顔をしています。
おつかれさまでした、という顏かも。
雄は、待っていてくれた雌を見つめて
お待たせ、と根付こうとしているところです。
片足浮いているのはまだ時が経っていないから
でもこれ、意識してそう作った訳じゃなくて
母に色々話している中で
だったら見つめ合わせたら?と言われて
いや、それは違う。
だって彼女は急かしてないんだ。
こんなに人生を積み重ねて、
沢山の葉と花を、実をつかせて
根をしっかり張っているような魂が
大切なひととの再会を早く、と望んだりはしない。
あと、今世は夫婦か恋人かもしれないけど
多分親子でもあり兄弟でもありなふたりだから
別に見つめ合わなくともいい。
会いたいけれど、きっと静かに待てる。
もうそのくらい達観できている。
だから理想。
私の切り絵は理想でいい。
現実は今目の前にあるんだから、
作品ぐらい理想でいかせて欲しい。
とかなんとかで出てきた答えでした。
最初からそう意識して作ってはいなくても
ちゃんと意味があるのが後からわかります。
何故自分はそういう画にしたのか。
その考えがちゃんと画面に表れてるんですね。
面白いですね。
蓮はかつての人生
孔雀は一番近い人生をわかりやすくしただけで
全部が蓮で、全部がある意味孔雀です。
上手く説明出来ている気がしない。
あ、そして。
番の方は手前にひとつ蓮が咲いてますね。
お花と葉っぱ。
これが今世の二人の魂の結果で。
同じ根から生えている。
(どちらかが花で、どちらかが葉です)
だから死後も会えた。
同じ蓮の台(うてな)の上で。
そんな意味もあるので
二羽の根も繋がっています
タイトル【華のうてな】は 華の台 です。
萼という意味もありますが
菩薩の座る蓮の花の台、
または極楽往生した人が座る、蓮の花の台の事もでもあります。
一蓮托生から広げていって
蓮の台の半座を分かつ、という言葉を見つけて
ああ、この作品はこういう意味だったのかと気付きました。
今回は下絵の清書途中にタイトルを考えだして
タイトルを付けるには作品を知らなくてはいけないから
どういう意味の作品なのかなぁと考えて
それで意味に気付きました。
私はこういう考えだったのか、というのも
切り絵してて気づく事が多いです。
個展の方の【いのちの花】はそのままです。
シンプルに魂(いのち)の化身だから。
でも本当は【菩提】にしたかった。
菩提にするつもりだったんですけど、
タイトルが与える印象ってかなり強いですし
大切な部分なので…
あまり自分の思考や価値観を入れ過ぎないように、
多少マイルドになるように変えてみました。
なってるかはわからない。
菩提よりは、まあ、うん、どうなのかなぁ。
単独の方も理想ですね。
理想の、育て切った魂の盆栽(盆栽なのか)
孔雀もほぼ蓮化しているので、
もう人間は終わりなんじゃないでしょうか。
私はですね
葉っぱを生やせたらいいなと思います。
葉を生やせる人生でありたい。
最後に一輪花を咲かせられたらいいですよね。
そんな感じの意味が込められた作品です。
途中で気付いたにせよ
意識にはなくとも意図はしていたと思うので
後付けじゃん!というのは、あの、ご勘弁願えたらと思いますすみません…
いつもそういう作品作りなので、
否定されたら全部そうなっちゃってそこそこにダメージが…
つまりいつも切り絵に振り回されてます。
こういうの作るぞ!で
作れた試しがあんまりないので
何がどうなるかギリギリまでわからないっていうか
だからテーマはすごく苦手っていうか、
与えられると作れるまで物凄い時間がかかるので
融通効かないっていうか、駄目だ
落ち込んできたのでここらで止めておきます。
思考とか価値観とか、あまり出す気もなかったですし
今回も出したかった訳ではなかったのですが。
出てた。……出す必要があったのだと思うことに。
私は切り絵というものに
一方ならぬ恩がありまして
だからなのかこうしたい、というのも
こうはしたくないというのも強くて。
嗜好は出しても思考や、思想は控えめにしたい、みたいな
そんなのがあります。
作っている以上出てしまうものだとは思いますが
今までだってちゃんと出てるとは思うんですが、
こういうテーマというか、死生観というか
そういうのを出すつもりはサラサラ…まったく、なかったのだが…しかしこれが…(何)
解説もしようかすまいか迷いましたが
しないと謎な作品でもあるしなぁと思いました。
出展しているタツコンにテーマがある以上
こういう意味でそのテーマに沿っています、という
説明もあった方がいいのかなと思いまして。
ええと、なので。
想像でもあり、命の創造でもあるのかなと。
自分自身が自分の命を創る
生き方次第で、鉢の中が変わるよ。
と言う、戒めもこめて。
あれだけ花を咲かせているので
浄土での魂、という想像です。
以上です!
似ている作品ではありますが
それぞれに尾の形とか根張りの感じとか
微妙に変化をつけています。
それぞれの意味の為でもあるし、
白黒のバランスも考えての事でもありますが
同じようでいて違うところのある作品なので
どちらもご覧いただけましたら幸いです。
タツコンは28日まで。
個展は25日までです。
絵を考えるのと蓮のバランスで苦労しましたが
どうしたらいいかわからない!という
いつもある苦悩は殆どありませんでした。
すごく自分に沿っていて、
相性の良い作品だったかなと思います。
己をさらけ出しているので、
見ていると不思議な気分になります。
良ければ、会いに来てやってください。
ではでは!